2012-09-30(Sun)

台風17号は潮岬を通過した。

台風17号は潮岬を通過した。コンヤに東海地方に上陸するそうだ。
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2012-09-30(Sun)

蓮花寺

蓮花寺は大阪府茨木市にある高野山真言宗の仏教寺院。

○歴史
縁起によると奈良時代の天平元年(729年)正月、行基がこの地の池に毎夜霊光を発するのを見て、霊地であることを知り伽藍を作ったという。 応仁年間(1467~69年)の兵火で堂宇ことごとく焼失。寛永年間(1624~43年)に憎祐照が再建をはかり、弟子の快慶が享保5年(1720年)に完成する。 「安永6年(1777年) 瑞光山正東院奥之坊」の銘のある鐘には寺宝に小野篁筆大般若経と図師尊有筆の涅槃像があると記されているが、今は共にない。この鐘は太平洋戦争時の金属供出で戻らず、昭和55年(1980年)に梵鐘寄進に伴い、鐘楼門を新築。本堂は平成元年(1989年)新築。 本尊薬師如来は秘仏。流出した尊有筆の「涅槃図」は現在、長寿院(東京都台東区)が所蔵し、台東区指定有形文化財に登録されている。 延宝4(1676)年の修理時の墨書銘に、この涅槃図が元弘元年(1331年)助法橋尊有の筆になること、天文5年(1536年)に三宅国村等の勧進により修理が施されたことが記されており、三宅氏が蓮花寺を庇護していたことを物語っている。 また、十一面観音は中山寺の本尊像と類似しており、大門寺一切経の奥書にも蓮花寺と中山寺の名か見られ、当時の北摂における寺院ネットワークの存在をうかがわせる。

○文化財
木造十一面観音立像(平安時代~鎌倉時代) 大阪府有形文化財(彫刻) (昭和58年6月1日指定)
本堂の右脇間に安置。頭上に垂髪を結い、11面と化仏を表す。左手を屈して胸前で花瓶をとり、右手は垂下して掌を正面に向ける。腰を強く左にひねり、右足をわずかに踏み出して蓮華座上に立つ。像高114.0cm。
木造地蔵菩薩立像(平安時代) 大阪府有形文化財(彫刻) (昭和58年6月1日指定)
本堂の右脇間に安置。円頂の僧形で、右手を垂下して錫杖をとり、左手を屈臂して宝珠を捧げる通有の姿。
ケヤキとみられる広葉樹による一木造。背面の大きな干割れがあり、応仁の乱で本堂北東の池中に隠されていたとも伝えられる。像高114.6cm。
木造大日如来坐像(平安時代)
本堂の左脇間に安置。垂髻を結い、天冠台(紐1条・列弁)をいただく。条帛をかけ、裙、腰布をつける。両手は智拳印を結び、左足を上に半跏趺坐する姿で、本来は大日如来ではなかった可能性がある。針葉樹による一木造。像高54.0cm。
木造毘沙門天立像(鎌倉時代~南北朝時代)

○行事
星まつり(2月11日)
花まつり(4月8日)
施餓鬼法要(8月24日)

○所在地
大阪府茨木市天王2丁目12-25

2012-09-30(Sun)

法林寺

法林寺は、大阪府茨木市車作にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は、南本山(なんぼくさん)。本尊は阿弥陀如来。車作の集落の中にあり、背後には皇大神宮(神社)がある。

○歴史
寺伝によれば、大永2年(1522年)に浄教の開基と伝わる。 慶長年中(1596~1615年)に寺号を本願寺より拝賜し、浄土真宗の寺院となる。 平成17年(2005年)本堂を修復す。

○伽藍
本堂
鐘楼
梵鐘

○所在地
〒568-0083大阪府茨木市大字車作423

2012-09-30(Sun)

宝池寺

宝池寺は、大阪府茨木市大字忍頂寺にある融通念仏宗の仏教寺院。山号は、竜王山。開基は大念仏寺の僧 辯応。本尊は、釈迦牟尼如来。竜王山の山頂近くにある。

○歴史
宝亀年間(715年~716年)の頃、畿内一帯が大干ばつの時に開成皇子が来山して池を掘り、八大竜王を召請したことにより、背後に控える山を竜王山と呼ぶようになった。そして建てられたのが、境内にある八大竜王宮である。
宝池寺自体が建立されたのは、安永3年(1774年)、大念仏寺の僧・辯応によってである。

○伽藍
本殿
玉白大神碑
金高竜王・白髯大神碑
八大龍王碑
金龍龍神碑
白髯龍王碑
小八木杦龍王碑
地蔵尊
延命地蔵尊
白龍大神
久寿玉龍神

○y所在地・交通アクセス
〒568-0085大阪府茨木市大字忍頂寺304
JR茨木駅、阪急京都本線茨木市駅から忍頂寺行きバス乗車、寿命院前または忍頂寺小学校前下車、竜王山山頂方向へ徒歩。
大阪府道1号茨木摂津線 (忍頂寺交差点から少し茨木方向へ進む。忍頂寺小学校前バス停付近で林道竜王山線へ進む)


2012-09-30(Sun)

佛照寺

佛照寺は大阪府茨木市目垣にある浄土真宗では市内最古となる仏教寺院。
○歴史
寺伝によれば勝光坊西順(佐々木俊綱)により建立された。 西順は鎌倉幕府の御家人であった佐々木盛綱の子俊綱と伝え、承久の乱に鎌倉方として関わり、乱後高野山に登って勝光阿闍梨と名乗って修行し、のち関東へ下って常陸国稲田で親鸞にまみえ直弟子となった。 親鸞の帰洛に伴い畿内へ戻り、目垣に彿照寺を開いた。もとは仏光寺派とみられ、本願寺3代覚如や息子の存覚が南北朝期に下向した折に滞在した「溝杭」がこの寺であったと考えられる。 しかし蓮如が北陸から近畿へ移って来て以降は本願寺派の勢力下に入り、蓮如は文明9年(1477年)に佛照寺に参向し、親鸞御影に着賛したとされる。 文明15年(1483年)に蓮如の門弟教光により再建され、本願寺派はここを拠点に茨木地方の教線拡大を図った。 江戸時代には当寺が天満別院の留守居を世襲した。

○寺宝
親鸞・蓮如連座像 絹本著色 室町時代 親鸞聖人の坐像を上位に蓮如上人の坐像を下位に描く。
三首詠歌の落し文 文明年間(1469年~1487年)の第11代住職光房に与えた蓮如直筆の手紙。

○交通アクセス
阪急京都本線茨木市駅より阪急バス・近鉄バス鳥飼行 目垣下車

○所在地
大阪府茨木市目垣1-1-13

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2012-09-30(Sun)

梅林寺

梅林寺は、大阪府茨木市にある浄土宗の寺院。山号は安養山。本尊は阿弥陀如来。
○歴史
この寺の創建年代等については不詳であるが、元は現在の茨木市大手町にある安養寺と号する真言宗寺院であり、1521年(大永元年)眠誉上人が茨木神社の北側に移し、浄土宗に改める。1583年(天正11年)、賤ヶ岳の戦いにて中川清秀が戦死したので、是頓自ら賎ヶ岳におもむいて遺骸を彼地に葬り、遺髪のみを持ち帰って、これを寺内に納めて供養した。江戸時代に入り、1650年(慶安3年)茨木川の水害により、1654年(承応3年)讃誉が、現在の地に再建。近代に入ると、1876年(明治12年)三島郡の役所がこの寺に設置された。本堂裏の墓地には中川清秀と弟淵之助の墓がある。 また梅林寺文書といわれる秀吉の書簡や中川清秀画像が残されている。

○住所
大阪府茨木市片桐町1番3号

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2012-09-30(Sun)

今月の読書2

今月の読書第2弾です。今回紹介するのはこの本です。

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
(1987/06)
ドストエフスキー

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罪と罰〈下〉 (新潮文庫)罪と罰〈下〉 (新潮文庫)
(1987/06)
ドストエフスキー

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漫画
罪と罰 1 (アクションコミックス)罪と罰 1 (アクションコミックス)
(2007/07/03)
落合 尚之

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(2007/11/28)
落合 尚之

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(2008/04/28)
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(2008/09/27)
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(2009/03/28)
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(2009/07/28)
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(2009/12/26)
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(2010/05/28)
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この本を紹介したのは漫画で似たような話があったからです。

2012-09-29(Sat)

忍頂寺

忍頂寺は、大阪府茨木市大字忍頂寺にある高野山真言宗の寺院。山号は賀峰山(かぶさん)。現在は 寿命院(じゅみょういん)とも称する。本尊は薬師如来。竜王山の麓に位置する。また、竜王山と忍頂寺は大阪みどりの百選に選出されている。本堂東には、鎮守社である八所神社がある。
○歴史・概要
寺伝によれば、聖武天皇の時代(724年-748年)に行基が創建したという。『摂津名所図会』には、開成王子が創建したと書かれている。いずれも史実とは考えられておらず、勝尾寺三世証道上人の弟子三澄が国家鎮護のため、851年(仁寿元年)に開基したという説が有力である。当時は「神岑山寺」(かぶさんじ)と称した。860年(貞観2年)9月20日に清和天皇より、忍頂寺の寺号を贈られ、勅願寺となった。鎌倉時代に仁和寺の支配を受け、南北朝時代の頃に、本堂が戦火に巻き込まれ焼失したと伝わる。永禄の頃には、織田信長から保護を受けたが、キリスト教伝播の影響で寺院は焼かれ、高山右近に寺領を没収された。寛永の頃(1624年-1643年)、石橋院榮尊が中興を図る。領主 小田切土佐守直年の支援もあったが、再び荒廃した。全盛期には23もの寺坊を有し、勝尾寺や神峯山寺などと並び、山岳修行(修験道場)の聖地として知られる大寺院 だったが盛衰を繰り返して、支院の1つであった寿命院が現在の忍頂寺として残っている。

○伽藍
本堂 - 薬師如来を本尊とする。
鐘楼 - 梵鐘には「寛文四年三月三日鋳鐘」の銘がある。
観音堂 - 聖観音を本尊とする。
水子・子育地蔵尊
小織姫明神 (鐘楼の脇にあり、石碑のような姿形をしている)

○文化財
五輪塔 - 花崗岩製、総高2.3m。境内の奥にあり、1978年(昭和53年)8月1日に大阪府指定有形文化財となっている。「元亨辛酉七月十五日金剛佛子定盛」の銘があり、元亨元年(1321年)の建立と判明する。

○札所
摂津国三十三ヶ所第23番
観音堂の本尊聖観音が札所本尊となっている。

○交通アクセス
JR京都線 茨木駅から阪急バス忍頂寺行に乗車、忍頂寺小学校前バス停下車 林道竜王山線を徒歩。
大阪府道1号茨木摂津線 (忍頂寺交差点から少し茨木方向へ進む。忍頂寺小学校前バス停付近で林道竜王山線へ進む。)

○所在地
大阪府茨木市大字忍頂寺258

2012-09-29(Sat)

地福寺

地福寺は大阪府茨木市にある浄土宗の仏教寺院。
○歴史
『桑原山地福寺縁起』によれば、孝徳天皇の御代、中臣鎌足により創建。開基は僧慧隠(恵隠・鎌足の長子定恵の師)。 入鹿暗殺を鎌足が練った所といわれ、毎朝天を拝して蘇我氏打倒を祈り、ついに東方の阿武山山腹に光明を得て、その目的を達したという。もと真言宗の寺であったが、衰退し、天正年間(1573~92年)恵誉流念和尚が再興し、浄土宗に転じる。安威川ダム事業により、水没地となるため、西方高台の代替地に移転となり、平成15年(2003年)に新築。縁起に「摂州嶋下郡桑原山地福寺は大織冠鎌足大臣の草創なり。本尊は千手大悲観世音菩薩長弐尺五寸、両脇は不動、毘沙門いずれも春日明神の御作なり。又、鎌足大臣親筆の影像あり。中尊は鎌足大臣、左は定恵和尚、右は淡海公なり。」とあり、千手千眼観音立像と大織冠像が遺されている。 現在、阿弥陀如来を本尊とす。

○文化財
・石造五重塔 
「敬白 奉立石塔一基 冶徳参年(1308年)参月十九日 願主比丘尼生阿□□」と、基礎正面に4行の造立銘がある。 地上高2m、初重四面に舟型に掘り込んだ中に如来形の座像が刻まれた、地元の花崗岩で造られた鎌倉時代の作。 大阪府有形文化財(建造物)(昭和56年6月1日指定)

・天正九年(1581年)銘十三仏板碑
地上高113cm、幅64cm、厚30cm。 板状舟形の地元の花崗岩に、頂上に天蓋を頂く虚空蔵、その下に3体ずつ4段に仏が刻まれている。 市内唯一の十三仏で、茨木市指定有形文化財(工芸)(平成12年5月1日指定)

・天正八年(1580年)銘六地蔵板碑
地上高116cm、幅63cm、厚27cm。 上部に弥陀、下2段に六地蔵座像を刻む。 外枠左右に「天正八庚辰 施主」・「十一月廿四日」と刻銘。 茨木市指定有形文化財(工芸)(平成12年5月1日指定)

・木造千手千眼観音立像(南北朝時代)
観音堂の春日厨子内に、不動明王と昆沙門天の脇侍をしたがえて安置され、かっては本像が本尊であったとみられる。 針葉樹材による寄木造で、玉眼を嵌入。像内脚部背面に康正3年(1457年)、大仏師大宮法眼院芸が修理したとの墨書銘が確認されている。像高86.1cm。

・紙本著色大織冠像(室町時代)
上部に3面の神鏡、緞帳と御簾が掛かる神殿風の設定の中に、中央に大織冠(藤原鎌足)、その左手側に長男の定慧、右手側に次男の不比等が配される。地福寺の寺伝では鎌足自筆とする。89.0×41.2cm。 

○行事
春秋彼岸会(3月、9月)
盆施餓鬼(8月3日)
十夜会(11月中旬)

○所在地
大阪府茨木市桑原33-15

2012-09-29(Sat)

大門寺

大門寺は大阪府茨木市大門寺にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は神峯山。院号は金剛院。本尊は如意輪観世音菩薩(秘仏)。本尊像と四天王像はともに平安時代の仏像で重要文化財に指定されている(1987年指定)。紅葉の名所としても知られている。
○歴史
寺伝によれば宝亀2年(771年)に開成皇子の開基とされる。当初は寺号を青龍寺と称していた。その後、空海がこの地を来訪し、安居九旬に及んで、その際に金剛・蔵王の2像を彫刻し、大門寺の守護神としたという。開成皇子は光仁天皇の皇子とされるが、その事績については伝説的部分が多く、判然としていない。したがって、上記寺伝についてもどこまで史実を伝えるものかは明らかでないが、大阪府北部の山間部には大門寺以外にも箕面市の勝尾寺、高槻市の神峯山寺など、開成皇子開基伝承をもつ寺院が点在することは注意される。貞観年間(859年~877年)には、本堂・無量寿堂・御影堂・三重塔・鎮守十二社権現拝殿・白山権現・護摩堂・中門・弁才天・経蔵・千手堂・楼門・奥院・薬王寺などの諸堂を境内に有し、隆盛を極めていたと伝えられる。平安時代末期~鎌倉時代中期の約100年間には、経尊と長賢が願主となり一切経書写が行なわれ、北摂を中心とした近隣諸国の善男善女の経済的な支援があった。現在では77巻のみが現存している。壮大な伽藍も建久の地震・元弘の兵火により、荒廃した。現在の伽藍は中興開山快我上人空寿により江戸時代初期に再建された。そのころより光明講・観音講・山上講などの講社を持ち、祈願寺としても信仰を集めた。また、江戸時代中期に歌人似雲法師が大門寺第8世住職守詮と親交があり、大門寺へ逗留して歌を詠み、また如意輪講式などいくつかの講式を書写している。

○境内
境内の南西の高塚の頂上に常陸大明神と書かれた木村常陸介重茲の墓がある。木村常陸介は豊臣秀次の重臣で、武生(福井県)の城主となったが、主君豊臣秀次が高野山で自害した後を追い、大門寺で切腹した。その時の血染めの経帷子や刀・槍が保存されている。

○文化財
・重要文化財
木造如意輪観音坐像
木造四天王立像
○札所
摂津国八十八箇所霊場 第50番札所
摂津国三十三箇所 第24番札所

○年中行事
修正会  1月1日
初観音  1月18日
星祭   2月3日
花祭   4月8日
施餓鬼会 8月18日

○所在地
大阪府茨木市大門寺

2012-09-29(Sat)

極楽寺

極楽寺は大阪府茨木市長谷にある浄土宗の寺院。山号は西方山。院号は往生院。本尊は、阿弥陀如来。
○歴史
寺伝によると、延宝8年(1680年)月頓上人の開基と伝わる。

○伽藍
本堂
山門
地蔵尊
子安地蔵尊

○所在地
〒568-0088 大阪府茨木市大字長谷140-1

○交通アクセス
JR茨木駅・阪急京都本線茨木市駅から81系統「忍頂寺」下車、139系統乗り換え「稲葉圧」下車すぐ


2012-09-29(Sat)

教誓寺

○歴史
教誓寺は大阪府茨木市安元にある真宗大谷派の寺院。山号は、安元山歴史 [編集]創建不詳。文化14年(1817年)鹿波(石川県)の妙覚寺僧侶信明が入山し、中興となり再建。天保12年(1841年)本山の許可を得て、本尊及び親鸞聖人絵像他三幅を拝受し寺院となる。昭和3年(1928年)罹災し、昭和7年(1932年)、門徒の協力により再建。

○所在地・アクセス
〒568-0084 大阪府茨木市大字安元92
JR京都線 茨木駅または阪急京都本線 茨木市駅から阪急バス89系統「安元」下車すぐ
バス停からの細い路地を通る道があるが、雑木が生い茂って通行困難なため、西側へ200mほど迂回した車道から行くのがよい。本尊は、阿弥陀如来。

2012-09-29(Sat)

安住寺

安住寺は、大阪府茨木市に所在する日蓮正宗の寺院。山号は快楽山。
○起源と歴史
1962年(昭和37年)5月19日 - 建立される。開基は日蓮正宗大石寺第66世法主日達上人。
○所在地
大阪府茨木市西中条町2番43号

○交通アクセス
東海道本線茨木駅から徒歩1分


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2012-09-28(Fri)

台風17号の動きが気になる

台風17号が本州に直撃するらしい。それも来週の月曜日(早ければ日曜日くらい)から近畿にも影響が出るらしい。


今度の週末は中秋の名月だそうだ。この調子だと満月が見れるかどうか怪しいね。

2012-09-26(Wed)

上街道

上街道は、江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還(街道)。「木曽街道」、「名古屋往還」とも呼ばれていた。

○概要
江戸時代に尾張藩が独自に作った街道で、名古屋城下の東片端(現在の愛知県名古屋市東区)から中山道の伏見宿(現在の岐阜県可児郡御嵩町)までを結んでいた。総距離は、10里8丁(約40km)。途中3つの宿場町があった。名古屋から楽田追分(現在の愛知県犬山市)までは稲置街道とルートが重複している。軍事的な事情から、大きな川に橋がない・升形が多い・2間幅であるなど、五街道に準じた道の作りになっている。現在の国道41号や名鉄小牧線・名鉄広見線に相当する。

○名称の由来
「上街道」の名称は、当時同じように中山道と名古屋城下を結んでいた下街道との対比によるものである。「木曽街道」の名称は、中山道が木曽地方に通じていたことから名付けられた。これらの他に小牧宿を通ることから「小牧街道」、小牧宿に尾張徳川家の別荘があり、藩主の往来があったことから「御殿様街道」とも呼ばれていた。また、楽田追分までは「稲置街道」と呼ばれることの方が多く、稲置街道が名古屋と犬山を結ぶことから「名古屋往還」「犬山街道」とも呼ばれた。

○宿場・追分
下街道)札の辻(愛知県名古屋市中区)
東片端(現在の地名表記では「泉1丁目」)(愛知県名古屋市東区)下街道と分岐
味鋺の湿地帯を避けるために、勝川で下街道と分岐する別ルートがある。
上街道始点:名古屋城東大手門(愛知県名古屋市東区)
1.宿場:小牧宿(愛知県小牧市)
追分:楽田(愛知県犬山市)稲置街道と分岐
2.宿場:善師野宿(愛知県犬山市)
3.宿場:土田宿(岐阜県可児市)
上街道終点:太田の渡し(岐阜県可児市)中山道と合流
渡し場が土田にあった頃は土田宿が終点だった。時代が下るにつれ渡し場は東に移動し、今渡が終点となる。
(中山道)伏見宿(岐阜県可児郡御嵩町)

2012-09-26(Wed)

市川街道

市川街道とは、青森県八戸市内の街道。
○概要
藩政時代、八戸城惣門から新荒町を通り、盛岡藩領境 三戸郡下市川村(現 八戸市市川町)へ至る八戸藩の脇街道。経路は北浜街道と重複する。

○宿場・伝馬継所
八戸城下(八日町)

2012-09-26(Wed)

今泉街道

今泉街道は、岩手県一関市と同県陸前高田市を結ぶ街道。別称 気仙街道。

○概要
藩政時代、奥州街道の山目宿から東に分岐した仙台藩領の脇往還で、笹ノ田峠を越えて今泉に至る。

○宿場
山目宿 (岩手県一関市)
松川宿 (岩手県一関市)
長坂宿 (岩手県一関市)
摺沢(すりさわ)宿(岩手県一関市)(旧 東磐井郡大東町)
大原宿 (岩手県一関市)(旧 [東磐井郡大東町)
今泉宿 (岩手県陸前高田市)

○峠
笹ノ田峠(一関市-陸前高田市)

2012-09-26(Wed)

五日市街道

五日市街道は、東京都の北多摩・西多摩地域を通る街道。現在の東京都道7号杉並あきる野線の本線とほぼ一致する。
○概要
徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された街道。初期には「伊奈道」と呼ばれ、伊奈(五日市より少し東にある集落)の石材を扱っていた石工が江戸城修築のため江戸へ行き来するための道として発展したが、修築が終わり木炭輸送が主流になるにつれ伊奈と五日市の重要性が逆転した。武蔵野台地の新田開発が進むと、多摩地域と江戸を結ぶ街道の一つとして発展した。

○旧道
都道7号とほぼ一致するとはいえ、新道に変更された区間も一部に存在している。

○起点付近
現在は高円寺駅の南にある「五日市街道入口」交差点を起点とし青梅街道から分岐しているが、これは1999年(平成11年)に開通した新道で、それまでは100mほど西の交差点が起点であった。大法寺前で新旧道が合流する。

○七曲り
杉並区成田東二丁目から高井戸東四丁目にかけての善福寺川付近を通る区間は、かつて「七曲り」と呼ばれた難所で、蛇行する旧道の真ん中を緩いカーブを描く現道が貫いている。細切れになった旧道は生活道路として残されている。

○千川上水・玉川上水
武蔵野市から小平市にかけての千川上水・玉川上水沿いは、水路の両岸に道がある。そのうちどちらが街道本線であったかは時代によって異なる。現道は小平十小北交差点で左に折れて玉川上水から離れるが、旧道は300mほど直進してからクランクを描いて合流する。


2012-09-26(Wed)

岩城街道

岩城街道は、陸奥国南部の奥州街道沿いの地域(現在の中通り地方中部)と同国の磐城平を結ぶ街道である。磐城街道とも呼ばれる。また、陸前浜街道の水戸以北を同名で呼ぶことがある。

○概要
現在の福島県中通り地方中部と浜通り地方南部を結ぶ。阿武隈高地を東西に横断する。現在の交通路では磐越東線がほぼ近い経路をとって地域同士を結ぶほか、磐越自動車道、国道49号も経路が異なる箇所があるものの、中通り中部の中心都市、郡山市と浜通り南部の中心都市、いわき市を結んでいる。また、当街道は、奥州街道沿いの起点が複数あった。

○宿場
・郡山起点
郡山宿(福島県郡山市)
三春(福島県田村郡三春町)

・日和田起点
日和田宿(福島県郡山市)
三春(福島県田村郡三春町)

・須賀川起点
須賀川宿(福島県須賀川市)
守山宿(福島県郡山市)
赤沼宿(福島県郡山市)
三春(福島県田村郡三春町)

・本宮起点
本宮宿(福島県本宮市)
三春(福島県田村郡三春町)

○その他
本街道と陸前浜街道の交差する御厩宿付近(現在の福島県いわき市好間町)には、岩城氏の本拠地、大館城があった 。1885年、当街道の区間が当時の仮定県道二等路線に指定され、1920年には福島県道郡山小野新町線と同小野新町平線に指定された。これらは現在の国道49号の前身である。

2012-09-26(Wed)

岩崎街道

岩崎街道は、岩手県花巻市と同県北上市を結ぶ街道。
○概要
幕政時代、陸奥国和賀郡の奥州街道花巻宿から岩崎までの盛岡藩の脇街道。明暦3年(1657年)、盛岡藩主南部重直による直命によって改修される以前の、奥州街道ができるまで本街道と呼ばれていた古道。奥州街道と岩崎街道を分岐する地点が花巻市の南城小学校校庭にあり、今でも松並木が残っている。

○宿場・伝馬継所
花巻宿
岩崎

2012-09-26(Wed)

浦賀道

浦賀道は、浦賀へと到る東海道の脇往還(街道)である。保土ヶ谷宿と戸塚宿より延びる2本の道があり、三浦半島各地へ向かうための交通路として利用されていた。浦賀街道とも呼ばれる。

○歴史
771年(宝亀2年)に武蔵国を編入するまで東海道は三浦半島から対岸の上総国へ抜けており、鎌倉~馬掘付近の経路は後の浦賀道(鎌倉道)と重なる。鎌倉時代には鎌倉から三浦半島へ通じる唯一の道として重要視されていた。また保土ヶ谷からの道は鎌倉時代に開かれたとされる。江戸時代に入ると江戸湾口に位置する浦賀が発展し、街道の重要度も増していく。江戸湾に入る船舶の監視を行っていた下田奉行が享保5年(1720年)に浦賀へ移転すると、幹線道路として整備された。特に黒船来航など外国船がしばしば来訪した幕末は人馬の往来が盛んであった。明治に入ると横須賀が軍港として発展し、横須賀鎮守府などへのアクセスに利用されるようになる。横須賀市街から北の区間は1879年(明治12年)に県道、1887年には国道45号に指定された。この道は1920年(大正9年)に国道31号、1952年(昭和27年)には現在の国道16号となっている。また1897年には横須賀から浦賀へ到る乗合馬車、1913年には乗合バス路線が開通した。しかし海岸線が複雑な横須賀市内の区間では険しい山道となるなど不便であり、金沢と横須賀や浦賀を結ぶ海運も利用されていた。軍港が拡張されると横須賀が航路から外れるが、1889年に横須賀駅へ至る鉄道(現横須賀線)が開通し、主要な交通路となる。さらに1891年には地元の有力者により吉倉トンネル(現在の新逸見トンネル)が開通、大正期に入ると船越・浦郷・田浦と現在国道16号となっている道路トンネルの開通が相次ぎ、浦賀道はその役割を失っていった。現在も幹線道路となっている区間はほとんどない。ただ横須賀市はかつて道筋の一部に「横須賀古道散歩」と称する案内版を設置している。

○地理
保土ヶ谷宿から東京湾側の六浦湊、横須賀を経由する道と戸塚宿から相模湾側の鎌倉、葉山を経由する道があり、前者の六浦以北は金沢道、また後者は鎌倉道とも呼ばれた。

・保土ヶ谷より
保土ヶ谷宿からは東京湾側を南下する。金沢までは並行する京急本線や国道16号より内陸部を通過していた。なお、この付近の国道16号は現在横須賀街道と呼ばれている。六浦では鎌倉へ向けて朝比奈切通しを越え半島の付け根を横断する六浦道が接続した。六浦から横須賀へは海岸線近くまで山地が迫る急峻な地形で、十三峠などの険しい峠道や尾根筋を越えて民家が並ぶ谷戸の間を結んだ。現在では国道が何本ものトンネルを抜けて走り、かつての道は宅地造成などで消滅している箇所も見られる。現在の横須賀市中心街近くを過ぎると、県立大学駅付近から京急本線沿いに平地を進むようになる。このあたりは埋立てが行われる以前の海岸線近くであり、陣屋が設けられていた大津で戸塚・鎌倉方面からの道が合流する。馬堀から最後の難所となる矢の津坂を越えると浦賀へと到り、さらに三崎へと続く三浦往還が延びていた。

・戸塚より
戸塚からは東海道本線、横須賀線と並行する経路をとり、鎌倉へと南下する。鎌倉の雪下(鶴岡八幡宮付近)では六浦道や藤沢宿、江ノ島へ向かう道が接続し、名越切通しを抜けて葉山方面へと進む。葉山大道では引き続き相模湾側を南下し三崎へ向かう三崎道が分岐し、東へと進路を変える。その後は半島を横断し、衣笠駅付近を経由して大津で上記の経路に合流する。鎌倉前後の切通しや半島中央部の三浦丘陵を越える道のりとなるものの、横須賀以北の山道を避けてかこちらの道が一般的だったようである。浦賀奉行も江戸との往来に利用したとされる。

○宿場
宿場に相当する施設として人馬の継立てを行う継立場が設置されており、近隣の村は助郷に指定されていた。

・保土ヶ谷から
町屋村(横浜市金沢区)
横須賀村
・戸塚から
雪下村(鎌倉市)
小坪村(逗子市)
下平作村(横須賀市平作付近)

2012-09-26(Wed)

羽州街道

羽州街道は江戸時代に整備された脇往還の1つである。

○概要
奥州街道の延長である仙台道から陸奥国の桑折宿(福島県伊達郡桑折町)で分かれ、小坂峠を越えて仙台藩南西部の山中に入り、奥羽山脈の金山峠を越えて出羽国(山形県・秋田県)に入る。ここから出羽国(羽州)を縦断し、矢立峠を越えて再び陸奥国に入って、油川宿(青森県青森市)で仙台道の延長である松前道に合流する街道である。現在の国道113号・国道13号・国道7号などに相当する。途中、六郷宿から綴子宿にかけて、久保田を経由する下街道と角館・阿仁を経由する上街道(角館街道、大覚野街道)に分岐しており、下街道がより重要とされていた。参勤交代の際に利用した藩は13藩(上山藩、山形藩、天童藩、長瀞藩、新庄藩、庄内藩、出羽松山藩、矢島藩、本荘藩、亀田藩、久保田藩、黒石藩、弘前藩)。他の多くの街道と同様、江戸時代には統一された名称は無く、地域や進行方向によって「小坂通り」「最上道」「秋田道」「下筋街道」「碇ヶ関街道」など様々な呼び方をされていた。 また、久保田藩主の佐竹氏が特に整備に注力した事から、「佐竹道」と称された地域もあった。

○宿場
本宿58駅(62駅という説もある)。宿場の名が地名に残っている場合、市町村名以下も記載する。

・福島県内
桑折宿(伊達郡桑折町)-仙台道追分
小坂宿(伊達郡国見町小坂)

・宮城県内
仙台藩(現・宮城県)内の羽州街道は奥羽山脈の谷筋や高原地帯を通り、かつ、沿道に7つの宿場町があったため、同藩内では「山中通小坂越」「山中七ヶ宿街道」「七ヶ宿街道」と呼ばれた。沿道にある現・七ヶ宿町は同街道名に由来する。福島藩から小坂峠を越えて仙台藩に入ると最初にある宿場町・上戸沢宿の辺りは仙台平と呼ばれ、現在は白石市小原字仙台平として地名が残る。「七ヶ宿街道」の現在の道筋は、下戸沢宿までが宮城県道・福島県道46号白石国見線にあたり、その先で国道113号となり、湯原宿を過ぎると七ヶ宿町追分で山形県道・宮城県道13号上山七ヶ宿線となって、金山峠を越えて上山藩に入る。なお、七ヶ宿町追分で国道113号をそのまま行って二井宿峠を越えると米沢藩に入る。
上戸沢宿(白石市小原上戸沢)-仙台平にある
下戸沢宿(白石市小原下戸沢)
渡瀬宿(刈田郡七ヶ宿町)-七ヶ宿ダム建設により水没
関宿(刈田郡七ヶ宿町関)
滑津宿(刈田郡七ヶ宿町滑津)
峠田宿(刈田郡七ヶ宿町峠田)
湯原宿(刈田郡七ヶ宿町湯原)
〈間宿〉干蒲宿(刈田郡七ヶ宿町干蒲)

・山形県内
〈間宿〉金山宿(上山市金山)
楢下宿(上山市楢下)
上山宿(上山市)
〈間宿〉黒沢宿(山形市黒沢)
松原宿(山形市松原)
山形宿(山形市)
天童宿(天童市)-土生田宿までを村山六ヶ宿と称する
〈間宿〉六田宿(東根市六田)
〈間宿〉宮崎宿(東根市宮崎)
楯岡宿(村山市楯岡)
〈間宿〉本飯田宿(村山市本飯田)-土生田宿との合宿(21日から月末まで担当)
〈間宿〉土生田宿(村山市土生田)-本飯田宿との合宿(月初から20日まで担当)
尾花沢宿(尾花沢市)
名木沢宿(尾花沢市名木沢)
舟形宿(最上郡舟形町)
新庄宿(新庄市)
金山宿(最上郡金山町)
〈間宿〉中田宿(最上郡金山町中田下中田)
及位宿(最上郡真室川町及位旧及位)
秋田県内 [編集]下院内宿(湯沢市下院内)
横堀宿(湯沢市横堀)
湯沢宿(湯沢市)
岩崎宿(湯沢市岩崎)-沼館街道追分
横手宿(横手市)
金沢宿(横手市金沢本町、一部仙北郡美郷町金沢)
六郷宿(仙北郡美郷町六郷)-上街道分岐
大曲宿(大仙市大曲)-花館宿との合宿(半月交替)、沼館街道追分
花館宿(大仙市花館)-大曲宿との合宿(半月交替)
神宮寺宿(大仙市神宮寺)-北楢岡宿との合宿(上半月担当)
北楢岡宿(大仙市北楢岡)-神宮寺宿との合宿(下半月担当)
刈和野宿(大仙市刈和野)
上淀川宿(大仙市協和上淀川)
境宿(大仙市協和境)
和田宿(秋田市河辺和田)-豊島宿との合宿(半月交替)
豊島宿(秋田市河辺戸島)-和田宿との合宿(半月交替)
久保田宿(秋田市)
土崎湊宿(秋田市土崎港)
大久保宿(潟上市昭和大久保)-下虻川宿との合宿(半月交替)
下虻川宿(潟上市飯田川下虻川)-大久保宿との合宿(半月交替)
大川宿(南秋田郡五城目町大川大川)-一日市宿との合宿(半月交替)
一日市宿(南秋田郡八郎潟町一日市)-大川宿との合宿(半月交替)
鹿渡宿(山本郡三種町鹿渡)
森岡宿(山本郡三種町森岳)-豊岡宿との合宿(半月交替)
豊岡宿(山本郡三種町豊岡金田)-森岡宿との合宿(半月交替)
檜山宿(能代市檜山)
鶴形宿(能代市鶴形)
飛根宿(能代市二ツ井町飛根)
荷上場宿(能代市二ツ井町荷上場)
小繋宿(能代市二ツ井町小繋)
今泉宿(北秋田市今泉)
前山宿(北秋田市前山)
坊沢宿(北秋田市坊沢)
綴子宿(北秋田市綴子)-上街道合流
川口宿(大館市川口)
大館宿(大館市)
釈迦内宿(大館市釈迦内)
白沢宿(大館市白沢)

・青森県内
碇ヶ関宿(平川市碇ヶ関)
大鰐宿(南津軽郡大鰐町)
弘前宿(弘前市)
藤崎宿(南津軽郡藤崎町)
浪岡宿(青森市浪岡)
新城宿(青森市新城)
油川宿(青森市油川) - 松前道合流

○関所
戸沢関
及位関
院内関
碇ヶ関

○一里塚
名称 所在地 植えられていた樹 現存 備考
滑津 宮城県 刈田郡七ヶ宿町 樟
金山 山形県上山市
楢下 山形県上山市 槐 再現
皆沢 山形県上山市
長清水 山形県上山市
漆山 山形県山形市
天童 山形県天童市
猿羽根山 山形県最上郡舟形町 片側 舟形町史跡
紫山 山形県最上郡舟形町 片側 舟形町史跡
鳥越 山形県新庄市 ? 片側 新庄市史跡
主寝坂 山形県最上郡真室川町 栗、漆
沓懸 秋田県湯沢市
上院内 秋田県湯沢市
吹張 秋田県湯沢市 槻 片側 秋田県史跡
杉沢 秋田県湯沢市
古内 秋田県横手市
大橋 秋田県横手市 梨
美砂古 秋田県横手市 栗
横手 秋田県横手市
杉目杉沢 秋田県横手市 欅
金沢 秋田県横手市 桜、漆
野荒町 秋田県仙北郡美郷町
六郷 秋田県仙北郡美郷町 欅、?莢 片側 美郷町史跡
角間川追分 秋田県大仙市
大曲 秋田県大仙市 ?莢
花館 秋田県大仙市
小豆沢 秋田県大仙市
三本杉 秋田県大仙市 ?莢 両側 秋田県史跡
刈和野 秋田県大仙市
善知鳥坂 秋田県大仙市
淀川 秋田県大仙市
船岡 秋田県大仙市
船沢 秋田県大仙市
神内 秋田県秋田市
二ノ渡(中の渡)秋田県秋田市
牛島 秋田県秋田市
八橋 秋田県秋田市 榎
土崎 秋田県秋田市
追分 秋田県秋田市
大清水 秋田県秋田市
大久保 秋田県潟上市
岡飯塚 秋田県潟上市
夜叉袋 秋田県南秋田郡八郎潟町
天瀬川 秋田県山本郡三種町 榎 標石 江戸から152里
山谷 秋田県山本郡三種町 松 標柱
赤坂新屋敷 秋田県山本郡三種町 標石
林崎 秋田県山本郡三種町
金光寺 秋田県山本郡三種町 標柱
大森柏原 秋田県能代市
檜山 秋田県能代市 標柱 松は近年の植樹
鴨巣 秋田県能代市 黒松、黒松 両側 秋田県史跡
芹沢(造り坂) 秋田県能代市 松
飛根(駒形) 秋田県能代市
切石 秋田県能代市 千手
荷上場(諏訪森) 秋田県能代市
小繋(六文坂) 秋田県能代市
坊沢 秋田県北秋田市 標柱
綴子(大堤)秋田県北秋田市 杉 片側 秋田県史跡
長坂 秋田県大館市 松 片側
岩瀬 秋田県大館市
立花(うわばみ沢) 秋田県大館市
片山 秋田県大館市
釈迦内(立子石) 秋田県大館市
冷水 秋田県大館市
松原向? 秋田県大館市
たもぎ沢 秋田県大館市
馬殺坂 秋田県大館市 片側
松木平 青森県弘前市 標柱

○峠
小坂峠-小坂・上戸沢間
金山峠-干蒲・金山間
花立峠-上山・黒沢間
猿羽根峠-名木沢・舟形間
上台峠-新庄・金山間
森合峠-金山・中田間
主寝坂峠-中田・及位間
院内峠 - 及位・院内間
善知鳥坂、二丁坂 - 境・和田間
諸見峠(諸見坂、物見坂)-鶴形・飛根間
烏峠-飛根・荷上場間
郭公坂、馬上坂、畜生坂-荷上場・小繋間
薬師峠-小繋・綴子間
矢立峠-白沢・碇ヶ関間
山ノ神峠-大鰐・弘前間
大釈迦峠(津軽坂、鶴賀坂)-浪岡・新城間

○上街道
草峠
大覚野峠

○史跡指定
羽州街道の楢下宿(山形県上山市大字楢下小)および金山越(山形県上山市大字金山)は、1997年(平成9年)9月11日、国の史跡に指定されている。

○別経路
米沢藩は羽州街道を使わず、ほぼ現在の奥羽本線に沿い板谷峠を越えて福島市に出る経路をとっていた。この経路は米沢街道と呼ばれ、米沢から江戸に到るにはより近道であるが、羽州街道を使用しなかった理由を仙台藩との折り合いが悪さに求める説もある。享保16年(1731年)の地震で小原の材木岩(下戸沢宿・渡良瀬宿間)が崩落した際、出羽各藩は一時期奥州街道の宮宿(宮城県刈田郡蔵王町)から分岐し笹谷峠を越え山形宿に至る経路を利用したことがある(笹谷越え出羽街道)。


2012-09-26(Wed)

羽州浜街道

羽州浜街道は、出羽国の沿岸部を南北に連絡する街道である。酒田宿より南では越後街道、北では酒田街道とも呼ばれる。北国街道鼠ヶ関から延長する形で北上し、羽州街道久保田宿に到る。現在の国道7号にほぼ相当する。参勤交代に利用した藩はなく、商人や出羽三山参詣者などが主な利用者だった。松尾芭蕉も「奥の細道」行脚時に利用している。

○宿場
鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市鼠ヶ関)
温海宿(山形県鶴岡市温海)
大山宿(山形県鶴岡市大山)
浜中宿(山形県酒田市浜中)
酒田宿(山形県酒田市)
吹浦宿(山形県飽海郡遊佐町吹浦)
金浦宿(秋田県にかほ市金浦)
本荘宿(秋田県由利本荘市)
亀田宿(秋田県由利本荘市)
久保田宿(秋田県秋田市)

○峠
笠取峠-温海・大山間
矢引峠(矢引坂)-温海・大山間
三崎峠-吹浦・金浦間

2012-09-26(Wed)

碓氷関所

碓氷関所は、上野国の中山道の松井田宿と坂本宿の間にあった関所である。江戸時代、箱根関所とともに最も重要な関所とされた。現在の群馬県安中市松井田町にある。その跡地は、群馬県指定文化財に指定されている。

○沿革
関所のおこりは、昌泰2年(899年)醍醐天皇の時代、盗賊を取り締まるために碓氷坂に設けられたのが初見である。江戸期における関所は、もともと中世に関長原(現・安中市松井田横川関長)に関所が置かれていた場所の近くに仮番所が作られた。より地形的に堅固な上横川に関所が作られ、宝永5年(1708年)7月に碓氷関所と称した。関所の警固は、元和2年(1616年)井伊直勝が任命されたのが始まりで、代々安中藩主が務めていた。番頭2名、平番3名、同心5名、中間4名、箱番4名、女改め1名が詰めていた。街道東西にそれぞれ門があり、東門を安中藩が、西門は幕府所轄であり「天下門」と呼ばれた。1869年(明治2年)の太政官布告により他の関所とともに廃止された。

○史跡指定
1955年(昭和30年)1月14日、群馬県指定文化財に指定された。1959年(昭和34年)1月、東京大学教授工学博士藤島亥治郎設計により柱や門など当時の部材を使って東門が復元された。ただし、当時の場所ではなく、番所の跡に復元された。当時の関所の建物は現存しない。域内に碓氷関史料館がある(見学要予約、平日のみ)。
おじぎ石-ここで旅人が役人におじきをして通行手形を差し出して通行の許可を受けたところ。

○所在地
群馬県安中市松井田町横川
JR信越本線横川駅徒歩5分。
碓氷峠鉄道文化むらのぶんかむら駅を出たトロッコ列車は、関所前に停車し、テープにより関所のアナウンスがある。

○催事
毎年5月第2日曜日、「安政の遠足」が行われる日に、同時に関所祭りが催される。

2012-09-26(Wed)

因幡街道

因幡街道は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、播磨国姫路(兵庫県姫路市)を始点として、因幡国鳥取(鳥取県鳥取市)に至る路線である。現在の国道2号、国道29号、国道179号、国道373号、兵庫県道724号姫路新宮線にほぼ対応している。

○宿場
姫路(兵庫県姫路市)
1.飾西宿(兵庫県姫路市)
2.觜崎宿(兵庫県たつの市)
3.千本宿(兵庫県たつの市)
4.三日月宿(兵庫県佐用郡佐用町)
5.平福宿(兵庫県佐用郡佐用町)
6.大原宿(岡山県美作市)
7.坂根宿(岡山県美作市)
8.駒帰宿(鳥取県八頭郡智頭町)
9.智頭宿(鳥取県八頭郡智頭町)
10.用瀬宿(鳥取県鳥取市)
11.河原宿(鳥取県鳥取市)
鳥取(鳥取県鳥取市)

○智頭往来
志戸坂峠を越えるルート(現在の国道373号線にほぼ相当)は、江戸時代には鳥取藩の参勤交代に用いられた。智頭宿周辺や篠坂地区、中原地区、樽見(大字福原)地区、駒帰地区は往時の面影を残しており、中原、樽見、駒帰地区の約2.5キロメートルは2008年、国の史跡「智頭往来 志戸坂峠越」に指定された。



2012-09-26(Wed)

稲置街道

稲置街道は、江戸時代に名古屋城下と犬山城下を結んだ脇往還(街道)。「犬山街道」とも呼ばれる。

○概要
名古屋から楽田追分までは上街道とルートが重複している。犬山城下を過ぎてからは木曽川を渡って中山道の鵜沼宿(現在の岐阜県各務原市)にまで街道が至っている。犬山城から楽田追分まで道を開いて上街道に接続させた事がこの街道の始まりである事から、楽田追分-鵜沼宿を稲置街道とする説もある。

○名称の由来
「稲置」とは、当時街道沿いにあった村の名称(「稲置村」、現・犬山市)から付けられた。

○宿場・追分
下街道札の辻(愛知県名古屋市中区)
東片端(現在の地名表記では「泉1丁目」)(愛知県名古屋市東区)下街道と分岐
味鋺の湿地帯を避けるために、勝川で下街道と分岐する別ルートがある。
稲置街道始点:名古屋城東大手門(愛知県名古屋市東区)
1.宿場:小牧宿(愛知県小牧市)
追分:楽田(愛知県犬山市)上街道と分岐
2.宿場:犬山宿(愛知県犬山市)
稲置街道終点:中山道鵜沼宿(岐阜県各務原市)

2012-09-26(Wed)

伊勢参宮街道

伊勢参宮街道は、日本の各方面から伊勢神宮への参拝道として整備された街道のことである。伊勢街道・伊勢本街道・参宮街道と呼ばれる。
○旧街道
近代以前のかつての街道は次のとおり。とくに広義としての伊勢街道の名称は各街道でも用いられるので注意を要する。 (伊勢街道(○○街道)と用いられることが多い) 狭義としては下記のように用いられる。
伊勢街道: 日永の追分から東海道と別れ、伊勢にいたる街道。国道23号として1952年(昭和27年)に整備され、松阪市以南は現在、三重県道428号伊勢小俣松阪線。
伊勢本街道: 大坂・玉造稲荷神社から各所を経由し、奥津経由で最終的に伊勢にいたる街道。
参宮街道: 桜井で初瀬街道と分かれ、大宇陀経由で伊勢にいたる街道。
支道
伊勢別街道: 関宿東の追分で東海道と分岐、椋本宿(津市)を経由し、江戸橋で伊勢街道に合流する。窪田宿には高田本山専修寺の寺内町である一身田がある。
初瀬街道: 桜井で参宮街道、榛原で伊勢本街道と分かれ、あお越え(青山高原)を経由し、六軒で伊勢街道に合流する。1953年(昭和28年)に大部分が国道165号として整備された。
和歌山街道: 和歌山から吉野を経由、参宮街道と合流・分岐し、松阪に至る街道。
竹内街道: 飛鳥時代からの古道。 江戸時代以降は伊勢本街道の一部として機能した。1974年(昭和49年)に羽曳野市以東が国道166号へ指定(区間:堺市-羽曳野市-葛城市)
横大路: 飛鳥時代からの古道。 元は竹内街道・長尾街道交点付近と藤原京を結ぶ古道であったが、江戸時代以降は伊勢本街道の一部として機能した。
暗越奈良街道: 奈良時代からの古道。 江戸時代以降は、伊勢本街道の一部として機能した。1970年(昭和45年)に大部分が国道308号に指定。(区間:大阪市-生駒市-奈良市)
上街道:飛鳥時代からの古道で、古くは上ツ道とも呼ばれた。奈良から天理市を経て桜井市で初瀬街道と合流する。
清滝街道:行基道とも呼ばれ、守口宿から清滝峠を越えて東へ進む街道。 木津町で奈良街道と合流・木津川を越えて山城町に至り、伊賀街道に接続する。
伊賀街道:伊賀越奈良道とも呼ばれ、奈良から大和街道を通り、伊賀国を経て津に至る街道。 上野の赤坂で大和街道と分岐、大山田から長野峠を越え前田宿(片田宿)を経由、津の塔世橋南詰で伊勢街道に合流。1608年(慶長13年)津城に藤堂高虎が伊勢・伊賀両国22万石の大名として入城してから藩内の重要路として整備が進んだ。1993年(平成5年)までに大部分が国道163号となった。
奈良街道:五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐、久居城下を経て雲出川を渡り、月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流。こちらにも伊賀越奈良道の別名がある。
伊勢路:伊勢神宮から、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道。

○国道・都道府県道
現在においては、下記の道路およびその旧道が 伊勢参宮街道・伊勢街道・参宮街道 と呼ばれる。
国道23号: (区間:四日市市-松阪市-伊勢市)
三重県道22号伊勢南島線: (伊勢市内)
国道166号: (区間:羽曳野市-橿原市-宇陀市-東吉野村-松阪市)
国道368号: (区間:御杖村-松阪市)
国道369号: (区間:奈良市-宇陀市-御杖村-松阪市 (一部国道368号と重複))

2012-09-25(Tue)

大坂町奉行

大坂町奉行は、江戸幕府が大坂に設置した遠国奉行の1つ。東西の奉行所が設置され、江戸町奉行と同様に東西1ヶ月ごとの月番制を取った。初名は大坂郡代(おさかぐんだい)。老中支配下で大坂三郷及び摂津・河内国の支配を目的としていた。
○歴史
元和5年8月22日(1619年)に久貝正俊(東町奉行)・嶋田直時(西町奉行)がそれぞれ役高3000石をもって任じられたのが始まりとされている。水野守信(信古)を初代東町奉行とする説もあったが、今日では否定されている。定員は東西それぞれ1名ずつであるが、元禄年間に堺町奉行を兼務する3人目の奉行が設置された時期もあったが、短期間で終わっている。1000-3000石程度の旗本から選任されることになっていたが、300石からの抜擢例も存在する。奉行には役高1500石及び役料600石(現米支給)が与えられ、従五位下に叙任されるのが慣例であった。奉行所は元々は東西ともに大坂城北西の出入口である京橋口の門外に設置されていたが、享保9年(1724年)の大火で両奉行所ともに焼失した教訓から、東町奉行所は京橋口に再建され、西町奉行所は本町橋東詰の内本町橋詰町に移転された。また、時代が下るにつれて糸割符仲間や蔵屋敷などの監督など、大坂経済関連の業務や幕府領となった兵庫・西宮の民政、摂津・河内・和泉・播磨における幕府領における年貢徴収及び公事取扱(享保7年(1722年)以後)など、その職務権限は拡大されることとなった。

○奉行所の役人
東西各奉行所に、それぞれ与力30騎、同心50人が配属。与力は80石(知行高200石)、同心は10石3人扶持を支給され、屋敷地は与力が500坪、同心は200坪を拝領された。与力は、新人はまず初御目見・御用日見習から始まり、当番所への勤務である「番入」を勤め、与力の末席である定町廻に就く。後は年功序列で、何十年も勤め上げて最上位である諸御用調役まで昇進してゆく。当時の大坂の武士の名鑑『浪華御役録』や『役人鑑』には与力の役職が25前後記されており、1つの役職には2 - 10人ほどの与力が担当となっている。東西奉行所の与力計60人でこれだけの数をまかなえたのは、1つには1人で複数の役職を兼務したことと、もう1つは与力の子を早くに見習身分として出仕させ実務を担当させていたからである。病欠、または囚人を江戸に護送するために大坂を長期間離れる場合、さらには御用多忙により人手が足らなくなる場合も多々あり、そのような時は仮役・定仮役という暫定的な役席を設け、他の与力に仕事を兼務させた。それらの役職の他に、「迎方(むかえかた)与力」という臨時の役職もある。これは新任町奉行を大坂で迎えるための準備をするもので、該当奉行所の古参与力が命じられた。江戸町奉行の役人と同様に、大坂町奉行所の与力も、大名や旗本に便宜を図るため出入り関係を結んでおり、これを「御館入(おたちいり)与力」と呼んだ。大坂の周辺に知行地を持つ大名・旗本の他、大坂に蔵屋敷を置く福岡藩などが御館入与力を出入りさせていた。また、大坂城代の元に出入りしその用を承る与力を、「立入(たちいり)与力」という。

○町奉行の審理
町奉行所に届けられた民事訴訟を審理する日を「御用日」、特に金公事(金銭貸借に関する訴訟)を扱う日を「御金日」と呼んだ。御用日は、毎月2日、5日、7日、13日、18日、21日、25日、27日と月に8回あった。摂津・河内・和泉・播州の四ヵ国の訴訟だけでなく、大坂が全国各地からの物資が流入する拠点であるという性格から西日本の各地からも訴訟が持ち込まれた。

○町奉行の交代
新任奉行が任命された後、それを受けて担当奉行所の与力の中から迎方与力が任命される。迎方与力は諸々の書類と御役所絵図を用意し、東海道筋を下って新任奉行を迎える。それに先んじて奉行の家臣による先乗り部隊が大坂に出向いて屋敷の受け渡しが行われる。そして、奉行が大坂に到着して後、配下となる与力同心を引き取るという形となる。奉行の交代に際して、一方の奉行が空席となった場合、その奉行所の配下の与力同心は、一時的にもう一方の奉行の管理下に入った。

○大坂町奉行の一覧
・東町奉行
1.久貝正俊(1619年-1648年)
2.松平重綱(1648年-1663年)
3.石丸定次(1663年-1679年)
4.設楽貞政(1679年-1686年)
5.小田切直利(1686年-1692年)
6.松平忠固(1692年-1696年)
7.保田宗易(1696年-1699年)
8.中山時春(1699年-1700年)
9.太田好寛(1700年-1711年)
10.桑山一慶(1711年-1712年)
11.鈴木利雄(1712年-1729年)
12.稲垣種信(1729年-1740年)
13.松浦信正(1740年-1746年)
14.小浜隆品(1746年-1754年)
15.細井勝為(1754年-1757年)
16.岡部元良(1757年-1762年)
17.鵜殿長達(1762年-1768年)
18.室賀正之(1768年-1779年)
19.土屋守直(1779年-1783年)
20.小田切直年(1783年-1792年)
21.坂部広吉(1792年-1795年)
22.山口直清(1795年-1798年)
23.水野忠通(1798年-1806年)
24.平賀貞愛(1806年-1816年)
25.彦坂紹芳(1816年-1820年)
26.高井実徳(1820年-1830年)
27.曽根次孝(1830年-1832年)
28.戸塚忠栄(1832年-1834年)
29.大久保忠実(1834年-1836年)
30.跡部良弼(1836年-1839年)
31.徳山秀起(1839年-1842年)
32.水野道一(1842年-1847年)
33.柴田康直(1847年-1851年)
34.川路聖謨(1851年-1852年)
35.佐々木顕発(1852年-1857年)
36.戸田氏栄(1857年-1858年)
37.一色直温(1858年-1861年)
38.川村修就(1861年-1863年)
39.有馬則篤(1863年-1864年)
40.堀利孟(1864年)
41.竹内保徳(1864年)
42.古賀謹一郎(1864年)
43.松平乗撲(1864年-1865年)
44.井上義斐(1865年-1866年)
45.中川忠道(1866年)
46.竹内日向守(1866年-1867年)
47.松本寿大夫(1867年-1868年)
48.松平信敏(1867年-1868年)

・西町奉行
1.嶋田直時(1619年-1634年)
2.曽我古祐(1634年-1658年)
3.曽我近祐(1658年-1661年)
4.彦坂重治(1661年-1677年)
5.嶋田重頼(1677年-1681年)
6.藤堂良直(1681年-1688年)
7.能勢頼相(1688年-1691年)
8.加藤泰貞(1691年-1696年)
9.永見重直(1696年-1701年)
10.松野助義(1701年-1704年)
11.大久保忠影(1704年-1709年)
12.北条氏英(1709年-1724年)
13.松平勘敬(1724年-1738年)
14.佐々成意(1738年-1744年)
15.久松定郷(1744年-1750年)
16.中山時庸(1750年-1755年)
17.桜井政甫(1755年-1757年)
18.興津忠通(1757年-1765年)
19.曲淵景衛(1765年-1769年)
20.神谷清俊(1769年-1775年)
21.京極高主(1775年-1781年)
22.佐野政親(1781年-1787年)
23.松平貴弘(1787年-1797年)
24.成瀬正存(1797年-1801年)
25.佐々間信近(1801年-1808年)
26.斎藤利道(1808年-1814年)
27.荒尾成章(1814年-1820年)
28.内藤矩佳(1820年-1829年)
29.新見正路(1829年-1831年)
30.久世広正(1831年-1833年)
31.矢部定謙(1833年-1836年)
32.堀利堅(1836年-1841年)
33.阿部正蔵(1841年-1843年)
34.久須美祐明(1843年-1844年)
35.永井尚徳(1844年-1849年)
36.中野長胤(1849年-1850年)
37.本多安英(1850年-1852年)
38.石谷穆清(1852年-1854年)
39.川村修就(1854年-1855年)
40.久須美祐儁(1855年-1861年)
41.鳥居忠善(1861年-1863年)
42.松平信敏(1863年-1867年)
43.平岡準(1867年)
44.小笠原長功(1867年-1868年)
45.貝塚典直(1867年-1868年)

○所在地
・東町奉行
大阪市中央区大手前1丁目(大阪合同庁舎1号館の前に石碑がある)
J0010189_20120925183924.jpg


・西町奉行
大阪市中央区本町橋2(マイドームおおさかの前に石碑がある)
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2012-09-25(Tue)

有馬街道

有馬街道は、大阪や神戸から有馬温泉に至る街道の名称である。現在では兵庫県道15号神戸三田線の別称として使用される。有馬道(ありまどう、ありまみち)ともいわれる。
○概要
「有馬街道」「有馬道」と呼ばれた道は歴史的に以下の三つのルートがあった。

1.神崎(尼崎市) - 伊丹(伊丹市) - 小浜(宝塚市) - 生瀬(西宮市) - 有馬温泉。
別名「湯山(湯乃山)街道(ゆのやまかいどう)」。このルートは最も歴史が古く、有馬温泉へ行く天皇や貴族、武家が往来したとされる道。大阪の難波宮が起点だとする説もある。京都からの道筋である西国街道から池田で分岐し小浜でこのルートに合流する道も有馬街道(有馬道)と呼ばれていたようである。また、羽柴秀吉が三木城を攻める(三木合戦)折に、この街道を有馬温泉から三木まで延長整備したことにより、姫路から京都への最短ルートとして利用されるようになり、姫路 - 有馬温泉間も「有馬街道」もしくは「湯山街道」と呼ばれていた。なお、「湯山(ゆのやま)」とは有馬温泉の別名で、有馬温泉の場所が摂津国有馬郡湯山村であったことに由来する。
2.深江(神戸市東灘区)- 雨ヶ峠(六甲山)- 有馬温泉。
別名「魚屋道(ととやみち)」。現在の神戸市道有馬住吉線で、魚問屋が有馬温泉の宿に魚を卸す際に1.の湯山街道を経由して運搬すると、時間がかかるのと継立による運搬費用がかさむため、六甲山を越えるルートで魚を運ぶようになり、道が出来たとされる。阪神電車深江駅の南側にある大日神社から西国浜街道と分岐している。
3.平野(神戸市兵庫区)-天王谷-山田(神戸市北区)-唐櫃(有馬口)-道場(神戸市北区)-三田(三田市)。
現在の兵庫県道15号神戸三田線。(神戸市兵庫区~神戸市北区皆森交差点間は国道428号と重複)明治7年(1874年)に、「天王谷越え」と呼ばれていた山道を、有馬郡役所があった三田まで整備した道。現在、「有馬街道」と言えば3.のルートで、国道28号と国道428号が分岐する神戸市兵庫区の有馬道交差点から国道176号と合流する神戸市北区の日下部交差点までの区間を指すのが一般的である。地図によっては、有馬口交差点を右折して有馬温泉を通り、1.のルートである旧・湯山街道の兵庫県道51号宝塚唐櫃線が国道176号と合流する西宮市の大多田橋交差点までを「有馬街道」としているものもある。また、1.や2.の街道沿いであった地域では、現在でも一部を「有馬街道」もしくは「有馬道」と呼んでいる場合もある。

2012-09-25(Tue)

朝日軍道

朝日軍道は、かつて、置賜地方と庄内地方を結んでいた山岳道路。飛地となっていた上杉氏の所領を連絡する目的で使われた。

○ルート
長井市草岡-長井葉山-御影森山-大朝日岳-西朝日岳-三方境-以東岳-大鳥池-茶畑山-高安山-八久和峠-鶴岡市鱒渕

○歴史
朝日軍道は、全長65kmにのぼる日本の歴史の中でも有数の山岳縦貫路である。しかも、2000m級の朝日連峰を通る軍事道路である。朝日軍道は、上杉景勝の家臣、直江兼続によって開削された。1598年(慶長3年)、景勝は豊臣秀吉の命により、越後から蒲生氏郷が治めていた会津へと移封された。これにより、上杉の所領は、会津、仙道、置賜、庄内、佐渡の120万石となった。佐渡は別として庄内地方以外の各所領は地続きになっていたが、庄内地方のみ飛地となっており、景勝の居城である会津若松城から庄内に向かうには、必ず他国を経由せねばならなかった。特に、村山地方を領有していたのは最上義光であり、上杉と最上は、お互いに領内の動向に目を光らせる宿敵の関係にあった。一方の越後も上杉の旧領であったため、新領主となった堀秀治は、上杉の動向に目を光らせていた。そこで、米沢城を居城とし、置賜を領有していた上杉氏家臣の直江兼続は、置賜と庄内を直接結ぶ道路として、朝日連峰の嶺を伝い、途中麓に降りることのない、馬が通れる軍道を秘密裏に開削することにし、苦労の末に1年あまりで完成させた。朝日軍道のルートは、もともと長井葉山、大朝日岳などが修験道の聖山として崇拝されており、山伏が行きかっていたことから、その間道を整備し、接続することで結ばれたため、比較的短時間で完成する人が出来たが、それでも、数百人にも及ぶ人夫が動員されたといわれる。なお、上杉家に残された文書では、朝日軍道ではなく「庄内新道」とされている。朝日軍道は秘密裏に作られたが、大規模な工事であったがゆえに、早晩大沼(現朝日町大沼)浮島稲荷神社別当の大行院により、最上義光の耳にも入った。義光はこの道路を非常に警戒し、特に、軍事の拠点にもなりうる番小屋の設置や、番人の配置には神経を尖らせたと言う。この道路は、人の往来の他にも荷駄による物資輸送にも使われた。この軍道が歴史の表舞台に登場したのは、関ヶ原の戦いと同時に起こった慶長出羽合戦の時である。この時、上杉方の酒田城主志田修理義秀は、六十里越街道を越えて、最上方の白岩城(現寒河江市白岩)を攻略していたが、関ヶ原の戦いにおける東軍勝利の報に接し、直江兼続を総大将とする上杉軍は、撤退戦の末、米沢城に帰還した。その際、志田軍には、帰還命令が遅れたため、最上領内に取り残されることとなってしまった。そこで、志田軍は大井沢(現西川町大井沢)から大朝日岳まで戻り、11月のすでに冠雪した朝日軍道を通って、酒田城まで帰還することに成功した。これが表舞台に登場した朝日軍道である。その後、庄内地方は最上軍に攻められ、ついには酒田城を攻め落とされる。そして関ヶ原の戦いの仕置きにより、上杉景勝は所領を大幅に減らされ、米沢30万石のみとなってしまった。これにより、置賜地方と庄内地方を連絡する朝日軍道の必要性はなくなり、あっという間に廃道となってしまった。

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