2013-09-30(Mon)

大東市立歴史民俗資料館

ここ大東市は1万年以上も前から人が住み始め、それぞれの時代ごとの貴重な遺物がたくさん残っている地域だ。弥生時代の遺跡としては「中垣内遺跡」「北条西遺跡」が有名で、この資料館でも人骨の入っていた弥生時代の壷が展示されている。これは完璧な形で出土したという、大変珍しいものだ。飯盛山西麓には多くの古墳が造られた。鉄製の武器や甲冑など貴重な遺物が出土した堂山古墳群は、現在も見ることができる。
所在地:〒574-0015大東市野崎三丁目6番1号(来ぶらり四条大東市立歴史とスポーツふれあいセンター)
TEL 072-876-7011FAX 072-876-7702
営業期間営業 : 9:00~17:30
休業 : 第1・第3月曜日(その日が休日の場合は翌日) 12/29~1/3
料金: 入館無料
敷地面積 :10000平方m
延床面積 :548平方m
年間利用者数 :1000人
収容人数 :20人

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2013-09-30(Mon)

妙見寺

妙見寺は、大阪府南河内郡太子町にある曹洞宗の寺院。山号は天白山。本尊は十一面観音菩薩。

○歴史
言い伝えなどによれば598年(推古天皇6年)に蘇我馬子の開基により創建されたと伝えられる。室町時代以降衰退し、江戸時代の1645年(正保2年)に再興され、真言宗から曹洞宗に改宗された。しかし、その後再び衰退して明治に入って1880年(明治13年)ようやく現在地に移って再興された。

○所在地
大阪府南河内郡太子町大字春日1624

2013-09-30(Mon)

仏陀寺

仏陀寺は大阪府南河内郡太子町に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。

○概要
創建年は不明。ただし親鸞聖人がこの寺を訪れたという記録が残っており、鎌倉時代以前にはあったとされる。 江戸時代後期に火事に遭い、寺の歴史に関する資料のほとんどが失われてしまった。 境内には、蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられる古墳(仏陀寺古墳)が存在する。

○仏陀寺古墳
前述の通り、蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられている。大阪府指定史跡となっている。一辺約10mの方墳であり、墳丘はほとんど崩れている状態であり、内部は長さ約1.92mの横口式石槨が露出している。

○所在地
大阪府南河内郡太子町大字山田2900

2013-09-30(Mon)

西方院

西方院は大阪府南河内郡太子町にある浄土宗の仏教寺院。山号は南向山、寺号は法楽寺。寺伝によれば、創立は推古天皇30年(622年)、開基は三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)。本尊は阿弥陀如来と十一面観音菩薩。
○歴史
『河内名所図会』等に見える伝承によれば、622年に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前にその塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わる。以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘で、出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺である。江戸時代初期の寛永16年(1639年)、衰退し荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、名称は西方院と改められた。

○伽藍
本堂-本尊・阿弥陀如来像(聖徳太子作との寺伝がある)、三尼公木像、聖徳太子御二歳像安置
観音堂-本尊・十一面観音菩薩像(恵心僧都作との寺伝がある)安置
聖徳太子御侍女三尼公御廟所
鐘楼
納骨堂
山門

○文化財
極楽浄土変相図
慈雲の遺墨
三尊仏刺繍-中将姫が髪で刺繍したものと伝わる

○札所
新西国三十三箇所第8番札所

○所在地
〒583-0995大阪府南河内郡太子町太子1663

○交通アクセス
近鉄長野線 喜志駅または近鉄南大阪線 上ノ太子駅から、金剛バス太子線・喜志循環線「太子前」バス停下車徒歩3分。


2013-09-30(Mon)

道明寺

道明寺は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。山号は蓮土山。
○歴史
道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。901年(延喜元年)、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、寺名は道明寺と改められるが、これは道真の号である「道明」に由来する。1575年(天正3年)には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。1872年(明治5年)の神仏分離により道明寺天満宮境内から現在地に移転した。

○境内
本堂
大師堂
護摩堂
庫裏
楼門

○文化財
・国宝
木造十一面観音立像-平安時代初期、9世紀の菅原道真公作。カヤ材の一木造で、彩色を施さない素地仕上げとする。カヤ材をビャクダンの代用材として用いた檀像様(だんぞうよう)の作品である。像高98cm。
・重要文化財
木造十一面観音立像(試みの観音)
木造聖徳太子立像
○道明寺粉(道明寺糒)
和菓子の材料として用いられる道明寺粉は、道明寺の尼が乾燥した糯米(糒)を挽き粉状にしたのが始まりという。

○所在地
大阪府藤井寺市道明寺一丁目14番31

2013-09-30(Mon)

小山善光寺

小山善光寺は、大阪府藤井寺市にある浄土宗の寺院である。山号は南面山。詳しくは南面山無量壽院善光寺と称する。別名に元善光寺。信濃善光寺の元祖。

○略縁起
天正年間まで城山古墳の後円部外側に接する小字名善光寺屋敷址といわれる位置にあったが、天正年間織田信長の河内小山城攻めの折、小山城と共に戦火をうける。堂舎焼失後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)になって現在地に移転再建される。小山善光寺は南面山無量壽院善光寺と称し、本田善光の伝説を持っている。その内容としては、推古天皇の御代若使主東人(オカオミアズマビト)本田善光が信州に帰国する途中、難波の堀江で一光三尊仏を拾ってこれを背負って小山の里の隆聖法師の庵に宿泊した。法師はその仏像をまつらせてほしいと善光に所望したが一体しかないので二人で三日三晩にわたり念仏したところ第三日目に一光三尊仏が二体になったので隆聖法師はその一体を入手して本尊とし河内小山に一寺を建立した。本田善光は他の一体を背負って信濃に帰り信濃の善光寺の本尊とした。日本で最初に建立されたので日本最初の善光寺と称するようになった。

○河州小山善光寺ご詠歌
弥陀仏の 世界をたずね 聞きたくば いそげ小山の 善光寺

○所在地
大阪府藤井寺市小山1-16-39

○アクセス
近鉄南大阪線藤井寺駅徒歩10分

2013-09-30(Mon)

葛井寺

葛井寺は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三所第五番札所。
○創建
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。

・白猪氏氏寺
百済辰孫王の後裔氏族である、船氏、津氏とならぶ白猪氏の氏寺として7世紀中葉に建立が開始された。奈良時代の720年に白猪氏は葛井氏に改姓している。一族からは大安寺僧慶俊が出ている。社伝では、大同元年(807)に葛井連道依娘の藤子と後の平城天皇との皇子である阿保親王によって再建された。また阿保親王の皇子である在原業平が奥の院を造営した。中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)の地震で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。

○建築物
本堂-江戸時代、宝暦3年(1753年)上棟の棟札があり、竣工は安永5年(1776年)である。
南大門-寛政8年(1796年)の上棟、寛政12年(1800年)頃の竣工。入母屋造の楼門(2階建て門)である。
四脚門(西門、国の重要文化財)-桃山時代、慶長6年(1601年)豊臣秀頼によって再興された。切妻造、本瓦葺。
他に、阿弥陀二十五菩薩堂、大師堂、護摩堂などが建つ(いずれも江戸時代)。

○文化財
・国宝
乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) - 1952年11月国宝指定
本堂宮殿内に安置される当寺の本尊像。毎月18日以外は開扉されない秘仏である。8世紀半ばごろの作で、記録によれば鎌倉期には六角宝殿内に安置されていたという。八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。胸前で合掌する2本の手を中心に1039本の大小の脇手が円形に展開している。
合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した脱活乾漆法(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で造られ、これに木心乾漆の大小手(脇手)を組み合わせた構造で、X線透視による内部調査では天平前期乾漆像の特徴を示している。
脇手は持物をもつ大手38本、小手1001本(右500本、左501本)で、造像当初にはすべての脇手に墨描で眼が表されていたと考えられており、現在も一部の墨描が残存している。合掌手を除く大小の脇手は、像の背後に立てた2本の支柱に打ち付けられており本体とは離れているが、正面から見ると像本体から千手が生えているように見える。
日本に現存する千手観音像としては最古のものの一つ。脇手の一部、頭上面の一部、持物のすべて、台座蓮弁の大部分などを後補とする。彫像の千手観音像は40本(合掌手2本を合わせて42本)の手で「千手」を代表させるものが多いが、本像のように実際に千本の手を表現する千手観音像は少ない(本像のほかには唐招提寺金堂像などがある)。図像的には、宝鉢手を表さず、大手を通例の42本ではなく40本に表す点が珍しい。
『千手千眼陀羅尼経』が将来された天平年間には、天平12年8月に藤原広嗣の乱が起こり、同年9月15日には勅願により国ごとの観世音像の造像と観世音経の写経が行われている。この際の観音像の像容は本像と一致することから、葛井寺像は藤原広嗣の乱鎮圧を祈念して造立されたものであるとする説もある。
・重要文化財
四脚門(西門)
・その他の文化財
木造聖観音菩薩立像-平安時代。本尊の右に安置。
木造地蔵菩薩立像-平安時代。本尊の左に安置。
石灯籠-鎌倉時代。本堂裏の庭園にある。
金銅宝塔(舎利塔)-鎌倉時代

○行事
・千日まいり
8月9日の千日会式の日の参詣をいう。この日に参詣すると四万六千日の功徳が得られるとされ、多数の参詣者が訪れる。また、本尊の千手観音像が特別に開帳される。
・観音会
毎月18日。千手観音像が開帳される。とくに1月18日は初観音会と称する。

○御詠歌
参るより
頼みをかくる
葛井寺
花のうてなに
紫の雲

○所在地
〒583-0024大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16番21号

○交通
近鉄 南大阪線 藤井寺駅 徒歩5分
西名阪道藤井寺ICから府道12号を西へ0.3 km、小山交差点左折して600mのNTT南まで

2013-09-30(Mon)

壺井寺

壺井寺は、大阪府柏原市法善寺にある融通念仏宗の仏教寺院。山号は「護法山」。

○歴史・概要
平安時代にこの地に法善寺の地名の由来とされる「法禅寺」と呼ばれた寺院があったが、天授年間(1375年~1381年)の兵火により焼失し、その後当山が再建されたと伝わっている。大念仏寺に伝わる文書「大念仏寺四十五代記録并末寺帳」によると、1617年(元和三年)に道念が創建したと記されている。当初は浄福寺と称したが、後に現在の寺名に改められた。観音堂本尊の銅造菩薩立像は別名「避雷観音」といい、飛鳥時代後期に作られた金銅仏である。鍍金が施されていたが兵火に遇い剥がれ落ちている。かつての法禅寺の境内にあった壺のような形の井戸の上に祀られていたものと伝わっており、現在の寺号の由来とされている。現在の本堂は1887年(明治20年)に再建されたもの。現在の松原市にあった永興寺(廃寺)の本堂を移築したものである。

○交通アクセス
近鉄大阪線 法善寺駅から西へ徒歩約3分
国道25号線 本郷橋交差点から東へ約400m (駐車場はない)

○所在地
大阪府柏原市法善寺1-10-20

2013-09-30(Mon)

瑠璃光寺

瑠璃光寺は、大阪府柏原市山ノ井町にある仏教寺院。曹洞宗永平寺の末寺で山号は「医王山」。 正式には「医王山薬師院瑠璃光禅寺」と称する。

○歴史・概要
天平年間に行基が開創、本尊の薬師如来像は行基の作と伝わる。かつては『七堂伽藍を具備せし巨刹なり』といわれ、大規模な寺院だったが、織田信長の信貴山城攻略の際に兵火に遇い、その後慶安四年(1651年)に再建されるも往時のような規模にはならず、境内は縮小して現在は敷地わずか123坪となり、本堂、庫裏、廊下および不動堂があるのみとなっている。本堂には本尊とともに、焼けただれた四体の四天王像が安置されている。一木添木式の木像で、いずれも両腕と持仏が焼失しているものの高さは1mほどあり、平安時代の作とされる。境内に通じる階段を上がってすぐ左手に小堂があり、内部に三体の石仏が安置されている。そのうち左と中央に石棺仏が安置されている。古墳時代後期の家形石棺の屋蓋部を転用したもので、横方向を切断して使用している。上部に蓋石の合わせ目部分が、上部外側に縄付突起が残っている。左が「菩薩形立像石棺仏」で頭部が欠損している。中央は「如来形坐像石棺仏」で頭部と上半身が深く彫りくぼめられている。いずれも平安時代後期の作とされる。かつては野道の傍らに半ば埋もれた状態で置かれ、農作業などによる研ぎ傷が所々に見受けられる。境内奥に「日露戦勝記念碑」および「高田川音吉碑」がある。高田川は山ノ井出身で、碑は昭和4年(1929年)に建立された。 境内南には式内社である若倭姫命神社がある。

○所在地
大阪府柏原市山ノ井町7-5

2013-09-30(Mon)

光徳寺

光徳寺は、大阪府柏原市雁多尾畑にある真宗大谷派の寺院。 本堂は別称「雁林堂」とも言い、「雁多尾畑」の地名の由来ともいわれる。  

○概要
平安時代の永延2年に円融法皇が延暦寺の僧 法円法師に命じて建立した勅願寺である。 当初は「東廣山照躍峰寺」と号し、その後、天永4年(1113年)に大和国興福寺の僧兵に寺を焼き払われる。安貞2年(1228年)に近江国の園城寺(三井寺)の僧 俊円が照曜峰寺を再興。この年、後堀河天皇の宣旨を以て、河内国大県郡の山中300町歩の地を寄付され、寺号を改めて「照曜山光徳寺」の勅号を賜り、本堂を雁林堂とした。 俊円はさらに専修念仏門に入り、親鸞の弟子となり、「松谷仏念房信乗」と称するようになる。これ以後、光徳寺は一向専修の道場ともなっており、石山本願寺とも深い関わりがあった。江戸時代初期に、本願寺が東西に分立する際に「教如を十二代法主とする本願寺教団」(現、真宗大谷派)に属し、現在に至っている。現在の本堂は、明和8年(1771年)に再建されたもので、山門は宝暦年間(1750年頃)、太鼓楼は安永9年(1780年)のもの。

○所在地
大阪府柏原市雁多尾畑1346

2013-09-30(Mon)

河内国分寺

河内国分寺とは、奈良時代に聖武天皇の発願によって建立された国分寺のうち、河内国に建てられたもの。既に廃寺となっており、その跡は大阪府柏原市東部の丘陵の中腹に残っている。

○概要
河内国の国分寺は、河内国の国府(現在の藤井寺市国府付近)からさほど離れていない場所に設置された。ちょうど丘陵の麓を大和国と難波津を結ぶ龍田道が通っており、河内国府ともつながっており、交通の便が考慮されたものと思われる。発掘調査によると、既に当地にあった飛鳥時代後期(7世紀末)の寺院を改築・整備したものと考えられている。昭和9年(1934年)に礎石が発見されたのをきっかけに、「東条廃寺」として知られるようになった。その後、昭和30年(1955年)に大阪府教育委員会の発掘調査により、基壇の規模が天平尺で一辺36尺あり、国分寺七重塔の規模にふさわしいことされ、また、付近から出土した瓦が奈良時代のものとわかり、河内国分寺の七重塔跡と認定された。 さらに昭和45年(1970年)の調査で、塔跡は凝灰岩の切石を積んだ基壇や石段がほぼ完全な形で残っていたことがわかり、基壇上面の軒下にあたる場所には凝灰岩の切石を斜格子状に並べて敷き詰められていることが確認された。最終的に判った基壇の規模は、一辺19.2メートル、高さ1.6メートル、石段の幅4.5メートルであった。現在はこれら遺構の風化・破損を防ぐために心柱礎石を完全な形で配置し、コンクリートで固められている。周囲は史跡公園として整備された。塔跡付近には2009年に新たな宗教法人として設立された河内国分寺が建てられている。

○場所
大阪府柏原市国分東条町(国分東小学校から東へ徒歩約3分)

2013-09-29(Sun)

高貴寺

高貴寺は、大阪府南河内郡河南町平石にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は神下山。
○歴史
開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。河内高貴寺縁起によると、役行者が草創した二十八箇所の修験霊場のひとつで、古くは底筒男命が降臨した地として、神下山香花寺と称した。弘仁年間に、空海が来住した際、高貴徳王菩薩の示現を見たため、高貴寺と改称した。南北朝時代に、南朝の後醍醐天皇より北朝軍調伏の祈祷を命じられるなど南朝側についたが、元弘元年(1331年)の兵火により焼失した。翌年に金堂が再建され、寺門六坊も復興したが、次第に衰微していった。安永5年(1776年)に慈雲尊者飲光が入寺し、大和郡山藩主柳沢保光の帰依・支援を受け、堂舎を整備し、当寺を真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山とした。明治維新期の神仏分離により、磐船神社が分離されたが、堂舎は難を逃れた。現在、堂舎として、金堂、講堂、開山堂、学寮があり、奥院には弘法大師御影堂、慈雲の墓、後桃園天皇の御実母の開明門院御髪奉安塔、柳沢保光(尭山)の遺髪碑がある。また、慈雲筆の梵学津梁一千巻を所蔵する。明治期の女流歌人、石上露子の没後50年を記念し、命日に当たる2009年10月8日に歌碑除幕式が行われた。

○文化財
重要文化財(国指定)
金銅五鈷鈴(1983年6月6日指定)
木造弁才天坐像(1990年6月29日指定)
大阪府指定史跡
高貴寺境内(1970年12月7日指定)

○所在地
大阪府南河内郡河南町平石

2013-09-29(Sun)

弘川寺

弘川寺は、大阪府南河内郡河南町弘川にある仏教寺院で、真言宗醍醐派の準別格本山である。山号は竜池山。本尊は薬師如来。
○由緒
665年、役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している。翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。寛正4年(1463年)兵火により焼失したが、江戸時代に入り寛延年間(1747年~1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している。

○伽藍
本堂
大師堂
地蔵堂
西行堂
鐘楼
客殿・庫裏 など

○文化財
有形文化財(大阪府指定)
木造空寂上人坐像
木造弘法大師坐像
木造扁額
史跡(大阪府指定)
弘川寺境内
天然記念物(大阪府指定)
弘川寺の海棠

○所在地
大阪府南河内郡河南町弘川43

2013-09-29(Sun)

顕証寺

顕証寺は、大阪府南河内郡河南町大字大ケ塚にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は「近松山」。「大ケ塚御坊」とも。 河南町北部、大ケ塚の高台の上に、寺を中心にして周囲に寺内町を形成している。現在もその痕跡をとどめている。
○歴史
大ケ塚寺内町は、鎌倉時代末期、念仏宗第7世法明が、当地に念仏道場を開き、布教をはじめたことに端を発する。 南北朝時代や戦国時代には大ケ塚周辺で合戦が繰り広げられたが、そのような状況下で、念仏宗の寺院を中心に寺内町が形成されていく。
元亀3年(1573年)、本願寺11世顕如が、大ケ塚に道場を開基し、「大ケ塚総道場」と称する。これが現在の大ケ塚御坊顕証寺のはじまりとなる。当時この地は柴田勝家に属し、柴田家の菩提寺とされていた。 のちに豊臣秀吉がこの地に城を築こうとし、寺をとり壊したが、築城は失敗に終わる。
正保3年(1645年)、本堂を再建する。
安永9年(1780年)、火事で全焼する。
寛政6年(1794年)、現在の本堂が建立される。建築面積は、584平方メートルあり、建築に25年の歳月を要した。

○行事
「八朔法要」と「八朔市」が伝統行事として顕証寺と寺内町に伝わっている。 元禄年代に、京都御所の皇室から下贈された灯籠人形を本堂に飾ったところ、人々が次々に拝観に訪れたため、顕証寺周辺には自然と出店も出るようになり、八朔市が形成され現在に至っている。

1月 1日-元旦会
4月29日-永代経法要
8月15日-盂蘭盆会
9月第一土曜日・日曜日-八朔法要
10月 7日-報恩講
12月31日-除夜会

○所在地
大阪府南河内郡河南町大字大ケ塚106

2013-09-29(Sun)

瀧谷不動明王寺

瀧谷不動明王寺は大阪府富田林市にある真言宗智山派の仏教寺院。日本三不動のひとつ。山号は瀧谷山。正式な寺号は明王寺。一般には山号の瀧谷山にちなんで滝谷不動、滝谷不動尊と言う。また、「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれる。

○歴史
寺伝によれば、821年(弘仁12年)に空海が龍泉寺に参籠したときに、国家安泰、万民化益を願い、一刀三礼で不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制多迦童子(せいたかどうじ)の像を刻み、それら3体の仏像を祀るために諸堂が造営されたことを起源とするという。造営当初は今より、約1km離れた嶽山の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。南北朝時代になると楠木正成が嶽山に築城し、守護仏として瀧谷不動明王寺の不動明王を崇敬した。1360年(正平15年)に足利義詮が獄山城・金胎寺城(こんたいじじょう)を攻め、そのときの兵火で諸堂が焼失した。伝承によれば、このときに不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子は滝の下に移されて焼失を免れた。その後、盲目の老僧が現れて、瀧谷不動明王寺の不動明王の霊験を人々に説いて、二間四面の小堂を建立して礼拝していたが、まもなく老僧は晴眼(せいがん)(眼が見えること)になり、姿を消したという。この盲目の老僧は、弘法大師の化身であるとも、また、弘法大師が作った不動明王が霊験あらたかであることを教えたと伝えられている。この説話により、眼病平癒を願う参詣者が多い。1462年(寛正3年)に畠山政長と畠山義就との間で獄山において合戦があり、そのときの兵火で再び焼失。慶長年間(1596年~1615年)に三度目の再興が行われて、現在に至っている。

○信仰
境内には、法楽殿(交通安全祈願所)があり、自動車・バイクなどの車両と祈願者がともに、法楽殿前で祈祷を受けることができる。本尊には眼病平癒の利益があるとされているので、授与品として眼病平癒のお守り(晴眼守)がある。

○札所
近畿三十六不動尊霊場第32番霊場

○文化財
重要文化財
木造不動明王二童子像-寺伝に空海の作というが、実際は後述のように平安時代後期・11世紀末の作である。1958年、これらの像の解体修理を実施した際、不動明王像の像内に寛治8年(1094年)の墨書が発見され、矜羯羅童子像の内部からは永長2年(1097年)の年記のある紙片が見つかった。このことから像の制作は、1094年 - 1097年頃に完成したことがわかる。一木で像の大体の部分を刻んだ後、像全体を前後に割り放して内刳りを施した「一木割矧ぎ造」という技法で制作されている。

○年中行事
1月:修正会、初不動大法会
2月:節分会厄除け祈願大祭
3月:釈尊降誕会花まつり
5月:柴灯大護摩供春季大祭
7月:観世音夏祭り
8月:盂蘭盆施餓鬼会、地蔵盆
9月:秋季大祭
12月:納め不動

○交通アクセス
・公共交通
近鉄長野線 滝谷不動駅から東へ徒歩約15分。
縁日(毎月28日)のみ 近鉄長野線 富田林駅から金剛バス滝谷不動前行きに乗車し、終点「滝谷不動前」バス停下車すぐ。
・車
国道170号旧道・錦織(高橋)交差点(滝谷不動駅前)から府道202号森屋狭山線を東へすぐ(縁日には車両通行止めとなる)。
国道170号旧道・本町交差点(富田林駅前)から府道705号富田林五條線、府道201号甘南備川向線を経て、中佐備交点で府道202号を西へすぐ(こちら側に駐車場がある。また、縁日に運行される富田林駅方面への路線バスのバス停もこちら側にある)。

○所在地
〒584-0058大阪府富田林市彼方1762

2013-09-29(Sun)

楠妣庵観音寺

楠妣庵観音寺は大阪府富田林市大字甘南備にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は峰條山。本尊は千手観音。開山は授翁宗弼(不二房行者、諡号:円鑑国師、微妙大師)とされる。楠公史跡河南八勝第二蹟、河内西国霊場第二十番札所。
○歴史
楠木正行が、延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが起源とされる。1348年(正平3年/貞和4年)に開基とされる正行とその弟正時が四條畷の戦いで討死にした後、二人の母で楠木正成正室の久子も、観音殿と同じ地に草庵を結び隠棲した。久子は敗鏡尼と称し、念持仏の十一面観音を奉祀して、夫と息子、一族の菩提を弔いつつ、16年間の余生を過ごした。久子の入寂後、正行の弟楠木正儀は、不二房行者(藤原藤房、後の授翁宗弼か)を住持させて、観音堂改め観音寺とし、楠木一族の香華寺としたとされる。甘南備の松尾家が真言宗無本寺であった観音寺の除地として久子の遺跡を守れるよう寺社奉行に届出たことから、観音寺は楠妣庵と称された草庵と共に、江戸時代を通して松尾家の所有であったようである。享保年間までは尼僧を住持させて護持されていたが、明治6年(1873年)には廃寺となる。廃寺跡は甘南備の尾花和市の所有に帰することになり、久しく田畑として利用されていたが、大正4年(1915年)2月、岐阜県益田郡下原村(現岐阜県下呂市金山町)出身の篤志家加藤鎮之助によって購入されることになり、大正6年(1917年)5月に草庵が再建された。大正11年(1922年)には、同じく鎮之助により本堂も建立され、池上慧澄(柏蔭室湘山老大師、臨済宗大学学長)が住持として請われ晋山、約半世紀を経て再興が果たされた。昭和7年(1932年)2月には、石神會元(三光亭老大師、恵林寺貫主)が住持として請われ晋山。

○伽藍
五輪塔-久子の墓とされる。
草庵-大正6年5月(1917年)建立。久子が隠棲した草庵で、楠妣庵と称する。東京帝国大学教授・帝国芸術院会員伊東忠太博士の設計により、鎌倉時代末期の建築様式に則り、復元された。東宮であった昭和天皇がここに行啓した。
観音堂-大正6年5月(1917年)建立。久子の念持仏である十一面観音が祀られている小堂。設計は伊東忠太博士。
本堂-大正11年(1922年)建立。
書院-昭和3年(1928年)建立。
恩光閣-昭和7年(1932年)建立。庫裡、客殿等に使用。昭和御大典大礼の建物を宮内省より下賜、移築された。
山門-昭和39年(1964年)建立。楠公夫人六百年祭の際、山梨県甲州市の恵林寺塔頭青松軒の山門を移築したもの。栗材、四脚門。
楠公夫人像-昭和10年(1935年)落成。岩崎光仁作。
楠妣会館-平成2年(1990年)落成。檀信徒会館。
南門-平成3年(1991年)建立。裏参道に通じる。

○所在地
〒584-0054大阪府富田林市大字甘南備1103

○アクセス
近鉄南大阪線富田林駅下車、バスで甘南下車前。

2013-09-29(Sun)

願昭寺

願昭寺とは、大阪府富田林市にある寺院。山号は淨心山。本尊は目白不動。
○概要
真言宗系の新宗教である八宗兼学真修教の大本山であり、信者達の手作りによる寺院として知られている。
本尊は樹齢800年もののクスノキから一刀彫りで彫り上げられたものである。境内は梅の名所としても知られている。2011年11月に五重塔が完成した。東日本大震災から1年も経過していなかったため、落慶法要を自粛し、2012年5月に執り行われた。この五重塔は木造では大阪府唯一となる。

○建造物
本堂
護摩堂
開山堂
鐘楼堂
五重塔
緋袍大明神

○その他
緋袍大明神は本堂などと比べ高い所にあり、近くの展望台からは富田林市内や周辺の河内長野市北部、大阪狭山市などを眺めることができる。晴れていて視界が良ければ、大阪都心部や堺泉北臨海工業地帯、大阪湾も眺めることができる。

○交通アクセス
近鉄長野線汐ノ宮駅から東へ徒歩約15分。

○所在地
大阪府富田林市伏見堂953

2013-09-29(Sun)

七宝瀧寺

七宝瀧寺は、大阪府泉佐野市の犬鳴山の山中にある真言宗犬鳴派の寺院。山号は犬鳴山。本尊は倶利伽羅不動明王。 
○由緒
661年、役小角によって大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場。「宇多天皇の御代、紀州の猟師がこの山域で狩りをしていた際、突然連れていた犬が激しく鳴きだし、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった。怒った猟師は犬の首をはねたのだが、その首はそれでも飛び跳ね、今まさに猟師に襲いかかろうと狙っていた大蛇に噛み付いた。犬は、主人が大蛇に狙われていることを知って鳴いていたのであった。愛犬に救われたと気付いた猟師は、これを悔いて七宝瀧寺の僧となって愛犬を供養した。 このことを聞いた天皇は、いたく感動し、七宝瀧寺に『山号を「いぬなきさん」と改めよ』と勅号を賜った」と伝えられている。(義犬伝説)本尊から数分歩くと滝の前に出る。行者の滝である。 飛鳥時代の661年(斉明天皇七)開山の役行者が集合した場所のひとつと伝わっている。 山中には他にも6つ、合計7つの滝があり、平安時代初期に大干ばつに見舞われたときに雨乞いを祈願して雨が降り、それを知った淳和天皇(じゅんなてんのう)が「七宝瀧寺」と名付けたという。

○境内
参道の両側に神社の瑞垣のような石柱が並んでおり「倶利加羅大龍不動明王(くりからだいりゅうふどうみょうおう)」「南無神変大菩薩」と染め抜かれた赤や黒ののぼりが立っている。修験道系の寺院であり、多数の祠があり、石の鳥居の奥には布袋尊も見えるなど神仏習合色が見られる。

○行場
境内を流れる犬鳴川の北側には表行場、南側には裏行場がある。修験道の行場であり、相当に危険な箇所がある。

○札所
役行者霊蹟札所
近畿三十六不動尊霊場第33番
神仏霊場巡拝の道 第54番

○所在地
大阪府泉佐野市大木8



2013-09-29(Sun)

慈眼院

慈眼院は大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺院。山号は大悲山。近世末までは、隣接する日根神社の神宮寺であった。国宝の多宝塔は石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとして知られる。また境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されている。仏塔古寺十八尊第十二番。
○歴史
伝承によれば、天武天皇2年(673年)、天皇の勅願寺として、井堰山願成就寺無辺光院の名で覚豪阿闍梨により開創され、奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増されたという。その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。南北朝の正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興された。慈眼院の位置する日根(日根野)荘は、五摂家の1つである九条家の荘園であった。文亀元年(1501年)から4年間、前関白の九条政基が日根に滞在して領地の直接経営にあたり、日記「政基公旅引付」(宮内庁書陵部蔵)を残している。天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火を受けて、金堂、多宝塔を除いた全山が焼失。その後慶長7年(1602年)、豊臣秀頼によって伽藍の再興が始められ、奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊・下之坊・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂の堂宇が建立された。寛文年間には岸和田藩藩主岡部氏により修復が行われ、寛文5年(1665年)、中之坊が仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となった。

○伽藍
多宝塔(国宝)-鎌倉時代、文永8年(1271年)建立。高さ約10m。屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。
金堂(重要文化財)-鎌倉時代後期、方3間、単層、寄棟造、本瓦葺。別名毘沙門堂または一願薬師堂。「?経(笹塔婆)」が保管されている。
食野家(めしのけ)十三重石塔-江戸時代
本邦洋式製革始祖碑-明治時代

○札所等
仏塔古寺十八尊第12番
和泉西国三十三箇所客番
新大阪百景

○所在地
〒598-0021大阪府泉佐野市日根野626

○拝観情報
開門時間-8:00~17:00(要予約)
交通アクセス-南海電鉄 泉佐野駅または阪和線日根野駅から南海バス「犬鳴山」行きで8分、「東上」下車すぐ

2013-09-29(Sun)

大仙公園の紅葉2013

広大な敷地をもつ大仙公園には、イチョウ、モミジ、ケヤキ、サクラなど、さまざまな木々があり、11月下旬に紅葉の見頃を迎えます。園内の日本庭園では、11月23日に夜間ライトアップが予定されています(※詳しくは日本庭園管理事務所 072-247-3670までお問い合わせください)。
所在地:〒590-0802大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
交通アクセス:JR阪和線「百舌鳥駅」から西へ徒歩5分
開催期間:2013年11月下旬※天候や気候などにより前後あり
イベント料金:見学無料
問合せ先:大仙公園事務所 072-241-0291





2013-09-29(Sun)

大阪城公園の黄葉2013

総面積105.6haの広大な敷地を誇る大阪城公園では、秋にはイチョウの並木をはじめ、ケヤキなどが黄色く色づきます。美しい黄葉の中、公園の中心にそびえる天守閣などのさまざまな歴史的建築物と、市民の森や西の丸庭園などに植えられた木々や花々を眺めながら、散策が楽しめます。
所在地:〒540-0002大阪府大阪市中央区大阪城
交通アクセス:JR大阪環状線「大阪城公園駅」または「森ノ宮駅」からすぐ、または地下鉄中央線「森ノ宮駅」からすぐ、または長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク」からすぐ、または地下鉄谷町線「天満橋駅」・「谷町四丁目駅」・地下鉄中央線「谷町四丁目駅」から徒歩10分
開催期間:2013年11月上旬~12月上旬
イベント料金:園内散策自由
問合せ先:大阪市東部方面公園事務所06-6941-1144




2013-09-29(Sun)

施福寺(槇尾寺)の紅葉2013

西国三十三所の第4番札所である施福寺(槇尾寺)は、槇尾山の頂上付近に位置しているため眺望が良く、晴れた日には岩湧山、金剛山まで見ることができます。槇尾山には約200本のもみじがあり、背景となる山とともに、赤く色づいたみごとな紅葉を楽しめます。
所在地:〒594-1131大阪府和泉市槇尾山町136
交通アクセス:JR阪和線「和泉府中駅」から「槙尾山口行」南海バス約40分「槙尾中学校前」乗換~シャトルバス約10分「終点」~徒歩30分
開催期間:2013年10月下旬~11月下旬
問合せ先:施福寺(槇尾寺) 0725-92-2332





2013-09-29(Sun)

静照寺

静照寺は、大阪府寝屋川市にある日蓮宗の寺院。
○歴史
静照院河合日辰が創建した。1943年、日辰はこの寺で没した。
○寺宝
日蓮木像-身延山久遠寺奥の院や、千葉県の小湊誕生寺の木像と同じ木で造られた一木三体造りといわれる。
帝釈天像柴又帝釈天題経寺の分霊像という。
鬼子母神石像
妙見菩薩像-能勢妙見の分霊という。
大黒天像
摩利支天像
毘沙門天像
八大竜王像
聖徳太子像
救世観音菩薩像

○所在地
大阪府寝屋川市郡元町15-16

2013-09-29(Sun)

成田山大阪別院明王院

成田山大阪別院明王院は、大阪府寝屋川市にある真言宗智山派の寺院。千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院である。本尊が不動明王であり成田山不動尊という通称で呼ばれている。創建は昭和9年(1934年)。また近畿36不動尊霊場の第28番となっている。寝屋川市を含む京阪沿線(北河内地域)は大阪の鬼門に相当するため、住宅地としては人気がなく他の私鉄沿線のように宅地開発がなかなか進まなかった。そこで京阪電鉄は成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼し、「この地域に鬼は出ない」ことをアピールするとともに、不評だった「香里遊園地」を枚方に移転させ、跡地に当時としては沿線最高級の住宅街を建設した。このような経緯から、香里園には成田のような門前町的雰囲気はほとんどない。現在でも、鬼門よけとして信仰されているほか交通安全祈願も行っており、人車一体の祈願を行った最初の寺として知られている。本尊の不動明王は木造黒漆塗りで、成田山新勝寺の分霊である。
○伽藍
本堂
本尊の不動明王を安置
祈祷殿
交通安全専用であり100台の車を同時に祈祷できる。
山門
大師堂
大黒天堂
吉祥閣
出世稲荷堂
奥の院
地下のトンネル内
○主要年間行事
大般若転読付き大護摩供
初不動
星まつり
節分祭
厄除け祈願大祭
彼岸会法要
開創記念大祭
七五三まいり
納め不動
その他

○所在地
大阪府寝屋川市成田西町10-1

2013-09-29(Sun)

白雲寺

白雲寺は、大阪府枚方市にある浄土宗の寺院。山号は證誠山。

○歴史
文治年間(1185年-1190年)頃、真言宗の信寂が法然に帰依し浄土宗に改宗。のち弁誉の代に知恩院の末寺となったという。
慶長18年-19年(1614年-1615年)大坂の陣で兵火に罹り伽藍を焼失したという。
寛文年間(1661年-1673年)頃に火災で伽藍を再び焼失するもその後復興した。
延宝9年(1681年)の『寺社改』に「知恩院末白雲寺 看坊生誉」の記載が残る。
明治33年(1900年)現在の本堂を再建する。

2013-09-29(Sun)

松尾寺

松尾寺は、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗の仏教寺院である。山号は阿弥陀山。

○概要
672年(天武天皇元年)に役小角が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を彫り、小堂を建てて安置したことに始まる。その後、泰澄が中興し、熊野、吉野、白山の権現を勧進した。平安時代には当寺に住んでいた河内国の僧尋祐にまつわる奇瑞が『日本往生極楽記』や『今昔物語』などに記されており、鎌倉時代には源頼朝が祈祷所として保護している。松尾寺の最盛期は、南北朝時代から室町時代であり、寺領7000石、寺坊308名、僧兵は数千人を数えたという言い伝えが残っているが、それを裏付ける文書等は現在のところ発見されていない。また、南朝との関係が深く、1336年(延元元年)後醍醐天皇綸旨によって祈祷所となり、以後も南朝から度々祈祷を命じられていたという。南北朝統一後は足利義満ほか代々の将軍も祈願所として、寺領安堵を行ったとされる。下って、織田信長も1577年(天正5年)禁制を下して松尾寺の保護を一旦は約束したのだが、織田信長は、4年後の1581年(天正9年)紀州高野山(現在の和歌山県伊都郡高野町大字高野山)攻めの際に松尾寺も攻撃し、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払ってしまった。現在の松尾寺は、その後、豊臣秀頼の寄進などにより再建されたものである。

○伽藍
本堂
山門
三天堂
不動尊堂
寿老人
首堂
念仏堂
水子地蔵回向堂
鐘楼

○文化財
・重要文化財
絹本著色孔雀経曼荼羅図
宝篋印陀羅尼経 後亀山天皇宸翰 光賢の裏書あり
如意輪陀羅尼経

○交通アクセス
・公共交通機関の場合
泉北高速鉄道 和泉中央駅から南海バス 松尾寺停留所下車、徒歩約10分。
・自家用車の場合
高速道路でのアクセスの場合、阪和自動車道 岸和田和泉ICから一般道で約10分。

○所在地
大阪府和泉市松尾寺町2168

2013-09-29(Sun)

施福寺

施福寺は、大阪府和泉市にある天台宗の仏教寺院。通称槇尾寺。山号は槇尾山(まきのおさん)。本尊は弥勒菩薩(札所本尊は千手観音)。槇尾山の山腹に位置する。西国三十三所観音霊場の第四番札所である。
○歴史
・創建伝承
古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。南北朝時代成立の寺史である『槇尾山大縁起』(正平15年・1360年書写)によると、施福寺は欽明天皇の時代、播磨国加古郡の行満上人が創建したものであるという。札所本尊の千手観音像については、次のような説話が伝承されている。宝亀2年(771年)のこと、当時槇尾山寺に住していた摂津国の僧・法海のもとに、一人のみすぼらしい格好をした修行僧があらわれ、夏安居(げあんご)の期間をこの寺で過ごさせてくれと頼んだ。この修行僧は客僧として槇尾山寺に置いてもらえることとなり、夏安居の期間、熱心に修行に励んだ。予定の期間が終わって寺を辞去しようとする際、客僧は帰りの旅費を乞うたが、寺僧たちはそれを拒んだ。すると、客僧は怒り出し、「何ということだ。この寺は、見かけは立派だが、真の出家者などはいないではないか。このような寺はいずれ滅び去り、悪鬼の棲家となるであろう」と叫んで、出て行ってしまった。驚いた法海が後を追うと、修行僧ははるかかなたの海上を、沈みもせずに歩いている。これを見た法海は、あの修行僧は自分らを戒めるために現れた観音の化身であったと悟り、千手観音の像を刻んで祀ったという。縁起には役小角(役行者)、行基、空海(弘法大師)などに関わる伝承もある。役小角については、彼が自ら書写した法華経の巻々を葛城山の各所の秘密の場所に埋納し、最後に埋めたのがこの山であったことから巻尾山(槇尾山)の名が付いたとする、地名起源伝承がある。また、空海は延暦12年(793年)、20歳の時、槇尾山寺において勤操を導師として出家剃髪し、沙弥戒を受けたとする伝えがある。空海の当地における出家剃髪は史実とは認めがたいが、空海が唐からの帰国後、都に戻る直前の大同4年(809年)頃、当寺に滞在した可能性は別の史料から指摘されている。縁起には、延喜16年(916年)、定額寺に定められるとするが、施福寺は度重なる火災で古記録が失われており、これも史実か否か不明である。以上のように、施福寺の初期の歴史は伝説色が濃く、判然としないが、『日本霊異記』に言及されている「和泉国泉郡の血渟(ちぬ)の山寺」は当寺のこととされ、同書の成立した9世紀前半には著名な寺院であったことが伺われる。

・中世以降
正嘉年間(1257-1259年)、後白河上皇所縁の法華経と仏像が奉納されたことが縁起に見え、寺が所蔵する「法華経妙音菩薩品」(平安時代の装飾経)がそれにあたると推定されている。仁治年間(1240 - 1243年)には、仁和寺菩提院の僧・行遍によって灌頂堂(密教の師資相承の儀式を行う堂)が建立されており、中世には当寺は仁和寺の支配下にあった。南北朝時代には南朝方の拠点の一つとなり、寺の衆徒も南朝方に与した。そのため戦火に巻き込まれることが多く、寺は衰亡した。天正9年(1581年)には織田信長と対立したことが原因で一山焼き払われるが、豊臣秀頼の援助により、慶長8年(1603年)に伽藍が復興された。近世には徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845年)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。

○御詠歌
深山路や
檜原松原
わけゆけば
槇の尾寺に
駒ぞいさめる

○境内
麓には駐車場があるが、本堂に至るには約1kmもの急峻な階段を登らなければならない。西国三十三所のなかでも厳しい参道として知られる。槇尾山付近のハイキングを兼ねた参拝者が多く見受けられる。
・本堂
現在の本堂は弘化2年(1845年)の焼失後、安政年間(1854-1860年)に復興されたものである。本尊は弥勒菩薩、両脇に千手観音と文殊菩薩を安置し、このうち千手観音が西国三十三所の札所本尊となっている。西国札所巡礼の中興者とされる花山法皇を馬が道案内をしたと伝えられており、本尊と背中合わせの後堂(本堂の裏側)には馬頭観音が安置されている。
愛染堂、弘法大師御髪堂
空海が得度して剃髪したとされる場所には愛染堂や、その毛髪を祀るとされる弘法大師御髪堂がある。愛染堂内には愛染明王像のほか、勤操と空海の像が安置されている。
他に大師堂、不動明王護摩堂、虚空堂、大日堂、西国三十三所観音堂、槇尾明神などがある。

○所在地
〒594-1131大阪府和泉市槙尾山町136

○文化財
・重要文化財(国指定)
槇尾山大縁起

○主な行事
1月8日-碑伝木建て
4月21日-弘法大師御影共
5月1~15日-開扉法要(年1回の札所本尊開帳)
8月9日-観音千日会
毎月18日-観音法会

2013-09-29(Sun)

弘法寺

弘法寺は、大阪府和泉市万町にある高野山真言宗の寺院。山号を石尾山といい、昔から「石尾のお大師さん」として親しまれている。本尊は大日如来、脇仏は地蔵菩薩と弘法大師。脇仏の地蔵菩薩は福徳地蔵と呼ばれる色付きの立像。本堂の裏の、おがみ山には白衣観音があり、そこに至る参道には四国八十八ヵ所霊場を模した石仏群がある。

○歴史
大同年間(806年~810年)に空海が槇尾山に登頂の際、座禅観法修行の道場として開創され、弘仁年間(810年~824年)に地元豪族の伏屋長者の寄進によって一宇が建立されたという。

○所在地
大阪府和泉市万町1022

2013-09-26(Thu)

忠岡だんじり祭2013

豊作と安全を祈願する忠岡町の勇壮な秋祭が行われます。道之町、濱之町、仲之町、生之町の4台のだんじりが地区内を練りまわります。
所在地:〒595-0805大阪府忠岡町交通アクセス:南海本線「忠岡駅」下車
開催期間:2013年10月12日~13日
イベント料金:見物無料
問合せ先:忠岡町生涯学習課 0725-22-1122 (代表)






2013-09-26(Thu)

コスモスロード2013

三島江地区の休耕田を利用して植えられたコスモスが、毎年10月中旬に見頃となります。1.9haの敷地内に赤やピンクや白の花が咲き誇ります。※駐車場はありません。
所在地:〒569-0835大阪府高槻市三島江2丁目、3丁目
交通アクセス:JR京都線「高槻駅」から「柱本団地行」のバス「三島江南口」~徒歩3分
開催期間:2013年10月1日~31日見ごろ/10月中旬
イベント料金:無料
問合せ先:神安土地改良区072-634-2551





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