2012-06-29(Fri)

今日はメチャクチャ暑かった

今日はメチャクチャ暑かった。
スポンサーサイト

2012-06-29(Fri)

愛染まつり

愛染まつりは、大阪府大阪市天王寺区に位置する和宗総本山四天王寺の別院・愛染堂勝鬘院、通称「愛染さん」で催される祭りを指し、天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。仏教寺院が主催する夏祭り。 どれも、愛染さん、天神さん、住吉さんと愛称で呼ばれることが多いことから、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終る」といわれることから、「あい(=愛)すみ(=住)ません」という言葉の語源となったという説や、「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」と、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。
○期間
毎年6月30日から7月2日。

○概要
愛染まつりは、聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている行事。聖徳太子ゆかりの勝鬘院(豊臣秀吉による再築。重要文化財)。金堂の御本尊が愛染明王であるため、「愛染さん」の愛称で親しまれている。愛染明王の御誓願を頼って開催される祭りに、色町の芸妓衆が駕籠に乗って参詣したのが「宝恵駕籠(ほえかご)」の始まりとなり、現在も浴衣娘が大勢参加する「女の祭り」。祭り期間中は、良縁成就・縁結び・夫婦和合に商売繁盛といったご利益がある愛染明王と、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に奉安したとされる大日大勝金剛尊が特別に無料開帳される。また、6月30日にはキャンペーンガールの愛染娘12人(平成19年度は11人)を紅白の布と愛染かつらの花で飾られた7台の「宝恵駕籠(ほえかご)」に乗せて「愛染さんじゃ、宝恵かご!」とJR天王寺駅前から勝鬘院までを練り歩くパレードで、最終目的地の愛染堂に到着した「宝恵駕籠(ほえかご)」は、本堂の前で高々と「かご上げ」され、一層の盛り上がりを見せる。参拝者は商売繁盛・愛嬌開運・恋愛成就を願って愛染娘さんたちから「花守り」と「笑顔」を受け取る。大阪市内最古の建築物である多宝塔(国の重要文化財)にて総本山四天王寺の管長および高僧が集結して厄除け祈願法要が行われる。7月1日には、愛染娘たちが各自の隠し芸や一発芸(書道・カラオケ・チアダンス・手品など)を舞台上で披露し、ミス愛染娘を決定する愛嬌コンテストで盛り上がる。300余の露店も出て、大変な賑わいを見せている。また、関西で夏祭りとされる初日(6月30日)ということで、浴衣を着て訪れる参詣者が多く、浪速の「いとさん」、「こいさん」たちがこの時期から浴衣を着始めることから別名、浴衣まつりとも呼ばれている。夕方に浴衣で愛染まつりに出掛けると、先着順に愛染娘から「ラブブレス」なる愛のブレスレットを無料で配っている(手を握って腕に巻いてくれる)サービスがある。6月30日の宵宮、7月1日の本祭、7月2日の残り福の3日間の間に、一度は小雨が降る。俗に言う愛染パラパラ。愛染さんへおまいりして、その行き帰りの途中で、この愛染パラパラに出あうと、その二人は結ばれるとか。また、愛染まいりの帰りに芝居を見るとゲンが良いとされる。正式名称は愛染まつり。しかし主催の勝鬘院が発行するポスターやホームページ上でも愛染祭、愛染祭り、愛染詣で、勝鬘愛染会と表記がバラバラで、特に拘りはないようである。

○愛染娘
愛染まつり期間中に、マスコミ表敬訪問や境内にて愛染まつりをPRする為に結成される浴衣娘。現在は毎年約300人~400人の一般公募による募集が行われ、一次審査(書類審査)と二次審査(面接)を経て10人の愛染娘が選ばれる。審査基準はルックス重視という訳では無く、「元気で愛嬌があり、伝統あるお祭り参加したいという意気込み」と「3日間とPR活動日に参加できる人」とされる。一般公募の愛染娘10人に、大阪市阿倍野区の清風情報工科学院で独自にオーディションで勝ち抜いた留学生2名が加わり、計12人の愛染娘として活動をする。年齢制限は18歳から35歳前後。愛染娘の服装は京都小泉(株)協賛の浴衣に、愛染かつらの造花を頭に挿し「愛染娘・愛染まつり」の襷をしている。募集は毎年4月頃から公式ホームページ、町のフリーペーパー、新聞記事などで募集要項が発表される。歴代愛染娘を経験後、タレントとして活動する人も多く、近年では藤原宏美(松竹芸能)、木島さやか(吉本興業)、桜・稲垣早希、増田倫子(吉本興業)、高津奈央(ジャパネットたかた)などがいる。平成22年度から、愛染まつり初日に行われる宝恵駕籠パレードの宝恵駕籠には乗らずに、駕籠を引きながらPRするギャルとして「愛染女組」の別途10人の娘が加わり、PR活動は22人体制で行われている。年齢制限は20歳から35歳前後。愛染女組の服装はサラシをまいて鶯色のハッピという、清楚な愛染娘というイメージではなく、元気な祭娘がテーマとなっている。募集は愛染娘と同様、毎年4月頃から募集要項が発表される。愛染まつり2日目の夜に10人の愛染娘の中から1名のミス愛染娘を決める演芸大会「ミス愛染娘(愛嬌)コンテスト」が舞台で開催され、その年のミス愛染が選ばれ前年度のミスからティアラが手渡される。主に次年度の愛染娘が決定するまでの間の広報活動を担当する。愛染まつり3日目の夜には愛染女組による組長を決定する「愛染堂から愛を叫ぶ!」が舞台で開催。 関ジャニの好きやねん大阪を愛染まつりVer.で歌って踊り観客を大いに喜ばせた。天王寺警察署からの依頼で「交通安全週間」の簡易ポスターのモデルも毎年恒例となっている。




2012-06-29(Fri)

住吉祭

住吉祭は、7月31日に大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼。天神祭、愛染祭(生玉夏祭)と共に大阪三大夏祭りの一つ。

○概要
住吉祭は、7月31日に大阪市の住吉大社で行われる例大祭を中心とした祭礼。 おはらいと呼ばれる、住吉大社の夏祭りの一部、あるいは夏祭りそのものを指している。狭義では、住吉大社の夏祭りのうち、7月30日に行われる宵宮祭、7月31日に行われる夏越祓神事、例大祭を指す。 広義では、7月の海の日から8月1日まで行われる住吉大社の夏祭り、そのものを指している。 土地の者たち(地元庶民)が、住吉祭と言った場合、7月31日と8月1日の住吉大社の夏祭り(夏越祓神事、例大祭、神輿渡御祭)を指す。 (住吉大社HPでは、狭義の意味で説明しています)住吉大社神代記によれば、住吉大社の夏祭り(別名:おはらい)は、奈良時代には、六月の御解除(みはらえ、別名:南祭)として恒例的に行なわれていました。現在の住吉大社の夏祭りは、7月の海の日に、住吉公園で神輿洗神事が行われ、始まります。7月31日には、夏越祓神事(無計文化財)や、第一本宮で祭典(例大祭)が行なわれ、熊野舞や住吉踊りが披露されます。8月1日には神輿渡御祭が行われます。2005年から徒歩でのお渡りが復活しました。




2012-06-29(Fri)

天神祭

天神祭は、全国の天満宮(天神社)で催される祭り。祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。一年のうち1月の初天神祭など、ある月に盛大に行われることがある。各神社で行われる天神祭の中では、大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭が有名である。以下より大阪天神祭のことについて記述する。日本三大祭(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭(神式では愛染祭に替えて生国魂神社の生玉夏祭)、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。期間は6月下旬吉日 - 7月25日の約1ヶ月間に渡り諸行事が行われる。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがる。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。他に鉾流神事、陸渡御などの神事が行われる。24日宵宮、25日本宮。
○歴史
天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。慶応元年、将軍徳川家茂が長州征伐のため大阪城に入城したため、天神祭は中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年に復活するまで中止された。明治7年に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年に食満南北の提言により鉾流神事が復活。昭和13年から昭和23年まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。昭和24年に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年に上流に遡る形になる。昭和49年オイルショックの影響で船渡御が中止される。昭和56年にギャルみこしが誕生。平成3年より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行われる。平成6年にブリスベンで天神祭斎行される。平成17年、ギャルみこし誕生25周年イベントが行われた。平成9年は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀の為、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。

○日程
6月下旬吉日:装束賜式(天神祭神事始め)
6月下旬:船割り、浴衣販売
7月7日:天満天神七夕祭(天神祭前儀)
7月11日:船渡御事始式
7月15日:葦奉納式
7月18日前後:台搦み
7月21日前後:本社神輿蔵出し
7月22日:伏見三十石船献酒祭
7月23日:宵々宮(俗称)、御羽車巡幸、庖丁式
7月24日:宵宮、鉾流神事、催太鼓宮入、獅子舞宮入
7月25日:本宮、夏大祭神事、神霊移御祭、陸渡御、船渡御、還御祭
○各種行事
時間、祭事、催事は平成18年の行程を参考。
・装束賜式 (6月下旬吉日)
天神祭の神事始めの行事で、この装束賜式より天神祭の諸行事が始められる。 平成18年度諸役(神童、随身、牛曳童児、猿田彦)の装束賜式{しょうぞくたばりしき}(任命式)が、6月25日11時45分より行われた。 まず、宮司より辞令が渡され、諸役を務める心構えなどが話される。 この日より、諸役は斎戒と言って祭りまで慎むことやしてはならないことがお宮から言い渡される。 例えば、一、葬儀に参列すること。一、喧嘩、もめ事などの争いごと。一、その他不浄に関与すること、等がある。その後、諸役の衣装をつけ、本殿で報告祭を執り行う。

・宵宮(7月24日)
4:00 - 打ち出し
催太鼓の一番太鼓と、続いてだんじり囃子の一番鉦が祭の開始を告げる。大門開門。
7:45 - 宵宮祭
本殿において人々の無病息災と鉾流神事の無事が祈願される。
8:50 - 鉾流神事
神鉾講より推挙された大阪市立西天満小学校の6年生の男子の神童によって鉾流橋の水上より鉾を流す。元々は上記のように鉾が流れ着いた場所を御旅所と定めて祭礼を行ったが、御旅所が固定されてからはその役目は担っていない。
鉾流神事が終わると氏地巡行まで正式な祭事はないが、各場所でいろいろな催事が執り行われている。下記に記述。
16:00 - 氏地巡行
まず、催太鼓による「からうす」がおこなわれ、その後催し太鼓と獅子舞が氏地を巡行する。

・本宮(7月25日)
13:30 - 夏大祭
氏地、氏子の平安を祈り、神霊移御祭で御霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す。
15:30 - 陸渡御(りくとぎょ)
祭のメインイベントの一つ。船渡御の乗船場までの約4キロを約3000人が渡御する。行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女(うねめ)、花傘、猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣によって構成される。 陸渡御の順番は、太鼓中、神鉾講、地車講、天満ライオンズ奉仕講、天神講、釆女、稚児、敬神婦人会、大阪書林御文庫講、福梅講(牛曳童児)、御旗講、花傘講、総奉行、大阪府知事、大阪市長、榊講(大真榊)、御羽車講、丑日講、御錦蓋講、御菅蓋講、御鳳輦講、氏子総代、協賛会委員、玉神輿、鳳神輿、菅公会(祭り囃子)の順である。
18:00 - 船渡御
陸渡御につづいてメインイベントの一つ。船は4種類に分けれられ、御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、神をお迎えする風流人形を飾った御迎船、協賛団体や市民船などの奉拝船、その他どんどこ船や落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船がある。奉安船や供奉船が天神橋のたもとから出航して大川を遡り、反転して下る。協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡る。船同士が行き交う時には大阪締めが交換されるが、御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのがならわしである。他に舞台船や篝船などもあるが、渡御せずに定着して神楽等を奉納する。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には正中の覆いがされる。渡御の渡中、御鳳輦船では水上祭が斎行される。定着している舞台船や供奉船から神楽や囃子が奉納される。この頃から花火講によって奉納花火が打ち上げられて祭は最大に盛り上がる。(1999年より花火講は消滅し、天神祭花火実行委員会によって、川崎公園・桜ノ宮公園の2箇所で奉納花火が実施されている。また2002年より川崎公園の打上現場は大阪日日新聞主催の水都祭として花火が打ち上げられている。)
22:00 - 宮入り・還御祭
渡御が終わった一団が天満宮に戻り、催太鼓と共に大阪締めを行う。獅子舞が四方清めと本殿へ走りこみ、その後還御祭が本殿で斎行されて祭りは終わる。

神事として祭のスケジュールには含まれていないが境内では地車囃子や龍踊りが奉納されたり、お迎え人形が展示されたりしている。境外でも下記のような催事が執り行われている。
・ギャルみこし
7月23日にオーディションで選ばれた女性が担ぐ神輿巡行。主催は天神橋筋商店会。選考がユニークで米俵を持ち上げる選考とかくし芸などのPR選考によって選出される。 ギャルみこしは、祭の渡御列(本隊)には参加しない。

・自動車渡御
宵宮の10:00頃から市内をトラックによってパレードを行う。トラックには子供神輿や地車囃子などが乗り込む。

・町内神輿宮入り
氏地の各町内の神輿が境内に宮入を行う。

・ドラゴンボート国際選手権
昭和63年から奉納イベントの一環として行われているドラゴンボートレース。 サンケイスポーツ主催。

・テレビ中継
本宮の日はテレビ大阪にて生放送される(19:00~20:54、関西ローカル)。なお、当日放送されるテレビ東京発の番組は、直近の土曜スペシャル枠で振替放送される[1]。但し土曜日の開催の場合はこの枠にて放送するため、振替放送はない。

○天神祭に参加するには
天神祭に参加するためには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトやボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船が公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。 天神祭清掃ボランティア天神祭美化委員会(ダストバスターズ)に参加する。




2012-06-29(Fri)

大阪三大夏祭り

大阪三大夏祭りは、大阪府大阪市で開催される天神祭、愛染祭、住吉祭の3つの夏祭りを合わせた呼び方のこと。

○概要
大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂 勝鬘院の愛染まつり、大阪市北区の大阪天満宮の天神祭、大阪市住吉区にある住吉大社の住吉祭が大阪三大夏祭りとされる。毎年6月30日、日本中で一斉に夏越しの大祓えが行われるので、その日からの祭りを夏祭りと定義すると、関西では愛染まつりを皮切りに数々の夏祭りが開催され、天神祭でピークを迎え、住吉祭でしめくくるとされる。「あい(=愛)すみ(=住)ません(=天)」という言葉の語源となったという説が、大阪三大夏祭りの3つの覚え方として知られる。大阪は特に夏祭りが多く、この1ヶ月の間に大小かかわらず幾つもの祭事が行われるが、地域的な氏子組織が主催している夏祭りではなく、特にマスコミ、全国紙などメディアで積極的に紹介されたりニュース記事として取り上げられ、各方面からの参詣者が集まるこの3つの祭りが大阪三大夏祭り、浪花三大夏祭りと呼ばれる。6月下旬吉日~25日の約1ヶ月間の長きに渡って諸行事が行われる天神祭は日本三大祭りの一つにもあげられる程有名である。また愛染まつりのみ寺院による夏祭り(夏越し大祓え)を行うのは、明治政府による神仏分離令によって神社と仏閣が明確に色分けされる以前(神仏習合時代)の流れを汲むものとされ、特に神社の夏祭りと内容は相違なく同格、もしくは聖徳太子の誓願によって始められたという四天王寺僧侶が行う夏越の大祓え(厄除け祈願大法要)は歴史的財産として、民俗学の面からも貴重な伝統行事として扱われている。

愛染祭(6月30日~7月2日)
天神祭(6月下旬吉日~7月25日・中心は7月24・25日)
住吉祭(7月20日~8月1日・中心は7月30日~8月1日)




2012-06-28(Thu)

来週から又雨が降るらしい

最近雨が降ってないけど来週から又雨が降るらしい。それと関西では、今年の夏は猛暑と言うほどではないが結構暑くなるらしい。

2012-06-27(Wed)

アジサイとユリ2

アジサイとユリの花の写真をUPします
J0010188_20120627120936.jpg

J0010189.jpg

J0010190.jpg

J0010191_20120627120935.jpg

J0010192_20120627120934.jpg

2012-06-25(Mon)

先日の新聞に書いてあったこと

先日の新聞に書いてあったことですが、一部の高校の名簿が俺俺詐欺(振り込め詐欺の1種)のグループに流れているらしい。僕の出身高校の名簿もその手のグループに流れているらしい。僕のところにはまだその手の電話は掛かっていないが、皆さん気をつけようね。

そういえば大学の卒業生の名簿を作るので返事を書いてくれといった内容の手紙(往復葉書)が着ていたことがあったと記憶している。当然大学とは全く無関係だそうだ(大学のホームページに書かれていた)。最近は個人情報に関する色々な問題が出てきているので気をつけようね。

2012-06-24(Sun)

今月の読書7

今月の読書第7弾はこれです。
臨場 (光文社文庫)臨場 (光文社文庫)
(2007/09/06)
横山 秀夫

商品詳細を見る


臨場 劇場版 オフィシャルブック (TOKYO NEWS MOOK 301号)臨場 劇場版 オフィシャルブック (TOKYO NEWS MOOK 301号)
(2012/06/16)
不明

商品詳細を見る


6月30日からこれが映画で上映されるらしいです。

2012-06-23(Sat)

今月の読書6

今月の読書第6弾です。

消費税のカラクリ (講談社現代新書)消費税のカラクリ (講談社現代新書)
(2010/07/16)
斎藤 貴男

商品詳細を見る


今現在税と社会保障に一帯改革と言う名目で消費税を増税しようとしています。しかし、これって大企業(特に輸出産業)では恩恵が大きいけど、個人や中小企業でははっきり行って何の恩恵も受けません。それどころか、メチャクチャ、損をするような仕組みになっています。この事を知らなさ過ぎると思うんですよ。皆さん、この本を読んで勉強した方がいいですよ。

2012-06-23(Sat)

今月の読書5

今月の読書第5弾はこれです。
天皇陵の謎 (文春新書)天皇陵の謎 (文春新書)
(2011/10/19)
矢澤 高太郎

商品詳細を見る

古墳や歴史に関するネタを書いている関係で紹介しました。

2012-06-23(Sat)

梅雨の中日

昨日今日と天気がいいですね。梅雨の中日かな。

2012-06-19(Tue)

アジサイとユリ

アジサイとユリの花の写真撮影したのでUPします。
J0010177_20120619093444.jpg

J0010178_20120619093443.jpg

J0010179_20120619093443.jpg

J0010180_20120619093442.jpg

J0010186_20120619093442.jpg

J0010187.jpg

2012-06-19(Tue)

箕面まつり2012

箕面まつりは、大阪府箕面市で行われる祭。市制施行30周年のプレイベントとして実施された1986年(昭和61年)から毎年開催されている。年によって前後することもあるが、概ね7月の最終土曜日から日曜日にかけて行われる。同市の芦原公園内ときめき広場に設置する屋外ステージでのイベントをはじめ、その周辺の公共施設などでの屋内外の各種イベント、出店、市役所から箕面駅前までのパレードなどが行われている。また、7~8月に開催される地域のイベントを「関連イベント」として箕面まつり推進協議会が支援している。

○ポスター
箕面まつりの宣伝に使われるポスターは、毎年箕面まつり推進協議会が公募している。

2012年の開催日程は7月28日(土)・29日(日)




2012-06-17(Sun)

来週台風4号が直撃するかも

来週台風4号が直撃するかも。大阪では20日頃が要注意らしい。

2012-06-16(Sat)

今月の読書4

今月の読書第4弾はこれです。
日本人を震撼させた 未解決事件71 (PHP文庫)日本人を震撼させた 未解決事件71 (PHP文庫)
(2012/05/02)
グループSKIT

商品詳細を見る

昨年末から今年にかけてオウム真理教に関する犯人が逮捕されていますね。その関係で描きました。

2012-06-16(Sat)

今月の読書3

今月の読書第3弾。
この本は資格試験の勉強に役立つと思い紹介します。
続ける力―仕事・勉強で成功する王道 (幻冬舎新書)続ける力―仕事・勉強で成功する王道 (幻冬舎新書)
(2008/03)
伊藤 真

商品詳細を見る


2012-06-13(Wed)

白鷺公園のショウブ園

堺市にある白鷺公園のショウブ園を見に行ってきました。
J0010060_20120613145909.jpg

J0010061_20120613145908.jpg

J0010062_20120613145908.jpg

J0010065_20120613145907.jpg

J0010072_20120613145907.jpg

J0010073_20120613145907.jpg

J0010075_20120613145959.jpg

J0010076_20120613145959.jpg

J0010077_20120613145958.jpg

J0010079_20120613145958.jpg

J0010078_20120613145958.jpg

J0010081_20120613145957.jpg

J0010082_20120613150057.jpg

J0010083_20120613150056.jpg

J0010087_20120613150056.jpg

J0010092_20120613150055.jpg

J0010094_20120613150055.jpg

J0010095_20120613150054.jpg

J0010096_20120613150147.jpg

J0010097_20120613150146.jpg

J0010101_20120613150145.jpg

J0010102_20120613150144.jpg

J0010108_20120613150143.jpg

J0010109_20120613150143.jpg

J0010110_20120613150224.jpg

J0010111_20120613150223.jpg

J0010112_20120613150223.jpg




2012-06-13(Wed)

水月公園のショウブ園

6月10日(日)に水月公園のショウブ園を見に行ってきました。

J0010138_20120613145507.jpg

J0010140_20120613145506.jpg

J0010142_20120613145505.jpg

J0010143_20120613145505.jpg

J0010145_20120613145505.jpg

J0010141_20120613145506.jpg

J0010147.jpg

J0010149_20120613145651.jpg

J0010152_20120613145651.jpg

J0010153_20120613145650.jpg

J0010154_20120613145650.jpg

J0010155_20120613145650.jpg

J0010156_20120613145738.jpg

J0010159_20120613145737.jpg

J0010161_20120613145737.jpg

2012-06-13(Wed)

ツバメの巣

ここ数年家の近所ではツバメを見る機会が減った。原因の1つとしてとして考えられるのは、田畑が減った事によりえさを取る事が困難になってきた事だろうと思う。しかし、最寄の駅の近所の店の軒下でツバメガスを作り、子供にえさを与えているのを見つけた。


J0010173_20120613145309.jpg

J0010174_20120613145309.jpg

2012-06-13(Wed)

ゲンジボタルとヘイケボタルの違い等

◎ゲンジボタル
ゲンジボタル(源氏蛍・学名Luciola cruciata)は、コウチュウ目(鞘翅目)・ホタル科に分類されるホタルの1種である。
○概要
・体の構造
成虫の体長は15mm前後で、日本産ホタル類の中では大型の種類である。複眼が丸くて大きい。体色は黒色だが、前胸部の左右がピンク色で、中央に十字架形の黒い模様があり、学名のcruciataはここに由来する。また、尾部には淡い黄緑色の発光器官がある。オスとメスを比較すると、メスのほうが体が大きい。また、オスは第6腹節と第7腹節が発光するが、メスは第6腹節だけが発光する。日本で「ホタル」といえばこの種類を指すことが多く、もっとも親しまれているホタルである。

・生活環
成虫は夜に活動するが、発光によって他の個体と通信をはかり、出会ったオスとメスは交尾をおこなう。交尾を終えたメスは川岸の木や石に生えたコケの中に産卵する。卵ははじめ黄白色だが、やがて黒ずんでくる。卵の中で発生が進むと、卵の中で幼虫が発光を始める。夏になると幼虫が孵化する。幼虫は灰褐色のイモムシのような外見で、親とは似つかないが、すでに尾部に発光器官を備えている。幼虫はすぐに川の中へ入り、清流の流れのゆるい所でカワニナを捕食しながら成長する。カワニナを発見すると軟体部にかみつき、消化液を分泌して肉を溶かしながら食べてしまう。秋、冬を経て翌年の春になる頃には、幼虫は体長2-3cmほどに成長し、成虫よりも大きくなる。春になって充分に成長した幼虫は雨の日の夜に川岸に上陸する。川岸のやわらかい土にもぐりこみ、周囲の泥を固めて繭を作り、その中で蛹になる。蛹ははじめ黄白色だが、やがて皮膚越しに成虫の黒い体が浮かび上がるようになり、発光もはじまる。成虫は5月から6月にかけて発生する。夜に活動するが、昼は深い草陰で休んでいる。成虫になると水分を摂取するのみで、活動や産卵は幼虫時代に摂った栄養分でおこなう。成虫の期間は2-3週間ほどしかない。

・分布
本州、四国、九州と周囲の島に分布し、水がきれいな川に生息する。地方によって差があるが、成虫は5月から7月にかけて発生するが、長野県の志賀高原では10月から11月にも見られる。オスは川の上空を飛び回りながら、メスは川辺の草の上などに止まって発光する。また、発光のパターンは西日本と東日本でちがい、西日本のほうが発光のテンポが速い。これらの分布は、フォッサマグナ地域が境となっているが、この地域には中間型も見られる。現段階では、このような発光周期の差がなぜ生じたかはっきりしてない。

・和名の由来
平家打倒の夢破れ、無念の最期を遂げた源頼政の思いが夜空に高く飛び舞う蛍に喩えられた。 平家に破れた源頼政が亡霊になり蛍となって戦うと言う伝説があり、「源氏蛍」の名前もここに由来している。また、腹部が発光する(光る)ことを、「源氏物語」の主役光源氏にかけたことが由来という説もあり、こちらの場合は清和源氏とは関係はない。違う種類のホタルが、清和源氏と対比する意味で「ヘイケボタル」と名づけられたという説もある。

○保護を巡って
夜に川辺で発光するゲンジボタルは初夏の風物詩として人気が高く、各地に蛍の名所と言われる場所があるが、現在では生息域が各地で狭まっている。もちろん川の汚染により幼虫やカワニナが生存できなくなることが主な要因の一つだが、他にも川岸を護岸で覆ってしまうと幼虫が蛹になれないし、成虫が活動する夜に車のライトや外灯を点灯させるとホタルの活動の妨げとなる。そのため、都会で蛍を放して楽しんだり、地方でも蛍の人工飼育をおこない、発生の少なくなった名所に放すというようなことが行われたこともあった。そのため、人工飼育の技術は現在ではかなり確立されたものになっている。現在では、自然保護の思想の普及もあって、河川の浄化や自然の回復を目指す中で、ゲンジボタルの保護や定着の試みが日本各地で行われている。しかし、前述のように、水質の浄化だけではなく、親が産卵し、幼虫が蛹化のために上陸する岸辺、休息するための河川周辺の環境までの整備が不可欠である。また、餌となるカワニナはもちろん、各成長段階に対応した環境が必要である。しかしながら、蛍は成虫の期間が短く、その生活範囲も狭いので、水中と岸辺までの整備ができればホタルの定着はそれほど困難ではない。むしろ、ホタルが定着したことで河川を含む環境が良くなったと考えるのは、必ずしも十分ではないとも言える。たとえばトンボ類であれば、成虫が河川周辺の広い範囲を飛び回り、そこで餌を食べ、種によっては縄張りを作るなど様々な行動をする必要があるため、はるかに広い範囲の自然環境を必要とする。

○ゲンジボタルの移入問題
ゲンジボタルは、その発光の強さや飛翔の優雅さなどから、日本のホタル類の中でも人目を引きやすい。そのため、観光や自然回復をアピールする目的で、しばしば他地域から人為的に移入されてきた。ゲンジボタルは1種 (Luciola cruciata) であり、種より下位の亜種には分けられてないが、1系統ではなく、遺伝的生態的な地理的変異がある。1993年に日本が締結した生物多様性条約(Convention on Biological Diversity)第2条には, 「生物多様性」の定義として,種内(within species)多様性も明記されている。この国際条約に基づいて制定された日本の生物多様性基本法(平成20年6月6日施行)第2条も同様である。 このように、種より下位の分類群の多様性も保護されるべきであることは世界共通の認識となりつつあり、生物多様性の保全の観点からは、在来ゲンジボタルと異なった系統のホタルの移入は避けられるべきである。全国ホタル研究会では安易なホタル移入を制限するために、ホタル移入に関する指針を定めている。2008年に全国ホタル研究会に寄せられた全国各地(青森県から宮崎県67ヶ所)のゲンジボタル発生状況を見ると,1位,長野県辰野町松尾峡,16020匹;2位,山口市,1155匹,いずれも1日当りとなっており,松尾峡は国内最大のゲンジボタル発生地である。しかしながら,松尾峡のゲンジボタルは関西から人為的に移入された外来種であることが判明しており,本来松尾峡に生息していた在来種とは,発光周期も分子系統も異なっている。ゲンジボタル移入に関しては、その影響を研究することも大事だが、まず安易な放流を中止することが求められており、文部科学省や環境省がゲンジボタル移入の問題点を一般に周知させるべきだ、という意見も出されている。一部地域では、ゲンジボタル移入の問題点を指摘された後、移入ゲンジボタルを排除し、本来生息していたのと同じ系統のゲンジボタルを増やそうという試みも始まっている。


◎ヘイケボタル
ヘイケボタル(平家蛍、学名: Luciola lateralis)は、コウチュウ目ホタル科に分類されるホタルの1種である。
○概説
日本では、ゲンジボタルと並んで、身近な光るホタルである。ゲンジボタルより小型で、より汚れた水域にも生息する。また、ゲンジボタル、クメジマボタルと並んで幼虫が水中棲息するホタルであり、日本産水生ホタル3種の中では最も小型である。名称は、ゲンジボタルとの対比で、似ているがより小型であることからの名づけられたものと思われる。ゲンジボタルが渓流のような清冽で、流れのはやい水域に生息するのに比べ、ヘイケボタルは水田、湿原といった止水域を主たる繁殖地としている。幼虫の餌になるのは、止水に生息するモノアラガイなどである。雄の光の点滅の速さはゲンジボタルより明らかに早く、明滅時に星が瞬くような光り方をする。発生期間も長く、2種が同じ水域で発生することも多い。山間部の農村では、水田周辺に本種が、河川付近にゲンジボタルが発生し、実際には両者が一部で入り交じって発光する。ただし、ゲンジボタルのように、短い期間に集中的に発生することが少なく、発生は長期に渡るが密度は高くならないのが普通である。ゲンジボタルが各地で保護活動の対象とされるのに対して、ヘイケボタルの保護をうたう活動はほとんどない。かつては水田周辺ではどこでも簡単に見られたものだが、水田への農薬散布や水田周辺の環境変化に伴い、生息環境が狭められている。


2012-06-12(Tue)

今月の読書2

今月の読書第2弾です。今年はオリンピックの年なので、この本紹介します。

「メダリスト」スキャンダル事件簿 (宝島SUGOI文庫)「メダリスト」スキャンダル事件簿 (宝島SUGOI文庫)
(2012/06/07)
別冊宝島編集部

商品詳細を見る


「メダリスト」スキャンダル事件簿 (別冊宝島1877)「メダリスト」スキャンダル事件簿 (別冊宝島1877)
(2012/06/11)
不明

商品詳細を見る

2012-06-09(Sat)

豊島河原合戦

豊島河原合戦は、建武3年(1336年)に行われた新田義貞・北畠顕家を総大将とする後醍醐天皇軍と足利尊氏を総大将とする反乱軍の戦い。豊島河原の戦いとも言う。
○合戦経緯
元弘3年/正慶2年(1333年)、鎌倉幕府が滅びた後、足利尊氏は後醍醐天皇に突如反旗を翻した。尊氏は建武2年(1335年)箱根・竹ノ下の戦いで新田義貞軍を破ると、京都へ進軍を始めた。尊氏は建武3年(1336年)1月11日に京都へ到着するが、京都へ駆け付けた北畠顕家軍に攻め入られ、同月27日に丹波国に引き返す事となる。

○開戦
丹波国に引き返した足利尊氏は勢力を盛り返し、再度京都に攻め入る為に、同年2月3日に摂津国猪名川付近へ到着する。これに対して後醍醐天皇側の新田義貞・北畠顕家勢は軍を率いて尊氏が陣を張る摂津へ向かう。

○梅松論の記述
『梅松論』によると、足利尊氏側に味方した山陽周防国(現:山口県東南)・長門国(現:山口県西)の守護大名が瀬戸内海を渡り、約500の軍艦を率いて摂津国神戸港に入港した。尊氏側は2月10日に摂津を出て、援軍に合流しようとするが、周防・長門の援軍が待ち構えていた楠木正成に破られる。そこで尊氏は翌日、援軍と合流して新田義貞・北畠顕家両軍と豊島河原(瀬川)で合戦を繰り広げた。その結果尊氏側は新田・北畠軍に破れ去り、同月12日に兵庫へ退陣した。その後尊氏は周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。

○太平記の記述
『太平記』(巻第十五)によると、丹波国に落ち延びた足利尊氏は、2月3日に足利直義に約16万の軍勢を与えて京都へ攻め上らせ、一方約10万騎の新田義貞・北畠顕家率いる後醍醐天皇軍が摂津国豊島河原(瀬川宿)で合戦を行った。結果は両軍共に勝敗が付かず、猪名川両岸で睨み合いが続いた後、後醍醐側として参戦した楠木正成が西宮へ赴き背後から直義・尊氏軍を襲い、西宮に合戦地が移ったとされる。その後、周防国・長門国の守護大名が神戸港に到着し、後醍醐天皇側軍も四国の伊予国から援軍が到着した。そこで両軍は湊川で合戦を行った。しかし、足利尊氏は自らの敗戦を見切って、周防・長門の援軍と共に九州へ落ち延びて行ったと書かれている。

○合戦場
「豊島河原」とされている場所は不明であるが、『梅松論』には「新田義貞は摂津国瀬川の河原にて合戦を行った」と記述があり、「瀬川の河原」と伝わるのは、箕面川の下流で箕面市と池田市の境界を接する河原であると見られている。



箕面市瀬川2丁目のあたりの箕面川に今井橋という橋があるがその辺りらしい。

J0010164_20120613144753.jpg

J0010165_20120613144753.jpg

J0010167.jpg



2012-06-09(Sat)

天王寺の戦い

天王寺の戦いは、石山合戦の一環として天正4年(1576年)に行なわれた織田信長と一向一揆との戦いである。天王寺砦の戦いともいう。
○発端
足利義昭を擁立し上洛を果たした織田信長は、上洛早々堺と石山本願寺に法外な矢銭を要求するなど、畿内の支配基盤の確立に努めていた。堺は信長と三好氏と結んだものの敗れ、服従を余儀なくされる。信長は敵対する三好氏を討つため、石山本願寺のある摂津国に軍を進めたため、堺の二の舞となることを恐れた本願寺は危機感を強め、元亀元年(1570年)9月、顕如は織田信長との対決を決意した。これが石山合戦の始まりである。本願寺軍と織田軍は一進一退を繰り返したが、顕如の義兄武田信玄の病死や浅井長政・朝倉義景・長島一向一揆滅亡などで次第に追いつめられていった。そんな中、天正4年(1576年)2月、足利義昭の呼びかけに応じて毛利輝元が信長包囲網の一翼に参加し、本願寺に兵糧援助を始めた。これが顕如を強気にして、畿内の信徒に動員令を出して5万の兵力をかき集めた。このため、諸々の事情から停滞していた本願寺と織田家の戦闘が再燃することとなった。

○戦況
信長は本願寺の挙兵に危機感を強め、佐久間信盛・明智光秀・原田直政・細川藤孝・筒井順慶・中川清秀・高山右近・荒木村重らを摂津方面に出兵させた。このとき、信長が光秀・藤孝宛てに送った書状が現存している。
其表(大坂表=石山本願寺)の麦悉く薙捨て候哉。猶以て油断無く申付くべき事専一に候。然して隙を明け候はば、大坂籠城候男女の事は相免ずべき候間、早々罷出ずべきの旨、口々に立札然るべく候。坊主以下用にも立ち候者をば、赦免すべからず候。其意をなすべく候也。
(本願寺周辺の麦を薙ぎ捨てて兵糧攻めに追い込み、助命を条件に信徒の内部分裂を策し、坊主は赦免せずに殺せとのこと)
4月14日、信長は、荒木村重には尼崎から海上を通って北野田に3箇所、明智光秀・細川藤孝らは南東の守口・森河内の2箇所に、塙直政は天王寺に1箇所それぞれ砦を築かせ、本願寺の包囲を強めようとした。一方、本願寺側は楼の岸・木津の2箇所に砦があり、難波方面への水路を確保していた。信長はこれを断つため木津砦を攻撃する事を決め、天王寺砦に佐久間信栄・明智光秀を入れ置いた。5月3日早朝、織田軍は木津に攻撃をかける。陣立ては先陣が三好康長・根来衆・和泉衆、2番手が塙直政・大和衆・山城衆である。しかし、楼の岸砦から本願寺清勢・約1万が討って出てきて、織田軍を包囲しつつ数千丁の鉄砲で銃撃を加えた(精強鉄砲隊の雑賀衆が味方していた)。塙直政の軍勢がこの攻撃を引き受けて数刻の間戦ったが、敵に囲まれ、一族の塙喜三郎・塙小七郎や蓑浦無右衛門・丹羽小四郎らとともに討ち死にした。本願寺勢は勢いに乗じて天王寺砦を包囲し、攻撃した。窮地に陥った光秀は、京都に滞在していた信長に援軍を要請した。
これを聞いた信長は諸国に動員令を出し、5月5日に100人の兵を率いて河内若江城に入った。しかし突然の命令だったため、兵力が集まらなかった。このときのことを、『信長公記』では次のように記している。
(信長は)五月五日、後詰として御馬を出だされ、明衣の仕立、僅か百騎ばかりにて若江に至つて御参陣。次日御逗留あつて、先手の様子をもきかせられ、御人数を揃へられ候といへども、俄懸の事に候間、相調はず、下々の者、人足以下中々相続かず、首々ばかり着陣候
? 『信長公記』
5月6日、信長は軍勢の到着を待ったが、なにぶん突然の出陣だったため、あまり兵力が集まらなかった。天王寺砦からは「あと3、5日さえ持ちこたえるのは難しい」とたびたび知らせてきたため、信長はこのまま眼前で味方を攻め殺させて面目を失っては無念と考え、わずかな手勢で本願寺勢を強襲することを決める。5月7日、信長は3000ほどの兵で本願寺勢1万5千に突撃した。陣立ては3段。先陣は佐久間信盛・松永久秀・細川藤孝・若江衆、2番手は滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄ら、3番手は信長の馬廻りで、信長自身は先手の足軽に混じって指揮を取った。本願寺勢は多数の鉄砲で防戦したが、織田軍はこれに突っ込んで敵陣を切り崩し、天王寺砦の守備隊と合流した。この際、信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負った。合流されたとはいえ、本願寺勢は退却せず、陣形を立て直しつつあった。信長はそこへ再度攻撃かける事を決める。家老たちは多勢に無勢であるとして止めたが、信長は「今度間近く寄り合ひ侯事、天の与ふる所の由(いま敵が間近にいるのは天の与えた好機である)」と言い放ち、陣形を2段に立て直して突撃。本願寺勢を撃破し、更にこれを石山本願寺の木戸口まで追撃し、2700余りの敵を討ち取った。こうして織田軍の大勝で天王寺砦の戦いは幕を閉じた。信長は大坂の10箇所に付城を作るよう命じ、佐久間信盛・松永久秀らを入れると、6月5日に若江城に帰還した。

○影響と戦略
この戦いで大勝した織田軍は、摂津方面での陸戦での優位を確立した。以後、本願寺軍は討って出ようとはせず、徹底した籠城戦に持ち込んだのである。一時は第一次木津川口の戦いで毛利水軍が織田水軍に大勝して戦況が逆転しかけたこともあったが、天王寺砦の戦いで大損害を受けた本願寺軍は2度と陸戦に出ようとはせず、毛利水軍もやがて第二次木津川口の戦いで織田水軍に敗れて壊滅し、本願寺勢力の孤立化が決定的となることになる。織田信長は、常に敵勢力の内部分裂を策し、謀略が完成したところで敵を圧倒する軍事力で戦うということが通説となっている。しかし信長は弘治2年(1556年)の稲生の戦い、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い、そしてこの天王寺砦の戦いの3度だけは敵に劣る兵力で戦い、いずれも勝利している。しかもこの3度は、いずれも信長自らが陣頭に立って戦っているのである。




2012-06-09(Sat)

瀬川合戦

瀬川合戦は、元弘3年(1333年)に行われた赤松則村(円心)を総大将とする後醍醐天皇軍と鎌倉幕府六波羅探題軍との戦い。
○開戦経緯
元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が起こした元弘の乱以後、鎌倉幕府倒幕運動が盛んになり、護良親王の令旨を受けて播磨国で赤松則村が挙兵した。赤松則村は挙兵後、六波羅探題側の武将を次々と破り、元弘3年(1333年)に摂津国摩耶山に城を築城した。同年六波羅探題側の軍勢は2月11日に赤松軍を討伐するため、摩耶山麓に陣を構えるが赤松勢に破られた。28日、六波羅側は摩耶山麓に再度陣を構えるが、猪名川付近まで赤松方が攻め入り、赤松方は猪名川付近に停滞して六波羅方を待ち構えた。同年3月10日になると、六波羅方も猪名川付近に布陣し、両軍の睨み合いが続いたが、10日夜になると尼崎から上陸した四国の小笠原勢が赤松方に攻め入り、赤松方は敗走する事になる。

○開戦
『太平記』によると、赤松則村は四国の小笠原勢に敗走するが、赤松則祐の進言により、約3000騎の兵を率いて瀬川宿(現:大阪府箕面市)に陣を構えていた約23万騎の六波羅探題に夜襲をかけ、六波羅方を打ち破ったと書かれている。これを機に、赤松則村は赤松則祐の六波羅探題追撃の進言を聞き入れ、3月12日には山城国山崎に侵攻し、その後赤松方は六波羅方を攻め続け、同年に六波羅は鎌倉に敗走して元弘の乱は終結している。



2012-06-08(Fri)

今日入梅

今日大阪では入梅です。

2012-06-07(Thu)

中之島公園のバラ園

中之島公園のバラ園の写真を5月終わり頃に撮影してきました。写真の整理に時間が掛かったためUPするのが遅れました。
J0010196_20120607144628.jpg

J0010198_20120607144627.jpg

J0010201_20120607144627.jpg

J0010203_20120607144626.jpg

J0010204_20120607144626.jpg

J0010207_20120607144626.jpg

J0010210_20120607144723.jpg

J0010212_20120607144723.jpg

J0010213_20120607144722.jpg

J0010214_20120607144722.jpg

J0010216_20120607144721.jpg

J0010221_20120607144721.jpg

J0010224_20120607144806.jpg

J0010225_20120607144806.jpg

J0010226_20120607144806.jpg

2012-06-06(Wed)

今日は夏日

今日は夏日で、めちゃくちゃ暑いでした。
いつから入梅するのかな。

2012-06-06(Wed)

高津宮夏祭

もっとも荘厳でかつ賑わいがあり、浪速の夏の風物詩となっている夏祭が高津宮で斎行されます。古伝に基づき、神饌には境内地に自生する「ごさいば」と「氷室」が供えられます。この両日のみ夏の邪気をはらう獅子頭のついた笹が授与されます。黒門市場より「子供御輿」が渡御されるほか、境内の仮設舞台ではさまざまな演芸が奉納され、絵馬殿では「だんじり囃子」にあわせて龍おどりが行われます。両日とも夜10時までたくさんの露店が軒を連ね、多くの人々で賑わいます。
所在地:〒542-0072大阪府大阪市中央区高津1-1-29
交通:アクセス地下鉄「谷町九丁目駅」から徒歩5分
開催期間:2012年7月17日~18日【17日】宵宮【18日】本宮

2012-06-06(Wed)

露天神社(お初天神) 例大祭(夏祭)

宵宮は拝殿横の特設舞台で地車囃子が、境内では舞獅子、傘踊りが入り、役太鼓の宵宮打ちが披露されます。本宮は神事の後、役太鼓、舞獅子、地車囃子が御祓いを受け宮出します。その後、大阪駅周辺のディアモール、ハービス大阪、ヒルトンプラザなども含め、午後9時頃まで梅田・曽根崎各地を巡行します。9時半頃には、舞獅子と傘踊りが宮入し、お囃子隊の笛、地車囃子の鉦・太鼓、囃し唄が一つに溶け合ってお祭りは最高潮に達します。
所在地:〒530-0057大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
交通アクセス:JR東西線「北新地駅」から徒歩5分、またはJR「大阪駅」から徒歩8分
開催期間:2012年7月20日~21日宵宮/19:00頃、本宮/10:30~神事、12:00~宮出し(役太鼓・舞獅子・地車囃子)
主催:露天神社、露天神社奉賛会
問合せ先露天神社 06-6311-0895

プロフィール

kazubonka

Author:kazubonka
かずぼんです。大阪並びに近畿一円の口コミ情報を提供していきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2012/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
メモ
















































【高額報酬!!】有名女優が多数愛用している事でも知られている光美容機。世界中のセレブ御用達の一品。高額商品にも関わらず売れ続けています。ご利用者からご満足のお便りも大変多いです。定価472,500円











BTOパソコンショップ 『フレッシュフィールド』 オールカスタマイズ可能なオリジナルパソコン好評発売中!





























スルガ銀行ANA支店
銀行取引でANAマイルが貯まる(100×60)バナー











<

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!



ティッカー

グアム

ハワイ旅行

ムームードメイン

カスタムバイク買取













検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

続・竹林の愚人

思いつくまま

oobuta日記
QRコード
QRコード
FC2カウンター
平成20年8月26日からのアクセス数です。
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

FC2アフィリエイト
カウンター アフィリエイト・SEO対策
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
スポンサードリンク

FC2Ad

Powered by FC2 Blog