2011-12-30(Fri)

今年最後の読書

今年最後の読書の紹介しますね。
歴代天皇事典 (PHP文庫)歴代天皇事典 (PHP文庫)
(2006/10/03)
高森 明勅

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結構古墳を回っている関係で紹介します。
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2011-12-30(Fri)

明日で今年も終わり

明日で今年も終わりですね。

2011-12-25(Sun)

ドイツクリスマス

ドイツクリスマスに行ってきました。
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2011-12-23(Fri)

四天王寺七宮

四天王寺七宮は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その守護として近辺に造営された神社群である。一般に、以下の七つの神社を指す。

小儀神社(四天王寺東門前)
土塔神社(同南門前)
河堀稲生神社(天王寺区大道)
久保神社(同勝山)
大江神社(同夕陽丘町)
堀越神社(同茶臼山町)
上之宮神社(同上之宮町)

2011-12-23(Fri)

堀越神社

堀越神社は、大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。かつて創建当初から明治中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したのが社名の由来だといわれる。また、古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。現在は交通量の多い谷町筋に面しているが、境内は樹齢数百年に及ぶ樹木をはじめ緑が多く、閑静な境内を構成している。

○摂末社
熊野第一王子之宮
太上神仙鎮宅霊符尊神
茶臼山稲荷神社
黒龍社
白龍社

○所在地
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8
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2011-12-23(Fri)

大江神社

大江神社とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。

○摂末社
日吉稲荷神社
羽呉神社
大江護国神社

○狛虎
当神社には狛虎というものがある。狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである。狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札がある。なお、普通の狛犬もある。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40

○主な神事
元旦祭(1月1日)、夏祭(7月16日)、大祓式(12月31日)
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2011-12-23(Fri)

太平寺

太平寺は大阪市天王寺区夕陽丘町にある曹洞宗の仏教寺院。十三参りで親しまれている。

○歴史
四天王寺の寺域にあった一堂宇で、 弘治元年(1555年)ころには真言宗の隆翔寺としてあり、その後荒廃。
寛文3年(1663年)、加賀国大乗寺21世超山越大和尚が復興。曹洞宗に改め譲国山太平寺と称した。
天明5年(1785年)商人森井宗兵衛が堂宇を寄進。
昭和20年(1945年)の戦災で焼失。
昭和57年(1982年)復興す。

○境内
開山堂
北山不動明王  
『摂津名所図会』に「風吹不動石像 医師北山寿庵が墳なり」とあり、「医は仁術」を実践した名医・北山寿安が萬民救済を願って建立。
祇空翁文塚
鳥居 
加賀藩蔵屋敷内にあった天満宮を移したもので、大阪大空襲で石の鳥居だけが残った。
稲荷

○交通アクセス
大阪市営地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅下車①②出口前。
所在地 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘1-1
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2011-12-23(Fri)

四天王寺

四天王寺は、大阪市天王寺区にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称。聖徳太子の慈悲心を受け継ぐ名僧らが拠り所としていたこともあり、また元から特に宗派にはこだわらない別格とされていた。第二次世界大戦頃までは長く天台宗に属していた時期もあったが、日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立している。現存世界最古の企業である金剛組が建立したとあって世界的にも有名。
○歴史
・『日本書紀』に見る創建の経緯
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。四天王寺の草創については『日本書紀』に次のように記されている。用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(大阪府東大阪市布施)へ攻め込んだが、敵の物部守屋は稲城(いなき、稲を積んだとりで)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(うまやとのみこ、当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという。(なお、蘇我馬子の法興寺は上記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であった)。以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」であり、法隆寺西院伽藍(7世紀の焼失後、8世紀初め頃の再建とするのが定説)の前身である「若草伽藍」の伽藍配置もまた四天王寺式であったことはよく知られる。

・創建に関わる異説
当初の四天王寺は現在地ではなく、摂津の玉造(大阪城付近)の岸辺にあり、593年から現在地で本格的な伽藍造立が始まったという解釈もある(森之宮神社の社伝では、隣接する森之宮公園の位置に「元四天王寺」があったとしている)。また、山号の「荒陵山」から、かつてこの近くに大規模な古墳があり、四天王寺を造営する際それを壊したのではないかという説もある。四天王寺の庭園の石橋には古墳の石棺が利用されていることはその傍証とされている。大阪にある帝塚山古墳は、「大帝塚山」「小帝塚山」地元で称されているものがあり、現在一般的に帝塚山古墳と呼ばれているのは「大帝塚山」である。その大帝塚山は、別名荒陵とも呼ばれていた。なお、小帝塚山は、住吉中学の敷地内にあったと言われている。また、東高津宮は、仁徳天皇の皇居であるとする明治31年(1898年)の大阪府の調査報告などがあることから、歴代天皇のいずれかの皇居であったのではないかという説もある。なお、20世紀末から「日本仏教興隆の祖としての『聖徳太子』は虚構であった」とする言説が盛んになり、『書紀』の記述に疑問を呈する向きもある。また、上記の『書紀』の記述とは別に、四天王寺は渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)氏の氏寺であったとする説もある。

・四箇院
伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したという。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つである。敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設である。施薬院、療病院、悲田院は少なくとも鎌倉時代には実際に寺内に存在していたことが知られる。 施薬院は、後に聖徳太子が勝鬘経を講じた地だとする伝承があり、勝鬘院(愛染堂)が故地と伝えられている。

・平安時代以降
法隆寺が飛鳥・奈良時代にさかのぼる建築や美術工芸品を多数残すのに対し、四天王寺はたび重なる災害のため、古い建物はことごとく失われている。早くも平安時代の承和2年(836年)には落雷で、天徳4年(960年)には火災で主要伽藍が失われている。聖徳太子は日本仏教の祖として、宗派や時代を問わず広く信仰されてきた。太子の創建にかかる四天王寺は、平安時代以降、太子信仰のメッカとなった。また、四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門(入口)であるという信仰から、浄土信仰の寺としての性格も加えていった。太陽の沈む「西」は死者のおもむく先、すなわち極楽浄土のある方角と信じられ、四天王寺の西門は西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、多くの信者を集めた。現在も寺に伝わり国宝に指定されている「四天王寺縁起」は、こうした信仰を広めるのに大いに力があった。「四天王寺縁起」は伝承では聖徳太子の自筆とされ、寛弘4年(1007年)、金堂内で発見されたとするが、実際には後世の仮託で、「発見」時からさほど隔たらない平安時代中期の書写とするのが通説である。既述の「四箇院」のこともこの「縁起」に見えるものである。院政期の上皇や法皇は四天王寺にしばしば参詣した。後醍醐天皇は上述の「四天王寺縁起」を自筆で筆写し、巻末に手印を捺している(これは「後醍醐天皇宸翰(しんかん)本縁起」として現存し、国宝に指定されている)。平安~鎌倉時代の新仏教の開祖である天台宗の最澄、真言宗の空海、融通念仏の良忍、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍などが四天王寺に参篭したことも知られている。四天王寺は近世以降もたびたび災害に見舞われた。天正4年(1576年)には石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉によって再建されるが、やがて慶長19年(1614年)大坂冬の陣で焼失。この時は江戸幕府の援助で再建される。しかし、幕末の享和元年(1801年)の落雷でまたも焼失。文化9年(1812年)に再建される。この時の伽藍が近代まで残っていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で五重塔と中門が倒壊、金堂も大被害を受けた。五重塔は昭和14年(1939年)に再建されるが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で他の伽藍とともに焼失。現存の中心伽藍は昭和32年(1957年)から再建にかかり昭和38年(1963年)に完成したもので、鉄筋コンクリート造であるが、飛鳥建築の様式を再現したものとされている。

○伽藍
境内中央南寄りに回廊に囲まれた中心伽藍があり、その北に六時堂(六時礼讃堂)、東に聖徳太子を祀る聖霊院(しょうりょういん)がある。境内西部の一画は四天王寺中学校・高等学校の校地となっている。境内の北側は、東方が庭園のある本坊、西方が墓地となっている。境内南端と東端の入口にはそれぞれ南大門、東大門が建つが、西の入口には門ではなく石鳥居が建ち、西大門はその鳥居をくぐった先(東)に建つ。南大門が本来の正門であるが、「極楽浄土の入口に通じる」と信じられた石鳥居からの参拝者も多い。

○中心伽藍
南から北へ中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂を一直線に配置し、中門の左右から出た回廊が講堂の左右に達する「四天王寺式伽藍配置」を踏襲している。これらは第二次世界大戦後に再建され、1963年(昭和38年)に落慶法要が営まれた鉄筋コンクリート造建築だが、日本の飛鳥時代、高句麗、六朝などの建築様式を加味して創建当時(6世紀末)の様式に近付けようとしたものである。設計は建築史家藤島亥治郎(がいじろう)。

中門 - 門の正面左右に松久朋琳・宗琳作の金剛力士(仁王)像を安置することから「仁王門」とも呼ぶ。入母屋造単層で、屋根は段差を付けて瓦を葺く「錣葺」(しころぶき)とし、棟上に鴟尾(しび)を乗せる。
五重塔 - 現在の塔は1959年(昭和34年)建立の八代目。
金堂 - 入母屋造で屋根は上下二重とする。中門、講堂と同様、錣葺とし、鴟尾を乗せる。外観は法隆寺金堂に似るが、裳階(もこし)を付さない点が異なっている。内部には中央に本尊救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)像、向かって左に舎利塔、右に六重塔を安置し、仏壇周囲に四天王像が立つ。周囲の壁面には中村岳陵筆の「仏伝図」の壁画がある。
本尊 - 四天王寺の本尊は、近世以前の史料には「如意輪観音」とするものが多いが、現本尊は救世観音と称されている。彫刻家平櫛田中の指導で造像されたもので、左脚を踏み下げて座す半跏像である。こうした半跏形式の菩薩像は右手を頬に当てる「思惟像」(しゆいぞう)が多いが、当寺の本尊像は右手の掌を正面に向ける施無畏印とする。なお、仏壇四隅に立つ四天王像は仏師松久朋琳・宗琳の作である。
講堂 - 入母屋造単層。堂内西側を「夏堂」(げどう)、東側を「冬堂」(とうどう)と称し、それぞれ阿弥陀如来坐像(松久朋琳・宗琳作)、十一面観音立像(佐川定慶作)を本尊とする。

・その他の堂宇
聖霊院 - 中心伽藍の東に位置する一画で、「太子殿」とも言い、聖徳太子を祀る。中心伽藍は鉄筋コンクリート造だが、この一画は木造建築である。主要な建物は前殿と奥殿である。前殿は1954年の建立で、入母屋造妻入。聖徳太子孝養像(十六歳像、秘仏)を祀る。奥殿は1979年の完成で、聖徳太子摂政像(松久朋琳・宗琳作、秘仏)を祀る。一見法隆寺夢殿に似ているが、夢殿の平面が八角形であるのに対し、この建物の平面は完全な円形である。奥殿のさらに北にある絵堂(1983年完成)には杉本健吉筆の聖徳太子絵伝壁画がある。
六時堂(重要文化財) - 中心伽藍の背後に位置する。入母屋造、瓦葺き。元和9年(1623年)建立。椎寺薬師堂(境内北西、大江小学校付近にあった)を移建したもの。堂内には薬師如来坐像と四天王像を安置する。堂の手前の「亀の池」の中央にある石舞台は「日本三舞台」の一つとされ国の重要文化財である(他2つは、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台)。この舞台では毎年4月22日の聖霊会(しょうりょうえ、聖徳太子の命日法要)の日に雅楽が終日披露される。四天王寺の雅楽は、宮中(京都)、南都(奈良)と共に三方楽所とされた「天王寺楽所」によって伝えられ、雅楽の最古の様式を持ち、現在は「雅亮会」が伝統の様式を継承している。
五智光院(重要文化財) - 入母屋造、瓦葺き。元和9年(1623年)、徳川秀忠による再建。元は西大門付近にあったものを明治34年(1901年)、本坊内の現位置に移築。大日如来を中心とする五智如来像を安置する。
本坊方丈(重要文化財) - 「湯屋方丈」とも証する。元和9年(1623年)、徳川秀忠による再建。
本坊庭園 - 「極楽浄土の庭」と称される。
元三大師堂(重要文化財) - 寄棟造、瓦葺き。元和4年(1618年)建立。境内西北の墓域に位置する。
石鳥居(重要文化財) - 中心伽藍の西側、西門のさらに外に立つ。永仁2年(1294年)、それまでの木造鳥居を石鳥居にあらためたもので、神仏習合時代の名残である。鳥居上部に掲げられた額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」とあり、釈迦如来が仏法を説いている場所でここが極楽の入口であるとの意である。ここは西の海に沈む夕陽を拝して極楽往生を念じる聖地であった。
この他、境内には重要文化財の本坊西通用門をはじめ、大黒堂、英霊堂など多くの堂宇が点在する。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
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2011-12-23(Fri)

五條宮

五條宮は大阪市天王寺区真法院町に鎮座する神社。

○祭神
敏達天皇
橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社。

○歴史
四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。 後、敏達天皇社と改められ、五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。明治5年(1872年)、村社に列し、大正4年(1915年)6月、神饌幣帛料供進社に指定される。

○境内
稲荷神社 
乗光大明神
八王子大明神
福永大明神
七神合堂  昭和50年(1975年)建立。
猿田彦神社
市杵島神社
天満宮
天照皇大神宮
八幡大神宮
阿遅鋤高彦根神社
宇賀御魂神社    
光明竜王祠

○交通アクセス
大阪市営地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅より東に徒歩7分

○所在地
大阪市天王寺区真法院町24-9

○例祭
7月16日(夏祭)
10月16日(秋祭)
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2011-12-23(Fri)

久保神社

久保神社は大阪市天王寺区勝山に鎮座する神社。
○祭神
天照大御神
相殿:熊野大神
稲荷大神

歴史
昔、この辺りは窪地だったのでこの名が出たといわれる。もと四天王寺七宮の一にして久保村の産土神。四天王寺建立の願が成熟したことから、願成就宮ともいい、願掛けが多い。

明治5年(1872年)に村社に列した。
明治40年(1907年)生野国分の村社稲生神社と熊野大神宮を合祀。
明治43年(1910年)神饌幣帛料供進社に指定される。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失。
昭和27年(1952年)社殿を再建。

○交通アクセス
大阪環状線寺田町駅より北西に徒歩11分

○所在地
大阪府大阪市天王寺区勝山2丁目5-14

○例祭
7月16日・10月16日
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2011-12-23(Fri)

河堀稲生神社

河堀稲生神社は、大阪市天王寺区大道にある神社。祭神は宇賀魂大神、崇峻天皇、素盞嗚尊。

○歴史
古代・景行天皇の時代、当時昼ヶ丘と呼ばれていたこの地に稲生の神を祀ったのが最初とされている。聖徳太子が四天王寺を建立した際に社殿が造営され、崇峻天皇を合祀して四天王寺七宮の一つに数えられた。続日本紀によれば、延暦7年(788年)3月、摂津太夫・和気清麻呂が農業の振興と水害の防止を目的に、摂津国と河内国の国境に河川を築いて西方の海に流し込む大規模土木事業を提案し、工事の安全を祈願した。この工事を境に、付近一帯の地名表記は古保礼から河堀と改まった。江戸時代初期、片桐且元の寄進により壮麗な権現造の拝殿に改まった。元禄2年(1689年)、素盞嗚尊を勧請し合祀。1907年(明治40年)、清水谷にあった稲荷神社を合祀して、現在の社名に改まった。この稲荷神社は、大阪城内の屋敷の鎮守であった。1945年(昭和20年)の大阪大空襲により江戸時代からの壮麗な社殿は焼失。現在の建物は1950年(昭和25年)に再建されたものである。

○所在地
大阪市天王寺区大道3-7-3

○例祭
7月18日・19日(例大祭)

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2011-12-22(Thu)

今日は冬至

今日は冬至ですね。それと今年も後10日くらいで終わりですね。

明日からめちゃくちゃ寒くなるそうです。このごろ掃除やごみ捨て、資源ごみの処理等に追われてます。
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それとまだ写真の整理が出来てない部分があるので、整理をしようと思います。当然のこと、写真も一部UPします。

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2011-12-22(Thu)

興徳寺

興徳寺は大阪府大阪市天王寺区餌差町にある 高野山真言宗 の仏教寺院。
○歴史
天平年間(729年~749年)行基の開創。度々の兵火に火災を罹り、古記を失う。
天正年間(1573年~1592年)の頃、祐乗上人が再興。
大正4年(1915年)6月1日の火災で本堂・庫裏を失い、わずかに土蔵のみが残った。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲では山門を残して全焼す。

○境内
高野山立里三宝荒神分社
融通地蔵尊

○交通
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅より、南西に徒歩7分。
大阪環状線 玉造駅より、西に徒歩10分。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17
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2011-12-22(Thu)

清水寺

清水寺は、大阪市天王寺区伶人町にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山・四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録されている。大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」があることでも知られている。京都の清水寺 を模して建立されたために、新清水寺とも呼ばれる。旧本堂(2008年5月現在、墓地)の西側の崖に柱を組み上げて作った舞台があり、京都の清水寺を彷彿とさせる。

○歴史
創建の時期や事情については判然としない。もとは有栖寺(うすじ)と称していた。寛永17年(1640年)に延海阿闍梨(えんかいあじゃり)により中興された。延海は観世音菩薩の御告げを受けて、京都の清水寺を模した舞台造の本堂を建立し、本尊として京都の清水寺から迎えた千手観音像(聖徳太子作の伝承をもつ)を安置した。当寺の境内は北・西・南の三方が崖になっており、往時は大坂の街や大阪湾を見渡す眺望の地であった。

○境内
本尊 - 本堂内には本尊として十一面千手観世音菩薩、脇侍として阿弥陀如来像と勢至菩薩像を安置する。また、両界曼荼羅を奉安する。
風天像 - 風天は仏法を守護する十二天の内の一つであ。風天は風気を司るとされ、悪気魔風を退散させて、衆生の身体に障りの無いように加護するとされている。そのため、船員・漁師・建築関係者・農家などの信仰を集めている。一般の家庭でも、風邪除(かぜよけ)を願い、また、感冒に罹患(りかん)した人々の信仰を集めている。
地蔵菩薩像 - 本堂西南に安置。昔、毎夜、池の上に浮かび上がる霊木があり、その霊木から赤子の泣き声が聞こえるので、ある人が不思議に思い、これこそ衆生を加護するために出世した地蔵尊であるとして、その霊木に地蔵尊を刻み、現在地に安置したと伝えられている。五疾平癒・除災招福の誓願があり、子供守護の利益があるとされ、信仰を集めている。
玉出の滝(たまでのたき) - 境内には大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」がある。清水寺の南側の谷にあり、四天王寺金堂下にある青龍池から流れ出ているとされている白石玉出の霊水が300m離れた地下を流れて滝になっている。聖徳太子御本願縁起に「青龍恒守護麗水東流号日白玉出水以慈悲心飲之為法楽」とあり、霊験があるとされていた。水量はわずかである。滝の奥にある石窟に石像の不動明王・八大竜王神などを祀り、滝行場となっている。時折、滝に打たれて行を行う人が見受けられる。石窟に安置している不動明王は観世音菩薩の化身とされる。なお、現在では、滝の水は衛生上の観点から飲用不可となっている。
十三重石塔 - 鎌倉時代建立。

○年中行事
1月1日 午前1時 初護摩
2月1日~2月2日 風邪除け風天尊祭
3月彼岸 中日回向
5月28日 不動尊春の大祭
8月13日 盂蘭盆墓供養供
8月24日 地蔵盆供
9月彼岸 中日回向
11月28日 不動尊秋の大祭
毎月行事
21日 先祖回向日(午前中)
28日 不動尊祈祷日(午前10時30分・午後3時30分)

○御詠歌
たふとしや 大江のきしの かんぜおん たきもたまでの なにかがやきて

○札所
新西国三十三箇所観音霊場客番
近畿三十六不動尊霊場第2番札所
摂津国八十八箇所霊場第26番札所

○所在地
大阪市天王寺区伶人町5-8

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2011-12-22(Thu)

持明院

持明院は大阪府大阪市天王寺区生玉町にある真言宗御室派の仏教寺院。
○歴史
応永年間(1394年~1427年)の紛争で旧記を失い、創立の年月日は不詳。
慶長2年(1597年)宥楽の中興。
宝暦5年(1755年)檀家と協力して10世覚苑が再建。
当寺は田能村竹田が大坂へ来た折の宿坊で、浦上玉堂も暫く同宿し、竹田の名画を多く所蔵していたが戦災で失った。 『摂津名所図会』に「金毘羅権現は京師御室仁和寺宮より御寄附にして当寺の鎮守とす」と、大坂三金毘羅の上の金毘羅を祀っていた。今も石燈籠に金毘羅大権現の名が残っている。

○境内
卯之曰大明神・二十曰大明神・橋姫大明神
子育地蔵尊

○所在地
大阪府大阪市天王寺区生玉町2-15
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2011-12-22(Thu)

真光院

真光院は大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある和宗の仏教寺院。

○歴史
寺伝によれば、推古天皇2年(594年)聖徳太子の草創で、用明天皇追孝の念仏法会を修した折に、天竺祇園精舎の西北角に当たる無常院に模して、四天王寺の無常院菩提所と定めた。本尊を引導仏と称した。 当院に聖徳太子が六万体の石地蔵尊を刻んで納めたといい、六万体町という地名にその名を残している[1]。

○交通アクセス
大阪市営地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅より、南西に徒歩2分。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町4-8
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2011-12-22(Thu)

欣浄寺

欣浄寺は大阪市中央区にある浄土真宗高田派の仏教寺院。

○歴史
天正年間(1573年 - 1592年)の末頃、伊勢の僧慶孝の開創。 初め空谷山光尊寺といい、内本町辺りにあったが、戦乱で失い、のち徳川氏の命令で現在地に移り、寺名も改めた。『摂津名所図会』には「高田専修寺懸所、谷町二丁目にあり。勢州一身田の懸所、欣浄寺と号す。自庵御坊なり。」とある。

○寺宝
絹本著色 玉日姫像 大阪府指定文化財 (昭和50年3月31日指定) 玉日姫は宗祖親鸞聖人の室。(桃山時代)

○交通アクセス
京阪本線 天満橋駅下車、南へ徒歩4分

○所在地
大阪府大阪市中央区谷町1丁目4-5
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2011-12-22(Thu)

善福寺

善福寺は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。宗教法人としての登録名は「どんどろ大師善福寺」。山号については「三松山」とする資料もあるが誤りである。
○概要
現在、善福寺のある位置には鏡如庵(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺があったが、明治時代に廃寺になっている。その後、明治42年(1909年)1月9日に大阪府豊能郡豊能町(旧大阪府豊能郡東能勢村)にあった如意山甘露院善福寺を鏡如庵のあった場所(現在地)へ移転し、現在に至っている。昭和20年(1945年)6月1日の空襲により、どんどろ大師善福寺と本尊・薬師如来は焼失したため、戦後に本尊を弘法大師に改めた。本尊の弘法大師像、脇侍の愛染明王像と不動明王像、脇仏の如意輪観世音菩薩像、薬師如来像は戦後になって新たに造立された。現在の本堂は昭和58年(1983年)11月3日に落慶法要を行った。境内には、明治42年(1907年)5月21日に日露戦病死者記念仏として開眼された勝軍地蔵尊(青銅製)があり、大師堂(善福寺の旧山門を移転改築した建物)に修行大師像(青銅製)が安置されている。修行大師に笠が無いのは、戦時中(太平洋戦争 1942年~1945年)に供出(きょうしゅつ)したためである。

○鏡如庵(どんどろ大師)
鏡如庵は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を弔うために創建されたと言う。鏡如庵のあった付近は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)では、真田幸村が真田丸を築き、激戦があった。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。鏡如庵は「鏡如庵大師堂」とも称される。本尊・如意輪観世音菩薩、浪華(なにわ)大師巡りの道筋にあたり、毎月21日の弘法大師の縁日には多くの参詣者があったと言う。明治6年(1873年)住職の義等が帰農して、鏡如庵は廃庵となる。明治12年(1879年)鏡如寺(きょうにょじ)と寺号を改めて再興するが、まもなく廃寺となった。「どんどろ大師」の語源については、土井利位(どいとしつら)(生没年:1789年~1848年)(下総国・古河(茨城県)藩主)が大坂城代に在任中の期間(1834年~1837年)の屋敷が鏡如庵の近くにあり、土井利位が鏡如庵に祀られている弘法大師に深く帰依し、参拝していたために「土井殿の大師」の名が起こり、遂に、どんどろ大師に転訛したと言うが、正確な語源は分っていない。境内に、土井氏と彫られた五輪塔が今も残る。また、鏡如庵は、歌舞伎「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」、歌舞伎「国訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいずる)」の「どんどろ大師 門前の場」の舞台として設定されている。巡礼姿の娘おつると母おゆみの愁嘆を描いた場面が有名である。

○善福寺
大阪府豊能郡豊能町(摂津国能勢郡木代村にあった高野山真言宗(高野山・発光院の末寺)の寺院。伝承によれば推古天皇の勅願で聖徳太子が開創し、中興は宝亀9年(778年)開成皇子によるというが詳細は不明である。広大な境内を有し、伽藍が整い、多くの僧坊があったと言う。本尊・薬師如来 脇士・日光菩薩 月光菩薩 、十二神将、厨子に納められた、(降雨に霊験があるとされる)聖徳太子像を奉祀していた。木代村から宮中へ献上される「御玄猪餅」(おげんちょもち)(別名・「亥の子餅」(いのこもち))を作る時に使用する井戸や調理道具などを善福寺の院主が浄(きよめ)の御加持(おかじ)を行ったと言う。文禄2年(1593年)には、朝廷より「御玄猪餅」の御加持役のため、田地(約2反)を下賜された。寺運は興隆した。しかし、明治時代になり、宮中への「御玄猪餅」の献上は明治3年(1870年)に停止。それに伴い、御加持役を廃された。また、田地などの返納を命じられて、経済基盤の多くを失った。創建以来、度重なる火災に遭い、多くの堂宇を失った。明治時代に入ると、寺運は急速に傾いていった。明治42年(1909年)に大阪市天王寺区空堀町へ移転することになる。

○授与品
弘法大師「身代わり」お守り
腕輪念珠

○札所
摂津国八十八箇所 第11番札所

○年中行事
1月21日 午後2時~ 大般若転読法会
3月22日 午後2時~ 施餓鬼法会
8月2日 午前10時~施餓鬼法会
8月15日 午後3時~午後8時 お盆 精霊流し
(毎月1日) 午前7時~ 勝軍地蔵尊護摩供
(毎月21日)午前10時~ 勝軍地蔵尊護摩供
(毎月21日)勝軍地蔵尊護摩供終了後、本堂にて観音経読誦

○アクセス
〒543-0012
大阪市天王寺区空堀町10番19号
JR大阪環状線玉造駅下車
大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅下車
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2011-12-22(Thu)

東高津宮

東高津宮とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。仁徳天皇社と称していたこともある。
○由緒
創建年は不詳である。元は生國魂神社の南にあったが、大阪城築城の折、当地付近(現在では大阪上本町駅構内に当たる)に遷座したとの伝説がある。昭和7年(1932年)の上本町駅(当時)拡張工事の折、現在地に移転。現在地を元高津とするのは、当社から高津宮が遷座していったから。ただし、現在は高津宮に合祀された北高津宮に遷座したからとも言われる。戦災で社殿を焼失していたが、昭和42年(1967年)に復興した。

○その他
当社は、仁徳天皇の皇居であるとする明治31年(1898年)の大阪府の調査報告がある。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区東高津町4-8

○例祭
7月10日~11日(例祭)
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2011-12-22(Thu)

藤次寺

藤次寺は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は如意山。
摂津国八十八箇所第19番札所

本尊・如意宝珠融通尊=(宝生如来)
脇侍・金剛幢菩薩・金剛宝菩薩・弘法大師・不動明王
縁日(毎月1日、11日、21日)

○沿革
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥の、任瑞上人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至っている。藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えていたが、寺運の盛衰があった。慶長年間(1596年~1615年)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、堂宇などを建立した。広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったと言う。中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さん」と称されて、多くの人々の信仰を集めている。 明和元年(1764年)、中興清範和上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授けた。江戸時代末まで、九条家(五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった。しかし、昭和20年(1945年)3月、戦災により藤次寺は全焼した。都市計画のために境内地の移転があった。昭和35年(1960年)に金堂、庫裡、寺務所が完成した。藤次寺の塀の前(山門近く)に、如意山 藤次寺、融通さんまいりと記された石碑がある。

○年中行事
如意宝珠融通尊 縁日(毎月1日、11日、21日)
節分祈願会毎年2月3日、もしくは、2月4日の節分の日

○アクセス
地下鉄谷町線・谷町九丁目駅 下車
所在地 大阪府大阪市天王寺区生玉町1-6
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2011-12-22(Thu)

興禅寺

興禅寺は、大阪市天王寺区伶人町にある曹洞宗の仏教寺院。山号は神應山。本尊は釈迦如来坐像。開山は加賀大乗寺二十六世 月舟宗胡、二世は同二十七世 卍山道白。

○歴史
寺記によると早創年代は不明だが、元は住吉大社の北百歩ばかりの所にあり三柱の神を鎮守とし、法橋定朝作の観世音菩薩像を祀っていたと記されている。万治3年(1660年)、月舟宗胡を請して開山に迎え禅堂、庫裏を創建した。後に明治13年(1880年)、現在の場所へ転地している。天王寺七坂の一つ、天神坂の途中にある。境内に「厄除け不動明王」が安置されており、厄除けの寺として知られている。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区伶人町5-28
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2011-12-22(Thu)

吉祥寺

斜体文吉祥寺は、大阪府大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院。山号は万松山。本尊は釈迦如来。赤穂藩藩主浅野家の祈願所であり、赤穂浪士四十七士の墓と石像がある。毎年12月14日に「義士祭」が行われる。

○歴史
寺は寛永7年(1630年)に創建され、正徳元年(1711年)に再建された。元文4年(1739年)には江戸の泉岳寺にさきがけて赤穂義士の墓が建立された。義士討入り当時の住職は赤穂の出身で、浅野長矩とも親交があったという。寺は大正5年(1916年)、失火により全焼。大正14年(1925年)に再建されるが、昭和20年(1945年)、空襲により壊滅的被害を受け、赤穂浪士の墓を残して全焼した。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区六万体町1-20

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2011-12-22(Thu)

壽法寺

壽法寺は大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺院。山号は是心山。近年では寿法寺の字を当てることも多い。
○歴史
寺伝によれば元禄4年(1691年)に筑後善導寺の住職であった信誉恵秀が建立した庵がはじまりであるとする。元禄11年(1698年)、廣誉普照が一寺を建立する心願を立てて常念佛を始め、日野屋利兵衛が土地を寄進。建立された寺は山号が日野屋利兵衛の法名から、寺号がその妻の法名から取られて是心山壽法寺となった。また、春日屋九兵衛や塩屋孫左衛門などによって元禄12年から16年にかけて複数の堂宇が建てられた。本尊は阿弥陀如来像、第3代天台座主・圓仁(慈覚大師)作と伝わる。かつては現在の天王寺区役所付近まで広がっていた毘沙門池のほとりにあって紅葉の名所としても知られ、江戸時代の終わり頃に描かれた錦絵『浪花百景』にも題材として取り上げられている。なお、池は明治末から大正末にかけて全て埋め立てられたため、当時の様子を伝えるのは同寺の通称「もみじ寺」のみである。

○芸人との関わり
桂文三(2?4代)、三遊亭圓馬(2代、3代)、笑福亭松鶴(歴代)など、落語家やその他の芸人の墓地が多く置かれている。

○六十六部廻国供養塔
巡礼者に結縁したことを記念して建てられた供養塔で宝永8年(1711年)2月8日の銘を持つ。大阪市内にある約30基の同種の塔でもっとも古く大きい。平成17年度に大阪市指定文化財に指定された。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区四天王寺2-1-15
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2011-12-22(Thu)

六大院

六大院は、大阪市天王寺区餌差町にある寺院。山号は大阪高野山。高野山真言宗・別格本山。高野山金剛講大阪市本部。本尊・不動明王、弘法大師
六大院別院として、大阪府大東市寺川に金剛寺がある。

○札所
摂津国八十八箇所霊場第14番札所

○御詠歌
六大の法のみおしえ ありがたや 慈雲たなびく み佛の山

○歴史
寺伝によれば、行基菩薩が創建したと伝えられるが詳しいことは分かっていない。年代は不明だが、真言宗大覚寺派に属していた時期があった。中興は、江戸時代末期の木食祐伝上人による。祐伝上人と、そのあとの代の祐範上人が四国に渡り、四国八十八箇所の霊場寺院の山主により開眼された、四国八十八箇所の石仏を背負い、10数余年の歳月をかけて六大院に奉祀した。小原孝澄が昭和3年(1928年)に晋山(しんざん)し、住職となり、荒廃していた六大院の復興に努めたが、昭和20年(1945年)3月の空襲により諸堂など、すべてが灰燼に帰した。昭和29年(1954年)に本堂の落慶法要を厳修した。また、小原孝澄は、摂津国八十八箇所霊場が、戦中・戦後に荒廃し、中絶していた摂津国八十八箇所霊場を復興するために力を尽くした。昭和55年(1980年)1月に札所寺院の結集がなり、摂津国八十八箇所霊場が復興するに至った。

○年中行事
1月21日 初大師
2月3日 節分星祭
3月初旬 四国八十八箇所霊場札所巡拝
3月21日 彼岸法要
6月第1日曜日 青葉祭・奉詠舞大会
6月15日 弘法大師降誕会
8月24日 お盆施餓鬼法要
9月21日 除夜の鐘法要

○アクセス
大阪市天王寺区餌差町5-34
JR大阪環状線玉造駅下車
上本町4丁目バス停信号3ッ目
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2011-12-22(Thu)

円珠庵

円珠庵大阪府大阪市天王寺区空清町にある真言宗御室派の寺院。
○歴史
天和元年(1681年)6月百姓太郎左衛門が契沖に深く帰依して所有地を寄付したのが当庵の起こり。
元禄14年(1701年)1月25日に契沖は当庵にて62歳で亡くなり、墓所は境内にあり、毎年1月25日の契沖忌のみ墓参できる。
明治21年(1888年)12月正4位を追贈、金百円を下賜[1]。
真言宗御室派妙法寺末寺で、本尊は不動明王であったが、戦災で全焼し、戦後は大和の長谷寺の末寺として再建された。
昭和24年(1949年)に庫裡が、昭和30年(1955年)に契沖記念の小建物ができただけで、本堂の再建はなされていない。

○境内
鎌八幡
元和の大坂攻めの時真田幸村がこの八幡宮に必勝を祈願したあと、傍らの榎に鎌を打込んで武人の決意を表して以来、祈る者は鎌を打ち込むことが慣例となった。

○文化財
・重要文化財
契沖著述稿本類
著述稿本類(15種)1巻、47冊
抜書、手沢本類(38種)56冊
附:契沖自筆遺言状 1幅
附:契沖像(絹本著色、藤原漢斉筆)1幅
附:契沖阿闍梨追悼詩歌 1巻

○交通アクセス
大阪環状線及び地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅より、西に徒歩12分。
近鉄上本町駅より、北に徒歩11分
地下鉄長堀鶴見緑地線谷町六丁目駅より、東に徒歩12分。

○所在地
大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
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2011-12-22(Thu)

素盞烏尊神社

素盞烏尊神社は大阪市北区大淀南に鎮座する神社。 通称、八坂神社。
○祭神
素盞烏尊

○歴史
創建年代不祥ながら牛頭天王社・祇園社と呼ばれた浦江の氏神。
明治5年(1987年)、素盞烏尊神社に改め、村社に列す。
明治41年(1908年)12月12日、西里中の八幡神社、江川の野々宮、宮の前の斎宮社を合祀。
明治42年(1909年)6月、神饌幣帛料供進社に指定される。
明治45年(1912年)7月25日、東殿の和邇社を合祀。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失。
昭和52年(1977年)4月16日再建。

○境内
王仁社 王仁臣
八幡社 応神天皇
斎宮社 飯豊受皇女神
野々宮社 飯豊受皇大神
王仁社に関し、『摂津名所図会』では「犬江殿古蹟(おほえどのこせき)難波旧図、田蓑島にあり。この所斎宮女御御楔の地、今大仁村の北端に古松一株あり。その下に石造の宮の屋根なるもの見ゆる。余は土中に埋もれたり。これ、祓除の地の古称なるか。」と記述し、『摂津名所図会大成』では「大古墳」とある。
一本松大明神・正一位稲荷大明神・王仁大明神と呼ばれ、王仁の墓との伝承があるが、 井上正雄氏は大仁の和邇部が誤って伝わったとし、 三善貞司氏は大化2年(646年)に孝徳天皇が制定した大仁墓のことかと、いずれも否定的である。

○交通アクセス
大阪環状線福島駅より北西に徒歩9分

○所在地
大阪府大阪市大淀南3丁目3-25

○例祭
7月18日(夏祭)・10月18日(秋祭)
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2011-12-22(Thu)

栗東寺

栗東寺は、大阪府大阪市北区にある曹洞宗の仏教寺院である。山号は寶樹山と称する。本尊は釈迦如来である
○歴史
天正18年(1590年)鹿児島の福昌寺24世東屋清春大和尚が大坂へ来た時に創建。
天保8年(1837年)類焼す。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失するも再建された。

○交通
・鉄道
大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線 南森町駅から徒歩5分。
JR東西線 大阪天満宮駅から徒歩5分。
JR大阪環状線 天満駅から徒歩10分。
・自動車
阪神高速12号守口線 南森町出口・扇町出口から5分。

○所在地
大阪府大阪市北区与力町1-7
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2011-12-22(Thu)

源光寺

源光寺は大阪市北区豊崎にある浄土宗の仏教寺院。
○歴史
入江長者が娘の病を治した行基に土地を寄進し、天平19年(747年)聖武天皇の勅願寺として開山。平生寺と称す。 天治元年(1124年)良忍和尚が中興し、融通念仏宗に改め、念仏宗一派の本山とす。建永元年(1206年)勝尾寺から法然上人が四天王寺へ日想観を修するために赴く途中、行基ゆかりの寺の荒廃に「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」と詠み再興に尽力し、この歌から源光寺の名をとり、浄土宗に改めた。

○寺宝
絹本著色 阿弥陀来迎図 大阪府有形文化財 (昭和56年6月1日指定) 鎌倉時代

○交通アクセス
阪急電鉄「梅田駅」より、北東へ徒歩8分


○所在地
大阪府大阪市北区豊崎2丁目3-23

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2011-12-22(Thu)

国分寺

国分寺は大阪市北区にある真言宗の仏教寺院。
○歴史
寺伝によれは斉明天皇の頃(655年)、日本法相宗の祖道昭が孝徳天皇の菩提のために建てた長柄寺が起源といい、天平13年(741年)聖武天皇の国分寺創建の発願により、国分寺になったという。 近世になって僧快円が再建。戦時中は真言宗の京都勧修寺の末寺であった。高野山から移した赤不動尊で知られたが、昭和20年(1945年)の空襲で焼失し、戦後、昭和22年(1947年)真言宗国分寺派本山となって独立[1]。『摂津名所図会』には本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作、赤不動尊は弘法大師の作とあり、行基の開基とする。 摂津国分寺については、別に天王寺区にも国分寺がある。

○境内
河合雲啼句碑 泳ぎ出て淋しくなりぬ雲の峰 雲啼
天六ガス爆発慰霊堂 昭和45年4月日の天六ガス爆発事故での死者79名を慰霊する。

○交通アクセス
大阪市営地下鉄「天神橋筋六丁目駅」下車、東へ徒歩2分

○所在地
大阪府大阪市北区国分寺1丁目6-18

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2011-12-22(Thu)

勝楽寺

勝楽寺は大阪府大阪市北区大淀中にある黄檗宗の仏教寺院。
○歴史
寺伝では聖徳太子の創建で、初めは正楽寺といい、後荒廃していたのを戦国大名三好長慶が再建したので長慶山とつけたといわれる。 延宝6年(1678)嵯峨野の直指庵の僧竹(ちくがん)が再建、正徳4年(1714)勝楽寺に改名したという[1]。

○境内
木村家一族代々之墓 天明6年(1786年)4月建之
暁鐘成墓所 大阪市史跡顕彰碑 昭和46年(1971年)4月建立。曉鐘成は西区経町堀の造り醤油業和泉屋に生まれ木村弥四郎と称す。摂津名所図会大成等著わし、万延元年12月19日68歳にて没す。 
羽間家代々墓  
七代五郎兵衛重富は白河楽翁にぬきんでられた大阪の町人学者で寛政改暦を成し遂げ、贈従五位を賜はった[2]。

○交通
大阪環状線福島駅より、北西に徒歩11分

○所在地
大阪府大阪市北区大淀中4丁目5-12

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