2013-12-29(Sun)

今年1年ありがとうございました。

今年も後2日で終わりですね。少し早いですが今年1年ありがとうございました。来年以降も色々書き込みしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
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2013-12-26(Thu)

西宮市の風景

先日西宮のほうに写真撮影したときにきれいな風景の写真を撮影できたので投稿します。

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2013-12-26(Thu)

旧能勢街道の道標

左は能勢妙見山、右は刀根山御坊(常楽寺)までの道標を示すと考えられている。

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2013-12-26(Thu)

耳原公園

耳原公園は、耳原大池と、その外周部約4万5千平方メートルの敷地に日本庭園をイメージして整備を行いました。園内には、滝2か所やあずまや、芝生広場、木製遊具、散策デッキ、多目的広場などを設け、高齢者から子どもまで幅広く楽しむことができます。春先には、中央付近に植えられた桜や梅が、周囲の緑に彩りをそえます。この付近は、もともと自然環境に恵まれており、カルガモやコサギなどの野鳥や耳原大池には、フナやコイなどが生息しています。
所在地:茨木市耳原三丁目
交通アクセス:阪急バス「中河原」バス停下車徒歩10分

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2013-12-26(Thu)

難波宮

難波宮は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。
○概要
難波宮のことは史書(『日本書紀』)には載っていたが、第二次世界大戦が終わるまでは所在地は不明なままであった。1913年(大正2年)大阪城外堀の南付近で数個の重圏文(じゅうけんもん)・蓮華文の瓦が発見されていたが、ほとんどの人は省みなかった。しかし、1953年(昭和28年)同所付近から鴟尾(しび)が発見された。このことがきっかけになり山根徳太郎を指導者とする難波宮址顕彰会の努力により発掘・調査が進み、奈良時代の宮の遺構が次第に明らかになった。1957年(昭和32年)南北に続く回廊跡(後期)が見つかった。そればかりでなく、翌1958年(昭和33年)には奈良時代より古いとみられる柱列跡が検出され、その柱穴に焦土が詰まっており、火災の跡であることが明らかになった。つまり、686年(朱鳥元年)正月「難波の宮室が全焼した」記録から、孝徳朝の宮室が焼失したものと推定でき、その後に天武朝の宮室が建造されたのだと考えられるようになった。1960年(昭和35年)これが回廊であることを確認。これを前期難波宮という。1961年(昭和36年)山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の大極殿跡が発見され、その存在が確認された。これを後期難波宮という。山根徳太郎は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり。」という発言を残した。

○前期難波宮
乙巳の変ののち、645年に孝徳天皇は難波(難波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652年に完成した。大化の改新とよばれる革新政治はこの宮でおこなわれたが、この宮は建物がすべて掘立柱建物から成り、草葺屋根であった。『日本書紀』には「その宮殿の状、殫(ことごとくに)諭(い)ふべからず」と記されており、ことばでは言い尽くせないほどの偉容をほこる宮殿であった。孝徳天皇を残し飛鳥(現在の奈良県)に戻っていた皇祖母尊(皇極天皇)は、天皇が没した後、655年1月に飛鳥板蓋宮で再び即位(重祚)し斉明天皇となった。683年(天武12年)には天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都としたが、686年(朱鳥元)正月に難波の宮室が全焼してしまった。

○建築物の概要
回廊と門で守られた北側の区画は東西185メートル、南北200メートル以上の天皇の住む内裏。その南に当時としては最大級の東西約36メール・南北約19メートルの前殿、ひとまわり小さな後殿が廊下で結ばれている。前殿が正殿である。内裏南門の左右に八角形の楼閣状の建物が見つかった。これは、難波宮の荘厳さを示す建物である。宮殿の中軸線上に三つの門が発見されている。北から内裏の南門、次に朝堂院の南門、宮城の南面中央の門(朱雀門)。内裏南門は東西32.7メートル、南北12.2メートル。日本の歴代宮殿の中でも最大級の規模である。この門は、木製基壇の上に立っている。木製基壇の上に立つ建物は、内裏前殿や八角殿等の中枢部の建物に限られている。朝堂院南門や南面中央門(朱雀門)の平面規模は東西が23.5メートル、南北は8.8メートル。柱は直径約60~80センチという太い柱が使われていた。天皇の住まい(内裏)と、政治・儀式の場(朝堂院)をはっきりと分離した構造は、前期難波宮が最初であり、後の宮(藤原・平城・平安宮など)にも採用された。朝堂院の広さは南北262.8メートル、東西233.6メートルである。その中に東西に7棟ずつ、左右対称に14の朝堂が並んでいる。北から東西とも第一堂、第二堂と順に名付ける。第一堂は南北(桁裄)16.1メートル、東西(梁間)7.9メートルで、第二堂は南北20.5メートル、東西7.0メートルであり、木製基壇の上に立つ。第三・四・五堂と第七堂(南北に並ぶ東西棟二棟の内の南側)は桁裄35.0メートル、梁間5.8メートルである。このように朝堂院の規模が違うのは、着座する人たちの位によって朝堂に格式に差があったことが分かる。14の朝堂が見つかっている。後の宮では12である。これらの内裏と朝堂院の外側(まわり)に役所(官衙)が存在した。

○後期難波宮
奈良時代の神亀3年(726年)に聖武天皇が藤原宇合を知造難波宮事に任命して難波京の造営に着手させ、平城京の副都とした。中国の技法である礎石建、瓦葺屋根の宮殿が造られた。天平15年(744年)に遷都され、このとき難波京も成立していたと考えられている。翌天平16年1月1日、難波宮から紫香楽宮へ遷都した。784年、桓武天皇により長岡京に遷都された際、大極殿などの建物が長岡京に移築された。

○史跡難波宮跡
現在、難波宮の跡地の一部は、難波宮史跡公園となり、大坂城の南西に整備されている。難波宮の遺跡は現在の馬場町・法円坂・大手前四丁目付辺に及んでおり、大阪歴史博物館やNHK大阪放送会館のある一角も難波宮の跡である。大阪歴史博物館の地下1階では、地下遺跡の様子を見学することができる。 同博物館前にある茅葺きの高床倉庫は、法円坂遺跡で見つかった5世紀(古墳時代)の巨大高床倉庫群のうち1棟を復元したもの。難波宮以前から重要な交通拠点となっていた難波津の遺構である。難波宮史跡公園の場所は、1871年(明治4年)以降に兵部省(のち陸軍省)の管轄地となり、1945年(昭和20年)の敗戦時には歩兵第8連隊が置かれていた。占領軍の接収解除後すぐに鴟尾が発見されたこともあり、開発の手から免れ広大な敷地の確保が可能となった。2006年(平成18年)には、万葉仮名で書かれたものとしては、最古とされる7世紀中ごろの木簡が出土している。木簡は長さ18.5センチ、幅2.7センチで、片面に墨で「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」と書かれており、「はるくさ(春草)のはじめのとし」と読むとみられている。一緒に出土した土器や地層の状況から前期・難波宮の完成前後のものと考えられ、万葉仮名は天武・持統朝(672年-697年)に成立したと考える説に再考を促す発見であった。難波宮跡公園の北側を東西に通る阪神高速道路東大阪線は、ほぼ全線が高架構造にもかかわらず、難波宮跡付近の部分だけ平面となっている。これは、建設に先立つ事前協議の結果、難波宮跡の遺構の保存と難波宮跡公園から大坂城跡への景観を確保するために「平面案」が採用されたためである。しかし、この突如として現れる急な勾配区間のために、事故や渋滞の原因となることも多い。なお、平面部分の道路の基礎は、難波宮跡中心部の遺構を破壊しないよう、地下に杭を打ち込まないような特殊な構造となっている。

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2013-12-26(Thu)

寺西家阿倍野長屋

寺西家阿倍野長屋は戦前の昭和8年に建てられた、木造2階建て瓦葺入母屋造の四軒長屋建築。宮大工によって築70年を超える長屋は見事に改修され、現在はレストランやギャラリーとして、町の中に息づいている。
所在地〒545-0021
大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-50-25
TEL:06-6624-7618 .交通アクセス地下鉄御堂筋線「昭和町」駅下車、4号出口徒歩約1分
営業期間 : 入居しているレストランに準ずる
休業 : 入居しているレストランに準ずる
料金 : 外からの観覧無料(現在レストランが入居)
飲食施設:和食/洋食/中華
お問合わせ:06-6624-7618

2013-12-26(Thu)

とんど神事2014

百舌鳥八幡宮で、各家庭から持ち寄られた古いしめ縄や竹などで「とんど」が組み立てられ、一年間の無病息災、家内安全を祈願して焚きあげられます。
所在地:〒591-8037大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
交通アクセス:JR阪和線「百舌鳥駅」東出口から南東へ徒歩10分
開催期間:2014年1月15日14:00~
問合せ先:百舌鳥八幡宮072-252-1089




2013-12-26(Thu)

珠算はじき初め式2014

堺市の珠算教室の生徒たちが珠算の上達を願い、百舌鳥八幡宮で珠算玉型の絵馬をそろばんの形の絵馬かけに奉納します。パソコンを併用したコーナーも設けられ、一般の人も珠算が楽しめます。
所在地:〒591-8037大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
交通アクセス:JR阪和線「百舌鳥駅」東出口から南東へ徒歩10分
開催期間:2014年1月3日13:00~
主催:堺珠算協会
問合せ先:百舌鳥八幡宮 072-252-1089




2013-12-26(Thu)

福石社神事2014

多治速比売神社境内の末社「福石社」で神事が行われます。板木で作られた御札を柳の枝2本でススキの穂、榊の葉とともに挟み、神前に供えます。これは「牛王杖」と呼ばれ、家に持ち帰って苗代田の水口に置くと、虫害を防ぐことができるといわれています。
所在地:〒590-0101大阪府堺市南区宮山台2-3-1
交通アクセス:泉北高速鉄道「泉ヶ丘駅」から1番乗り場「堺東駅行」または2番乗り場「津久野駅行」のバス「宮山台2丁」下車
開催期間:2014年1月6日14:00~
イベント料金:無料
主催:多治速比売神社
問合せ先:多治速比売神社 072-297-0726




2013-12-25(Wed)

厳島神社

旧神呪村の村社です。境内の灯篭にある「乱大荒神」銘が甲山神呪寺の開基伝承に登場する異形の神、「奉寄進観音」銘が本尊「如意輪観音」である神呪寺そのものを指すこととされ、神呪寺がこの地にあった証とされている。
住所:西宮市上甲東園4-7-32

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2013-12-25(Wed)

上ヶ原用水路分水碑

上ヶ原用水路は、江戸時代初めに上ヶ原台地の田畑に水を引くために造られました。その後幕末にその石碑が造られ、仁川の上流から取った水を上ヶ原新田・門戸・神呪に6寸6分:5寸6分3尺6寸2分(約1.1m:0.17m:0.2m)の割合で分水しました。

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2013-12-24(Tue)

山陽新幹線記念公園

昭和47年3月に開通した山陽新幹線の開業を記念して造られた、西宮市と新神戸駅の間にある全長16250mの六甲トンネルの入り口の真上にある小公園です。公園東側眼下にはトンネルの入り口があり、東西に失踪する新幹線を間近に見ることが出来ます。鉄道ファンにとってはお楽しみのスポットになるかも。


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2013-12-24(Tue)

円満寺

円満寺は兵庫県西宮市にある仏教寺院。 高野山真言宗別格本山、山号は医王山。摂津国八十八箇所79番札所。本尊は薬師如来。
○概要
開山・法道仙人、創建・康保3年(966年)円満寺は、西宮市鷲林寺にあった、武庫山鷲林寺を現在地(西宮市社家町)に移したのが始まりである。武庫山鷲林寺は平安末期の治承・寿永の乱(源平合戦)、戦国時代には、荒木村重の乱に遭い荒廃した。また、織田信長の焼き討ちのため炎上し、灰燼に帰した。灰燼に帰したときに、南勝坊に霊夢によるお告げがあったため、鷲林寺を現在地に移した。そのため、今里鷲林寺とも称されて、現在に至っている。1945年(昭和20年)8月の空襲で、すべての建物が全焼した。その際、所蔵していた古記録も焼失して、詳しい歴史が解らなくなってしまった。1948年(昭和23年)円満寺第53世、真応により、本堂・庫裡などの諸堂を再建し、中興を果たした。しかし、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では西宮成田山の堂宇、納骨堂、庫裡が全壊した。境内の西側には、神変大菩薩の石碑、稲荷社がある。

○西宮成田山
同じ敷地内に西宮成田山の堂宇があり、不動明王を祀る。不動明王は成田山新勝寺(千葉県)より勧請した。西宮成田山と称する。交通安全・所願成就を願う参詣者が多い。

○所在地
〒662-0974 兵庫県西宮市社家町1-36


2013-12-24(Tue)

黒川古文化研究所

財団法人黒川古文化研究所は、兵庫県西宮市苦楽園にある財団法人の美術文化財研究所。美術品の保存と公開展示を目的に1950年に芦屋市に設立、1974年に現在地に移転した。収蔵品は、実業家黒川家三代家蔵の日本と中国の美術工芸品を中心とするもので、そのコレクションには国宝 2件、国の重要文化財 16件(162点)、重要美術品 62件(78点)を含む。貨幣、書画、刀剣など収蔵品の分野は多岐に亘るが、中でも日本刀は質量ともに屈指のコレクションと評価されている。
○主な収蔵品
国宝
短刀 朱銘貞宗(名物伏見貞宗)(鎌倉時代)
短刀 銘来国俊 (鎌倉時代)
・重要文化財
(刀剣・刀装具)
太刀 菊御作 (鎌倉時代)
太刀 銘備前国長船住景光 〈裏)□□月 日 (鎌倉時代)
太刀 銘大和則長作 (鎌倉時代)
刀 無銘伝行光 (鎌倉時代)
刀 無銘伝行光 (鎌倉時代)
太刀 銘国光 (鎌倉時代)
刀 無銘長谷部 (南北朝時代)
刀 銘慶長九年十一月吉日信濃守國廣作 依賀茂祝重邦所望打之 (安土桃山時代)
太刀 銘一 (鎌倉時代)
太刀 銘包次 (鎌倉時代)
豊干禅師図鐔 銘安親 (江戸時代)
(書跡)
紫紙金字金光明最勝王経 巻第三 (奈良時代)
伏見天皇宸翰願文 (鎌倉時代)
(絵画)
寒林重汀図 伝董源 (中国五代)
(考古資料)
羽黒山御手洗池出土銅鏡 140面 (平安時代)
碧玉製模造品弓矢等 8箇 伝奈良県天理市布留出土 (古墳時代)

○所在地
〒662-0081 兵庫県西宮市苦楽園三番町14-50
○交通アクセス
阪急神戸本線 夙川駅からバス「柏堂町」下車 徒歩15分
阪急神戸本線 夙川駅からタクシー10分


2013-12-24(Tue)

浄橋寺

浄橋寺は兵庫県西宮市にある浄土宗西山派の寺院である。山号は十方山。本尊の阿弥陀三尊像は国の重要文化財である。
○寺号
寛喜年中(1229年~1232年)、西山国師・証空が琴鳴山麓で出会った山賊を諭し、武庫川に橋をかけ「浄橋」と名付けて橋を通る旅人の通行料(橋銭)によって生活を正したと伝えられる。橋の名前から浄橋寺とされ、橋寺とも称される。

○歴史
1241年(仁治2年)、証空が浄橋の西岸に建立したと伝えられる。有馬街道の要衝に位置して発展した。文明5年(1473年)火災で焼失、再興されたが、天正6年(1578年)に織田信長と荒木村重の兵火によって再び焼失した。現在の姿に再興されたのは、明治に入ってからである。

○文化財
重要文化財(国指定)
木造阿弥陀如来及び両脇侍像 - 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の阿弥陀三尊。ヒノキ材の寄木造りで、表面に金箔が貼られている。鎌倉時代前期の作と推定される。
銅鐘-寛元2年(1244年)9月、願主沙門証空の銘があり、経文や証空の文章が鋳出されている。
○その他の文化財
紙本著色善慧上人(証空)伝絵 - 室町時代の作品で、全6巻。兵庫県指定有形文化財。
石造露盤-相輪の一部。西宮市指定重要有形文化財。
石造五輪塔-花崗岩製で、鎌倉時代末期の建立と推定される。西宮市指定重要有形文化財。
石造五輪塔-花崗岩製で、南北朝時代の建立と推定される。西宮市指定重要有形文化財。
石造五輪塔-花崗岩製で、南北朝時代の建立と推定される。西宮市指定重要有形文化財。
○札所
西山国師遺跡霊場(16ヶ所と番外5ヶ所)第16番(結願寺)

○所在地・交通
兵庫県西宮市生瀬町2-20-24
JR西日本福知山線、生瀬駅から徒歩5分

2013-12-24(Tue)

神呪寺の石仏群

この石仏群は江戸時代の四国88ヶ所めぐりのミニ版です。

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2013-12-24(Tue)

仁川百合野町地すべり資料館

仁川百合野町地すべり資料館は、兵庫県西宮市にある地すべりに関する資料館。兵庫県阪神南県民局県土整備部河川砂防課の所管である。兵庫県立甲山森林公園の東隣にある。
○概要
1995年1月17日早朝の兵庫県南部地震によって、西宮市甲山の阪神水道企業団甲山事業所北斜面で、幅約100m、長さ約100m、深さ15m、移動土塊約10万m3という大規模な地すべりが発生した。この地すべりで斜面東側に位置する仁川百合野町と仁川6丁目の家屋13戸が押しつぶされ、住民34名が死亡した。災害から2年後の1997年11月18日、被害状況と土砂災害の恐ろしさ、防災対策の仕組みなどを学べる施設として、災害現場の一角に本資料館が開館した。資料館は2階建てで、ビデオ映像・パネル展示・ジオラマ模型などを備える。資料館の近くには慰霊碑が建つ。資料館周辺にはアジサイやスイセンなどの花々が植えられ、地すべりが発生した斜面には地域住民団体「ゆりの会」が2004年からシバザクラを植えており、現在では6000株を超える花の名所となっている。震災の発生時期には、2002年から毎年「ゆりの会」が地すべり資料館で追悼コンサートを催してきたが、主催メンバーや遺族らの高齢化により、10回目となる2011年で幕を下ろした[3]。

○利用案内
開館時間-10:00?16:00
休館日-月曜日、木曜日、年末年始
入館料-無料

○交通アクセス
阪急電鉄今津線仁川駅から徒歩約30分(仁川沿いに上流方向へ約1.6km)
阪急バス関西学院前停留所および阪神バス県立甲山森林公園前停留所から徒歩約15分
駐車場がなく、また資料館周辺は住宅街であるため、徒歩による来館が望ましい。

2013-12-24(Tue)

神呪寺

神呪寺(神咒寺)は兵庫県西宮市甲山山麓にある仏教寺院。山号は甲山。真言宗御室派別格本山。甲山大師とも呼ばれ、地元では「お大師さん」とも呼ばれている。寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ、真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようだ。
○歴史
鎌倉時代末期の禅僧、虎関師錬の『元亨釈書』「如意尼伝」に神呪寺の開基について、記載がある。 それによると、神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとする。一方、『帝王編年記』には、淳和天皇皇后の正子内親王が天長4年(827年)に橘氏公、三原春上の二人に命じて真言宗の寺院を造らせたとある。皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、京都頂法寺にて、丹後国余佐郡の娘と出会い、これを第四妃に迎えた。古代、丹後の国は中央氏族とは別系統の氏族(安曇氏などの海人系氏族)の勢力圏であり、大王家に対し后妃を出す氏族であった。この余佐郡の娘もまた、海人系の有力な豪族の娘であった可能性は高い。『元亨釈書』によれば、淳和天皇第四妃は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家するために天長5年(828年)にひそかに宮中を抜け、今の西宮浜から甲山へと入っていった。この時、妃は空海の協力を仰ぎ、これより満3年間、神呪寺にて修行を行ったという。天長7年(830年)に空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったという。この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶した。同日、妃は、空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。如意尼が出家する以前の名前は、真井御前(まないごぜん)と称されていた。 この時、如意尼と一緒に出家した二人の尼、如一と如円は和気清麻呂の孫娘であった。空海もまた海人系の氏族の出身だったといわれ、如意尼と空海は海神系氏族としてつながりがあったとする見方もある。また、神呪寺の鎮守は弁才天であるが、この神は水を支配する神でもあり、水運に関係のある者は古来より信仰を深めてきた。鎌倉時代初期には、源頼朝が再興する。境内の近くには源頼朝の墓と伝えられている石塔がある。 戦国時代には兵火により、荒廃した。現在の本堂は江戸時代の再建。当初の寺領は淳和天皇より、150町歩の寄進があり、合わせて250町歩となったが、現在は境内地の20町歩となった。山号は「武庫山」であったが、光玄大和尚が現在の「甲山」に変更した。神呪寺の住所は、上記の通り甲山町であるが「神呪町」が寺の南西約3km離れた、新幹線と阪急今津線の交差点付近に存在し、この寺と繋がりのある地名であるとも言われている。

○信仰
神呪寺の本尊・如意輪半跏(はんか)像は、河内観心寺、大和室生寺の如意輪観音像と合わせて、日本三如意輪と呼ばれている。家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっている。融通さん、融通観音とも称されている。5月18日に融通観音大祭があり、本尊の開扉がある。大師堂に祀られている弘法大師像は、大師58歳の姿で、厄除大師として信仰されている。甲山大師と称されている。

○文化財
重要文化財(国指定)
木造如意輪観音坐像
平安時代。当時の本尊。寺伝にいう空海の時代の作ではなく、10世紀後半から11世紀前半の作とされる。如意輪観音像には6臂像と2臂像があるが、この像は6臂像である。通常の如意輪観音像は右脚を立て膝とするが、本像は右脚を斜めにして左脚の上に乗せた珍しい形をしており、頭部が斜め上向きになっている点と合わせ、図像的に珍しい作例である。
木造聖観音立像―平安時代
木造不動明王坐像―鎌倉時代
木造弘法大師坐像―鎌倉時代
その他
山門―江戸時代(1804年)建立、三間一戸八脚門(中央高屋根四脚門)

○札所
新西国三十三箇所観音霊場第21番
摂津国八十八箇所第75番
摂津西国三十三箇所第3番
札所本尊は、如意輪観音
仏塔古寺十八尊第17番

○他
甲山八十八ケ所-1798年創設(西宮まちなび博(甲山八十八ケ所巡り))

○所在地・アクセス
〒662-0001 兵庫県西宮市甲山町25-1

阪急甲陽線甲陽園駅下車 徒歩30分

阪急・阪神バス 甲山大師前下車

阪急今津線逆瀬川駅下車 阪急バスかぶとやま荘ゆき かぶとやま荘下車、徒歩15分 またはかぶとやま荘から西宮甲山高校前まで歩き、乗り換え、甲山大師前下車


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2013-12-24(Tue)

西廣寺

西廣寺は、兵庫県西宮市段上町にある、高野山真言宗の寺院。山号は、法輪山。境内には水天宮が併祀され、清荒神清澄寺、門戸厄神東光寺等と並ぶ、典型的な北摂地域の神仏習合寺院の一つである。
○歴史
・創建
西廣寺は、1785年(天明5年)3月に石造地蔵菩薩が建立されたのを契機として創建された。地蔵堂は荒廃した後、1974年(昭和49年)3月に再建された。

・本尊
西廣寺の本尊は大日如来坐像。ヒノキ作り金箔仕上げの上に、金泥が施されるなど、後世にも幾つかの手が加えられている。 従来は1698年(元禄11年)に、備前国庄田山朝日寺から移されたという伝承があり、その製作も鎌倉時代と伝えられていたが、像各部の質感、伏眼や頬の表現、衣紋の彫刻、等から考えて、今日では室町時代のものと考えられている。

・阪神大震災とその影響
1997年1月17日早朝に勃発した阪神淡路大震災は西廣寺周辺の地域に甚大な影響を与え、西廣寺でも本殿・客殿を含む、殆どの建築物が全壊に近い被害を受けた。西廣寺は、その後、10年以上をかけて寺院の再建に励み、2008年1月の段階では客殿の再建に力を注いでいる。

○行事
毎年、正月の三が日は、同時の名物として知られる「雨蛙」が無料で配布される。

○文化財
・市指定文化財
大日如来坐像

○アクセス
阪急今津線甲東園駅下車徒歩10分
境内自由。

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2013-12-24(Tue)

兵庫県立甲山森林公園

兵庫県立甲山森林公園は兵庫県西宮市にある公園。六甲山地の東、甲山南東麓と西麓に広がる都市公園である。面積83haの90%が森林に覆われる。
○施設
シンボルゾーン
記念碑広場
愛の像
笠形噴水
クスノキ並木等
彫刻の道(彫刻作品14体が並ぶ)
「指向」 斉藤正親)
「スカイ」 北野正治
「山の伝説」 丹下寿一
「二つの台形」 井上直
「群鳥」 新谷秀夫
「胎像」 谷井信市
「トンボ」 田中昇
「嶽」 竹内巌
「裸婦」 山口昌俔
「メビウスだけど」 田中薫
「蛾」 新谷英子
「過密な箱」 広島照道
「緑の狩人」 鹿間厚次郎
「鳥と甲冑」 桂修
レストハウス
野外ステージ (1,000名収容)
自由広場 2ヶ所
芝生広場 3ヶ所
修景池(みくるま池) 0.2ha
休憩広場 4ヶ所
健康運動広場 1ヶ所
県民の森
展望台
甲山湿原
甲山自然観察池
西宮市立甲山自然の家
ハイキングコース 約6km

○公園データ
面積― 83ha
開園日― 1970年11月10日
所在地― 〒662-0001 兵庫県西宮市甲山町43

○交通アクセス
阪神本線 西宮駅から阪神バス鷲林寺循環線「阪神西宮」行で30分、「県立甲山森林公園前」下車すぐ
阪急甲陽線 甲陽園駅より徒歩25分(1.7km)

2013-12-24(Tue)

北山緑化植物園

北山緑化植物園は兵庫県西宮市にある植物園。1982年に開園した。総面積は9ヘクタール。
○概要
緑と花に溢れる園内には260種1500株の温室植物を栽培する「展示温室」、「緑の相談所」、日本庭園と数寄屋造の山荘「北山山荘」、「夙川の水遊び場」、「植物生産研究センター」、そして姉妹都市である中国紹興市の名園「蘭亭」と「墨華亭」を再現した「小蘭亭」と「北山墨華亭」等の施設が点在する。北山山荘では抹茶の有料サービスも行っている。また環境省により花粉量の測定器が設置されており、関西の花粉量の観測を行っている。

○開園日時・休館日
開園日時-年中無休・終日
緑の相談所・温室・山荘の一般公開は金・土・日の午前10時-午後4時
休館日-毎週水曜日と年末年始(12月29日~1月3日)
○所在地
〒662-0091 兵庫県西宮市北山町1-1
○交通アクセス
阪急神戸本線 夙川駅からバス「柏堂町」下車すぐ
阪急神戸本線 夙川駅からタクシー10分

2013-12-24(Tue)

堀江オルゴール博物館

堀江オルゴール博物館は、兵庫県西宮市苦楽園にあるオルゴール専門で兵庫県の登録博物館。運営は、財団法人堀江オルゴール博物館。1993年に開館した。
○概要
堀江光男が世界を周り収集した300台以上のアンティークオルゴールの展示と定時演奏を行っている。ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世愛用のシリンダーオルゴールや、アレクサンドラ皇后のディスクオルゴールのほか、ドイツの城で使用されていたものという自動演奏楽器「3台バイオリン」など貴重な品を多数含む、質・量とも日本最大の個人コレクションである。館は3階建てになっており、係員の案内で各フロアにあるオルゴールの解説と実際の演奏が行われる。演奏プログラムは毎月変更される。

○主な収蔵品
「ニコライ二世」ベーカーアンドトロール(1878年頃)スイス
「シンフォニオン・エロイカ」シンフォニオン社(1886-1890年頃)ドイツ
「マハラジャ」ベーカーアンドトロール(1880年頃)スイス
「サミュエル・トロール」サミュエル・トロール(1880年頃)スイス
「シンフォニオン・エロイカ」シンフォニオン(1886~1890年頃)ドイツ
「シンフォニオン・スタイル92」シンフォニオン社(1900年代)ドイツ
「ポリフォン・ホールクロック"ゲイシャ"スタイル62」ポリフォン社(1890-1895年頃)ドイツ
「ステラ・インペリアル・オーケストラル・グランド202」メルモ・フレール(1890年頃)スイス
○一覧
シリンダーオルゴール ― 153台
ディスク・オルゴール ― 108台
オートマタ ― 15台
オーケストリオン・オルガン ― 16台
プレーヤーピアノ ― 12台
バンジョー ― 1台
ヴァイオリン ― 4台
蓄音機 ― 7台
オルゴールの小品 ― 16台
○施設概要
開館日-(予約制)火曜日~日曜日 祝日
演奏時間-(1)10:30 (2)13:00 (3)15:00
所在地-〒662-0088 兵庫県西宮市苦楽園四番町7-1
ひょうごっ子ココロンカードの対象施設になっている。
○交通アクセス
阪急神戸本線 夙川駅からバス「苦楽園」下車 徒歩10分
JR 芦屋駅からバス「苦楽園」下車 徒歩10分
阪急神戸本線 夙川駅からタクシー10分

2013-12-24(Tue)

門戸天神社

由緒は明らかではありませんが、手間天神を祭る神社です。途中、高等演繹から県立西宮高校にいたる道路が横切りますが、通称100段階段といわれる長い階段の参道を上ると本殿前に至ります。境内は鬱蒼とした樹木に覆われ江戸時代の銘がある石造物が多数あり、古色を漂わせています。
住所:西宮市上甲東園1-2-14

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2013-12-24(Tue)

鷲林寺

鷲林寺は兵庫県西宮市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は六甲山。六甲山地の麓に位置する。833年、淳和天皇の勅願寺として空海により開創された。本尊は十一面観世音菩薩。紅葉の名所で、季節になると多くの参拝客で賑わう。
○境内
本堂-伝弘法大師作の本尊十一面観世音菩薩を安置
護摩堂-伝弘法大師作の鷲不動明王、毘沙門天王 弁才天を安置
多宝塔-1階が納骨堂、2階が多宝塔で、金剛界大日如来・不動明王・愛染明王を安置
弁財天池
荒神堂
水子地蔵尊
修行大師
鐘楼
八大龍王
七重石塔-伝武田信玄墓
観音水-六甲山の湧き水が流れ着いたもので、飲むことができる

○所在地
〒662-0003 兵庫県西宮市鷲林寺町4-8
○交通アクセス
阪急神戸線 夙川駅から阪急バスで17分、「鷲林寺」下車 徒歩20分
阪神本線 西宮駅から阪神バス乗車、「鷲林寺」下車 徒歩20分
JR神戸線 西宮駅から阪神バス乗車、「鷲林寺」下車 徒歩20分

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2013-12-24(Tue)

永福寺

弘法大師が開いたと伝えられる真言宗寺院。本尊は十一面観音。境内には庚申塔や地獄を描いた絵馬(延命地蔵堂)などがあります。
住所:兵庫県西宮市下大市東町23-3

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2013-12-23(Mon)

アンネのバラ教会

「アンネの日記」のアンネフランクを慰霊して建てられた教会で、2階の資料館ではアンネの形見のスプーンや切手入れを見ることができます。
電話:0798-74-5911
公開:土曜日13:00から17:00(訪問前に必ず電話する事)

〒662-0017兵庫県西宮市甲陽園西山町4-7

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2013-12-23(Mon)

甲山

甲山は、兵庫県西宮市西北部に位置する、古い火山の痕跡である山。
○概要
1200万年前に噴火したとされる。岩質は輝石安山岩からなり、隣接した花崗岩(いわゆる御影石)からなる六甲山とは全く形成過程が異なる。1200万年前の活動期には大きく広がる山体を持っていた。約200万年間の活動が終息した後、侵食によりわずかに火口付近の火道周囲のみが塊状に残るに至ったことが確認されている。現存する形状が塊状であるため、古くはトロイデ式火山の典型のように言われていたが、昭和30年代に研究が進み、その形成過程の詳細が知られるようになった。甲山の地質は北側斜面では麓から260m付近までは花崗岩が認められるが、南側では甲山安山岩層と六甲山の花崗岩とが接触する部分が露出して確認可能である。 本来、比較的粘性の低い安山岩が鐘状火山となることについては疑問視されるところであったが、有史以後、あまりにも典型的なトロイデ形状であることから、誤解されてきた経緯があると思われる。その後は楯状火山とされてきたが、楯状火山は玄武岩質溶岩からなる大型火山と定義されており、これも誤用である。 なお、隣接する六甲山は断層により隆起して形成された山地であり、甲山は六甲山と共に過去に沈降、隆起を起こしたことが知られている。専門家によって甲山の古火道の磁気構造が調査され、ドーナツ状になっていることが判明している。甲山は西宮市南部の至る所から確認することができ、地名としてもこの甲山が元となった甲東園・甲風園・甲陽園等がある。西宮七園も参照。名称の由来と伝説[編集]甲山の名称の由来は昔大きな松の木が二本生えていて、その兜のような形状から呼称されているという説があるが、田岡香逸によれば、元来、「神の山(コウノヤマまたはカンノヤマ)」だったと考えられている。1974年(昭和49年)には銅戈(どうか)が出土し、西宮市立郷土資料館に西宮市指定重要文化財として所蔵されている。この銅戈は祭祀用のものであり、古来、甲山が信仰の対象であったことがわかる。また、甲(コウ)の音が歴史的仮名遣では甲(カフ)と表記する事を踏まえれば、濁音のカブ・・・の音も想像しやすいだろう。甲陽軍鑑(カフヤウグンカン)、など。また、甲山山麓にある神呪寺にある碑には、禅僧虎関師錬が編纂した元亨釈書の記述に基づき、十四代仲哀天皇の皇后神功皇后が国家平安守護のため山頂に如意宝珠及び兜を埋め、五十三代淳和天皇の勅願により天長8年(831年)10月18日、神呪寺を開創大殿落慶したと伝えている。そのためか甲山のどこかに宝が隠されているという俗説が地元ではあった。なお明治当初には、神戸に来航した欧米人より「ビスマルク山」という俗名がつけられた。19世紀頃のドイツ帝国の首相であったオットー・フォン・ビスマルクがかぶっていた三角形の帽子に姿が似ていたからだといわれている。

○交通アクセス
阪急甲陽線甲陽園駅から徒歩1.7km(約25分)
阪急今津線仁川駅から徒歩3km(約45分)
阪神バス山手循環線大師道より徒歩1km(約15分)
阪神バス鷲林寺循環線県立甲山森林公園前より徒歩数分
阪急バス阪急逆瀬川より、宝塚西高校前経由かぶとやま荘(六甲保養荘)行き


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2013-12-23(Mon)

道明寺天満宮左義長2014

古いお守りやお札などで左義長を作り、神火で焼く伝統行事が道明寺天満宮で斎行されます。毎年小正月の1月15日(早朝6:00~)に一年の災厄をあらかじめ祓うために行われます。祭典終了後、左義長に点火され、参拝客には小豆粥が振る舞われます。
所在地:〒583-0012大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
交通アクセス:近鉄道明寺線「道明寺駅」から徒歩3分
開催期間:2014年1月15日6:00~
主催:道明寺天満宮
問合せ先:道明寺天満宮072-953-2525




2013-12-23(Mon)

成田山不動尊初不動2014

「初不動」とよばれる、年明け最初の28日に行われるご縁日です。本堂では「初不動特別大護摩供」、境内では「柴灯大護摩供」が行われます。
所在地:〒572-8528大阪府寝屋川市成田西町10-1
交通アクセス:京阪本線「香里園駅」から徒歩15分またはバス約5分「成田山不動尊前」下車
開催期間:2014年1月28日初不動大護摩供/11:30~、初不動柴灯大護摩供/12:00頃~
問合せ先:成田山不動尊072-833-8881




2013-12-23(Mon)

尊鉢厄神大祭2014

煙が立ち込める中、法螺貝の音で始まる荘厳な「採灯大護摩供」が、尊鉢厄神釈迦院で執り行われます。厄除をはじめ、1年間の厄除開運や家内安全、諸願成就を祈願する人々が多く訪れます。露店が立ち並び、夜遅くまで賑わいます。※当日は臨時バスが運行
所在地:〒563-0024大阪府池田市鉢3-4-6
交通アクセス:阪急宝塚線「池田駅」からバス「尊鉢」~徒歩7分
開催期間:2014年1月18日~19日
採灯大護摩供/両日とも14:00~、大般若経転続法要/19日11:00~、参拝/~21:00
主催:釈迦院
問合せ先:尊鉢厄神・釈迦院072-761-8761




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