2017-11-06(Mon)

11月になってから撮影した夕日。

11月になってから撮影した夕日です。久しぶりに夕日の写真を撮影したような気がします。

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2017-08-29(Tue)

豊中市立第18中学校の体育館

池の上に浮かぶ体育館。渡り鳥や鯉が見られる。内部見学は不可。

所在地:大阪府豊中市蛍池中町4丁目7番1号

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2017-08-29(Tue)

ラグビーの記念碑

全国高校ラグビー大会80回記念モニュメントが阪急宝塚線豊中駅駅前のきたしん豊中広場に。第1回大会は大正7(1918)年に「日本フットボール優勝大会」として豊中グランドで開催され、第5回大会まで行われた。台座には、大会の歴史が刻まれている。

所在地:大阪府豊中市本町1丁目

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2017-08-29(Tue)

セミ

セミ(?・蝉)は、カメムシ目(半翅目)・頸吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)に分類される昆虫の総称。「鳴く昆虫」の一つとして知られる。
○特徴
熱帯や亜熱帯の森林地帯に分布の中心を持つが、亜寒帯の森林、あるいは草原に分布するものもいる。約3,000種が知られ、テイオウゼミのような翅端までが130mmくらいの巨大なものから、イワサキクサゼミのように20mm程度のものまでいる。成虫の体は前後に細長い筒型で、頑丈な脚、長い口吻、発達した翅などが特徴である。一方、触角は短い毛髪状であまり目立たない。翅は前翅が大きく、休息する際は体の上面に屋根状にたたむ。前翅後縁と後翅前縁は鉤状に湾曲していて、飛翔する際はこの鉤状部で前後の翅を連結して羽ばたく。一般に飛翔能力は高く、羽音を立てながらかなりの速度で飛ぶ。オス成虫の腹腔内には音を出す発音筋と発音膜、音を大きくする共鳴室、腹弁などの発音器官が発達し、鳴いてメスを呼ぶ。発音筋は秒間2万回振動して発音を実現するとされる。また、外敵に捕獲されたときにも鳴く。気管の拡大によって生じた共鳴室は腹部の大きな空間を占め、鳴き声の大きな中型種であるヒグラシやヒメハルゼミなどでは腹部の断面を見るとほとんど空洞に見えるほどである。セミに近縁のヨコバイやアワフキムシなどにも同様の発音器官があるが、これらはセミのように人間にはっきり聞き取れる音量・音域ではなく、一般に「鳴く昆虫」とは見なされない。一方、メス成虫の腹腔内は大きな卵巣で満たされ、尾部には硬い産卵管が発達する。

○生態
セミは、卵→幼虫→成虫という不完全変態をする虫である。日本の場合、成虫が出現するのは主に夏だが、ハルゼミのように春に出現するもの、チョウセンケナガニイニイのように秋に出現するものもいる。温暖化が進む近年では、東京などの都市部や九州などでは、10月に入ってもわずかながらセミが鳴いていることも珍しくなくなった。成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、野外では1ヶ月ほどとも言われている。さらに、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつ。

・鳴き声
鳴き声や鳴く時間帯は種類によって異なるため、種類を判別するうえで有効な手がかりとなる。たとえば日本産セミ類ではクマゼミとミンミンゼミは午前中、アブラゼミとツクツクボウシは午後、ヒグラシは朝夕、ニイニイゼミは早朝から夕暮れまで、などと鳴く時間が大別される。]なお、ニイニイゼミは街灯などが明るいと夜でも鳴くことがある。夏に多いとはいえ真昼の暑い時間帯に鳴くセミは少なく、比較的涼しい朝夕の方が多くの種類の鳴き声が聞かれる。

・尿
セミを捕えるのに失敗すると、逃げざまに「尿」のような排泄物をかけられることが多い。これは実際は飛び立つときに体を軽くするためという説や膀胱が弱いからという説もある。体内の余剰水分や消化吸収中の樹液を外に排泄しているだけで、外敵を狙っているわけではない。そのため飛び立つときだけでなく樹液を吸っている最中にもよく排泄する。

○生活史
セミの幼虫は地中生活で人目に触れず、また成虫は飼育が難しいので、その生態について十分に調べられているとは言えない。したがって、ここに書かれていることも含めて、検証が不十分な事項がある。

・幼虫
交尾が終わったメスは枯れ木に産卵管をさし込んで産卵する。枯れ木の上を移動しながら次々と産卵するため、セミが産卵した枯れ木は表面が線状にささくれ立つ。ニイニイゼミなど早めに出現するセミの卵はその年の秋に孵化するが、多くのセミは翌年の梅雨の頃に孵化する。孵化した幼虫は半透明の白色で、薄い皮をかぶっている。枯れ木の表面まで出た後に最初の脱皮をおこなった幼虫は土の中にもぐりこみ、長い地下生活に入る。幼虫は太く鎌状に発達した前脚で木の根に沿って穴を掘り、長い口吻を木の根にさしこみ、道管より樹液を吸って成長する。長い地下生活のうちに数回(アブラゼミは4回)の脱皮をおこなう。地下といえどもモグラ、ケラ、ゴミムシなどの天敵がおり、中には菌類(いわゆる「冬虫夏草」)に冒されて死ぬ幼虫もいる。若い幼虫は全身が白く、目も退化しているが、終齢幼虫になると体が褐色になり、大きな白い複眼ができる。羽化を控えた幼虫は皮下に成虫の体が出来て複眼が成虫と同じ色になる。この頃には地表近くまで竪穴を掘って地上の様子を窺うようになる。

・羽化
晴れた日の夕方、目の黒い終齢幼虫は羽化をおこなうべく地上に出てきて周囲の樹などに登ってゆく。羽化のときは無防備で、この時にスズメバチやアリなどに襲われる個体もいるため、周囲が明るいうちは羽化を始めない。このため、室内でセミの羽化を観察する場合は電気を消して暗くする必要がある。夕方地上に現れて日没後に羽化を始めるのは、夜の間に羽を伸ばし、敵の現れる朝までには飛翔できる状態にするためである。木の幹や葉の上に爪を立てたあと、背が割れて白い成虫が顔を出す。成虫はまず上体が殻から出て、足を全部抜き出し多くは腹で逆さ吊り状態にまでなる。その後、足が固まると体を起こして腹部を抜き出し、足でぶら下がって翅を伸ばす。翌朝には外骨格が固まり体色がついた成虫となるが、羽化後の成虫の性成熟には雄雌共に日数を必要とする。オスはすぐに鳴けるわけではなく、数日間は小さな音しか出すことができない。ミンミンゼミの雌は、交尾直前になると、雄の鳴き声に合わせて腹部を伸縮させるようになるので、その時期を知ることができる。

・成虫
成虫も幼虫と同様、木に口吻を刺して樹液を吸う。成虫、幼虫ともに道管液を吸うとされる。しかし成虫が樹液を摂食した痕には糖分が多く含まれる液が出てきてアリなどが寄ってくることから、成虫の餌は師管液とする説もある。[要出典]ほとんど動かず成長に必要なアミノ酸などを摂取すればよい幼虫と異なり、飛び回ったり生殖に伴う発声を行う成虫の生活にはエネルギー源として大量の糖分を含む師管液が適すると推測される。また逆に、土中の閉鎖環境で幼虫が師管液を主食とした場合、大量の糖分を含んだ甘露を排泄せざるを得なくなり、幼虫の居住場所の衛生が保てなくなるという問題もあり、幼虫が栄養価の乏しい道管液を栄養源とする性質にも合理性が指摘できる。成虫にはクモ、カマキリ、鳥類などの天敵がいる。スズメバチの中でもモンスズメバチは幼虫を育てる獲物にセミの成虫を主要な獲物としていることで知られ、個体群の存続に地域のセミの多様性の高さを必要とする。

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2017-08-23(Wed)

王仁公園

王仁公園は、大阪府枚方市にある都市公園(総合公園)。
○概要
枚方市東部方面に位置し、公園の東部(直線距離で約400m)に存する大阪府の指定文化財(史跡)伝王仁墓(でんわにはか)の人物名「王仁」が公園名の由来である。公園区域のみで単独の街区「王仁公園 」(郵便番号573-0154)を形成する。面積は約9.3ヘクタール(93,000平方メートル)。枚方市にある公園では山田池公園(約71.9ヘクタール)、ひらかたパーク(約15.9ヘクタール)に次ぐ面積で、枚方市が管理する公園の中では最も広い。標高は出入り口で72m、園内の三等三角点「宮山」で76.72m。小高い場所に位置する天然林を切り開いて造られた公園であるため、府道736号線から公園入口までは高低差17m、約400mの上り坂が続く。公園内は車椅子での散策も可能であるが、公園入口からバレーコート及び大芝生広場にかけ、遊歩道の傾斜(最大高低差約12m)が強くなっている。

○施設
プール(夏期)、テニスコート、バレーボールコート、運動広場の有料施設や芝生広場等の無料利用エリアがある[5]。運動広場のグラウンドには夜間照明が設置されている。プールを除く他の有料施設は市外利用者の料金が倍額になるが、枚方市内に在職・在学している場合は市内料金扱いとなる。駐車場、駐輪場は無料。夏期、プール開催期間中は駐車場、駐輪場が混み合うため、公園の入口正面にある小グラウンドが臨時駐車場として使用され、公園内各所に臨時駐輪場が設置される。またグラウンド・テニスコート・バレーボールコートを利用する場合は団体登録、個人登録のいずれかが必要。抽選予約終了後の空きテニスコートは個人登録なしでも使用可能。公園内のビオトープは残存している天然林の区画である。

所在地:大阪府枚方市王仁公園1-1


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2017-02-03(Fri)

天満橋

天満橋は、大阪市の大川に架けられた橋および同市北区の地名、天満橋南詰周辺の地域名。
○天満橋(橋梁)
天満橋は、大川に架かる天満橋筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の橋。難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。大阪市北区天満と大阪市中央区天満橋京町の間を結んでいる。大阪では珍しい2階建ての橋になっており、上部は土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋という。大阪市営地下鉄谷町線が天満橋の地下を通過している。

○歴史
江戸時代には公儀橋に指定され、幕府により直轄管理されていた。江戸時代を通じて架橋地点は現在地より一筋東であり、その北詰の筋が天満橋筋と呼ばれていた。1771年(明和8年)に寝屋川・鯰江川との合流地点の逆流を防止するために将棊島と呼ばれる堤防が築かれ、以降の天満橋は将棊島を跨ぐ橋となった。1878年(明治11年)に新しい木橋が谷町筋と空心町筋(現在天満橋筋と呼ばれる筋)を結ぶ位置に架け替えられた。しかし、木橋は1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。復旧に際して鉄橋に架け替えられた。当時の主要材料にはドイツから輸入されたものが用いられたが、装飾品等には日本製のものが用いられた。鉄橋は50年近く続いたが、路面電車(大阪市電)の往来による揺れが問題化したため、1935年(昭和10年)に耐震構造をもった現在の橋に架け替えられた。この間、1909年(明治42年)の淀川改修工事によって将棊島が姿を消した。1970年(昭和45年)に天満橋交差点(土佐堀通)の渋滞緩和のために跨道橋が建設されたが、北側はそのまま大川を越えて北岸で地上に下りる構造となった。大川上は在来の天満橋の橋脚上に柱を立てて橋桁を重ねる構造をとった。1989年(平成元年)に旧橋(下層)部が改装された。

○現橋の要目
構造形式-カンチレバー式プレートガーダー
橋長-151.0m
幅員-19.0m
中央径間-61.0m
開通-1935年(昭和10年)12月25日


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2017-01-29(Sun)

淀屋橋

淀屋橋は、大阪府大阪市を流れる土佐堀川に架かる、御堂筋(国道25号)の橋。または、橋梁付近の地域名。大阪市北区中之島1丁目と中央区北浜3丁目を結ぶ。国の重要文化財に指定されている。

○概要
元々は土佐堀川に架かる橋の名前だが、その後地下鉄御堂筋線と京阪電車の駅名(淀屋橋駅)とされたことから、駅周辺および中之島東部一帯の地域名にもなっている。中之島には大阪市役所、日本銀行大阪支店があるほか、船場側には日本生命本社や住友村、大阪市の関係機関などのビルが立ち並び、大阪の代表的なオフィス街である。また、橋の南側に位置する淀屋橋交差点に面した土地は、大阪市の中でも非常に高水準の地価となっている(右上側写真の右側、みずほ銀行の入る日土地ビルが建っている場所)。土佐堀川に架かるアーチ型の淀屋橋をはじめ、日本銀行、市役所、中之島図書館、中央公会堂の建物など、景観についても条例などによって規制され維持されている。また、2000年代現在は緩和(50メートル→60-70メートル)されているが、中央区(船場)側の御堂筋沿いのビルの高さは、かつては31メートルに制限されていたため、建物の高さが綺麗に揃ったビル群を見ることができる。その後、大阪市が高さ規制のさらなる緩和を表明。それを受け、淀屋橋交差点南東および南西の区画に超高層ツインビルを建設する計画があったが、着工には至っていない。

○歴史
橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島へ移った。現在の橋は1935年(昭和10年)に御堂筋拡幅工事の一環として完成した鉄筋コンクリート造りのアーチ橋である。淀屋橋と対になる、堂島川に架かる御堂筋の橋である大江橋も同年完成で、両橋のデザインは1924年(大正13年)の大阪市第一次都市計画事業で公募されたものである。パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第一次都市計画事業の目指すところを後世に伝えている。2008年(平成20年)には、「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリート橋としては珍しく重要文化財に指定された。橋の近くには「淀屋橋港」があり、水上バス「アクアライナー」が就航している。


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淀屋橋02

淀屋橋03

2017-01-23(Mon)

難波橋

難波橋は、大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。中之島を挟んで土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。橋の中央で下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。

○歴史・概要
難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。1766年(明和3年)、山崎ノ鼻と呼ばれる中之島東端の新地が難波橋の近くまで埋立造成され、難波橋からの眺めは絶景と言われた。1876年(明治9年)に鉄橋に架け替えられたが、このときに中之島が上流へ拡張されたため、以降の難波橋は中之島を跨ぐかたちとなっている。なお、1891年(明治24年)に山崎ノ鼻を含む東端は中之島公園となった。1912年(明治45年)に大阪市電が天神橋筋六丁目まで延伸される際、市電敷設の反対運動が起こったため、1915年(大正4年)に一筋東の堺筋に新橋が架けられた。パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にして製作されたと言われるこの新橋が現在の難波橋である。当初は難波橋筋に架かる旧橋と区別するため、堺筋に架かる新橋は大川橋とも呼ばれた。新橋は当初中之島を跨いでいなかったが、1921年(大正10年)以降、大川の浚渫で出た土砂埋め立てによりさらに上流へ拡張された中之島公園を跨ぐようになった。中之島通敷設の際に旧橋は撤去され、新橋は名実共に難波橋となった。老朽化が目立ち始めた1975年(昭和50年)に大阪市によって大改修が施され、現在に至る。橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像(=ライオンの石像、天岡均一作)が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。このライオンは天王寺動物園の当時非常に珍しかったライオンがモデルと言われている。像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬(狛犬はライオンがモデルといわれる)の形式を採った獅子=ライオンであると言える。これについて、江戸時代この地に白玉稲荷神社(豊国神社)が祀られていたためであるとの説もあるが、直接の関係はないとされる。相場師として成功した松井伊助の和歌山の別荘六三園には松井が複製した像があることから、松井の寄付によるとの説もあるが、子孫はこれを否定している。像は、当時の池上四郎大阪市長が天岡均一に依頼して作られた。中之島水上公園計画の一環として設計された事により、石橋風の外観、公園と一体となった階段、高欄の獅子像、親柱にはペディメントやメダリオンをあしらい、市章である「みおつくし」をアレンジした意匠が親柱や欄干に模られている。1975年には3年間に及ぶ補修工事により戦時中に金属供出で失われた欄干や橋上灯が復元され、近代大阪を彩った美しい外観を保っている。

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2017-01-23(Mon)

栴檀木橋

栴檀木橋は、大阪市の土佐堀川に架かる、北区中之島と中央区北浜を結ぶ橋。浪速の名橋50選選定橋。

○概要
構造:5径間連続桁橋(ラーメン式鉄筋コンクリート構造)
橋長:86.4m
幅員:15.74m
完成:1985年(昭和60年)

○由来
江戸時代の初期、蔵屋敷のあった中之島と船場の行き来のために架けられたと考えられている。明治18年の淀川大洪水で流されてしまい、再び架けられたのは大正3年。昭和10年に架け替えられ、更に昭和60年に再び架け替えられ、現在に至る。

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2017-01-14(Sat)

ネコ

ネコ(猫)は、狭義にはネコ目(食肉目)- ネコ亜目- ネコ科- ネコ亜科- ネコ属- ヤマネコ種- イエネコ亜種に分類される小型哺乳類であるイエネコ(家猫、学名:Felis silvestris catus)の通称である。人間によくなつくため、イヌ(犬)と並ぶ代表的なペットとして世界中で広く飼われている。より広義には、ヤマネコやネコ科動物全般を指すこともある。

○定義
イエネコの起源は、ネズミを捕獲させる目的で飼われ始めた(狭義の)ヤマネコ(Felis silvestris)の家畜化であり、分類学上はヤマネコの1亜種とされる。一方、広義の「ネコ」は、ネコ類(ネコ科動物)の一部、あるいはその全ての包括的分類を指し、家畜種のイエネコに加えて広義のヤマネコ類を含む。特に学術用語としては、英語の「cat」と同様、トラやライオンなどといった大型種を含む全てのネコ科動物を指すことがある。学名(ラテン語名)「Felis silvestris catus(仮名転写:フェーリス・シルウェストリス・カトゥス)」の語義は「ネコ、野生の、ネコ」である。これは、ヤマネコ「Felis silvestris」(野生のネコの意)の中の「ネコという一群」との命名意図がある。以下、本項では特記なき限りネコ=イエネコとして解説する。

○起源
イエネコは、形態学的分析を主とする伝統的な生物学的知見によって、以前からリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)が原種とされてきた。また、20世紀後半から発展した分子系統学等による新たな知見も、従来説を裏付ける形となった。米英独等の国際チームによる2007年6月29日の『サイエンス』誌(電子版)への発表では、世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAの解析結果により、イエネコの祖先は約13万1000年前(更新世末期〈アレレード期(英語版)〉)に中東の砂漠などに生息していたリビアヤマネコであることが判明した。愛玩用家畜として同じく一般的なイヌ(Canis lupus familiaris)に比して、ネコは飼育開始の時期が遅いが、これは家畜化の経緯の相違による。イヌは狩猟採集民に猟犬や番犬として必要とされ、早くから人の社会に組み込まれたが、ネコは、農耕の開始に伴い鼠害(ネズミの害)が深刻にならない限り有用性がなく、むしろ狩猟者としては競合相手ですらあった。その競合的捕食動物が人のパートナーとなり得たのは、穀物という「一定期間の保管を要する食害を受けやすい財産」を人類が保有するようになり、財産の番人としてのネコの役割が登場したことによる。また、伝染病を媒介する鼠を駆除することは、結果的に疫病の予防にもなった。さらに、記録媒体として紙など食害されやすい材料が現れると、これを守ることも期待された。日本には奈良時代に倉庫の穀物や経典類の番人として輸入されたことにより渡来してきたものと考えられている。農耕が開始され集落が出現した時期の中東周辺で、山野でネズミやノウサギを追っていたネコがネズミが数多く集まる穀物の貯蔵場所に現れ、棲みついたのが始まりと考えられている(リビアヤマネコの生息地と農耕文化圏が重なった地域で、複数回起こっていたと考えられる。)。穀物には手を出さず、それを食害する害獣、害虫のみを捕食することから、双方の利益が一致。穀物を守るネコは益獣として大切にされるようになり、やがて家畜化に繋がった。初めて人に飼われたネコから現在のイエネコに直接血統が連続しているかは不明確。最古の飼育例は、キプロス島の約9,500年前の遺跡から見出される。また、今日のイエネコの直接的・系統的起源は明らかではないが、紀元前3000年ごろの古代エジプトで固定化されたものと言われている。なお、更に遡るとネコの祖先はミアキスという約6000万年前の中型肉食獣に遡る。ミアキスの特性に近いまま進化した種がネコであり、平原に出て集団狩猟を行うプロアイルルスを経て現在の姿に進化した種がイヌである。

○身体的特徴
・概要
体の大きさは現生するネコ科の他のほとんどの動物に比べて小さく、体重は2.5 - 7.5kgの範囲に収まるものが多いものの、大型のものでは、体長(頭胴長)75cm(比較資料:「長さの比較」)、尾長40cm、肩高35cmに達する。樹上生の傾向が強く、また、待ち伏せ型捕食者の典型であるネコの特性は、様々な身体的特徴として見ることができる。非常に優れた平衡感覚に、柔軟性と瞬発力のきわめて高い体の構造、武器である鋭い鉤爪(かぎづめ)や牙を持ち、足音が非常に小さく、体臭が少ないことも挙げられる。また、爪を自由に出し入れできることはその鋭さを常に保持できることを意味し、ほとんどのネコ科動物に共通する特徴である。爪は何時も研いで鋭くする。長く追うことで疲弊させる、あるいは、組織的な罠によって追い詰める追跡型捕食者であるイヌ科動物とは対照的である。吻部(眼窩下部から口先もしくは鼻先までの部位)が突出していない丸い頭部を持ち、正対視するのに有利な前面に眼窩(がんか)が開いている。このことはネコとヒトに共通の身体的特徴で、眼による感情表現が豊かであることも意味し、これがヒトがネコに対して抱く親近感の理由ではないかとも考えられている。他のネコ科動物にも見られる「ゴロゴロ(purr)」と喉を振動させる音のメカニズムには複数の説があり、はっきりとしていない。この音は、親子間のコミュニケーションにも用いられる。

・年齢と寿命
ネコは1歳くらいになると生殖可能年齢を迎え、5歳くらいで落ち着いた雰囲気を醸し出し、7歳あたりから高齢期に差し掛かり、20歳超えはかなりの長寿とされる。屋外で暮らさなければならない野良ネコと人間に室内で飼われているネコの寿命には、歴然とした差がある。室内飼育のネコでは14-18歳程度が寿命であるのに対し、野良ネコでは4 - 6歳程度である。ネコの年齢をヒトに換算すると、室内ネコの場合は例として1歳で人間でいう17 - 20歳、2歳で23 - 25歳、以降は1年ごとに4、5歳ずつ比例していく計算となるが、成熟期が短く中年期が長いため単純な比較はできない。

・体格
ネコは骨格や筋肉の付きかた、脚の長さなどによっていくつかの種類に分類する事ができる。コビーと呼ばれる種類は短い胴にがっしりとした肩や腰、やや短めの尾を持ち、この代表とされるのがペルシャである。一方、逆三角形の顔に長い四肢、鞭のような尾をもつオリエンタルというタイプを代表する種はシャムである。この二種の間を分割し、セミコビー、セミフォーリン、フォーリン、そしてそれらの種類とまた違うロング&サブスタンシャル(長く、がっしりとした、という意味)という種類を加えた6種がネコの体格に関する基本的区分である。

・体の柔軟性
ネコの体は非常に柔軟性が高い。関節が緩やかで、筋肉や靭帯も柔らかいため、頭の周り以外は体のほぼ全ての場所を自分で舐めることができる。特に肩の関節は可動性が高く、鎖骨は退化しているが、小さいながらも存在しており(犬や馬など鎖骨がない動物は前腕を内側に曲げ抱きつく所作がとれず木登りができない)、筋肉でつながっている。これらは高い所から着地した場合の衝撃を吸収することに役立っている。また、内臓を前後に移動させる事ができ、これを利用する形で狭い場所を通れるよう身体の幅を自在に調節することが可能となっている。

・運動能力
待ち伏せ型の肉食獣であるネコは俊敏な運動能力をもっている。瞬発力が高く、跳躍力にも長けている。跳躍力は、およそ体高の5倍程度(約1.5m程度)の所に飛び上がることができる。走るスピードは最高でおおよそ時速48kmと言われ、瞬間的に最高速に達する代わりに長くは続かない。 その運動能力にもかかわらずネコが自動車に轢かれることは多いが、それは運動能力の問題ではなく、想像を超える大きさの物体(自動車)に突然遭遇してしまったとき、判断力を失ってその場で体の動きを止めてしまうからであるとされるが異説もある(「#眼・視覚」を参照)。平衡感覚をつかさどる三半規管の能力とは別に、ネコには小脳の視覚による優れた水平線検出能力が備わっており、これによって、三半規管が失調した状態でも、正向反射として空中で正しく上下を判断した上で四本の足を使い着地を行う。

・被毛
被毛は品種により、さまざまな毛色や毛質のパターンを持つ。同品種でも多様な色彩や模様を持つ珍しい動物である。毛色や毛質の決定には遺伝子の働きに因るところが大きいことが分かっているが、遺伝子がどのように活性化、不活性化するかなど、不明な点も多い。毛色は子宮内の状態にも影響を受けるとも言われる。例えば、世界初のクローンネコ「Cc」の毛色は、遺伝子が全く同じにもかかわらず、クローン親のものと異なっていることが知られている。毛色を司る遺伝子は、すでにいくつか解明されており、色を薄めるダイリュート遺伝子や、被毛に縞模様を描くタビー遺伝子などの存在が知られている。品種によっては、突然変異体の遺伝子や、伴性遺伝子の存在もあることから、生まれてくる仔猫の毛色・毛質等をおおよそ判定することは可能であるが、不明な部分も多い。


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2016-12-02(Fri)

国立国会図書館関西館

国立国会図書館 関西館は、京都府相楽郡精華町にある国立国会図書館の関西本館。東京都千代田区永田町に所在する国立国会図書館・東京本館の蔵書収容能力が限界に達しつつあるため、高度情報化社会に対応した「電子図書館」の機能をも盛り込み、2002年10月に京都府相楽郡精華町の関西文化学術研究都市に開館した。建築家陶器二三雄設計の建物は日本建築学会賞を受賞している。
○沿革
1978年11月「近畿圏基本整備計画」の内閣総理大臣決定:関西の自治体や学会、経済界から「第二国立国会図書館」(仮称)の設置要望が高まる。
1982年6月国立国会図書館関西プロジェクト調査会が発足。
1987年4月同調査会、京阪奈丘陵(後の関西文化学術研究都市)への「第二国立国会図書館」の設置を答申。
1987年5月「国立国会図書館第二国立国会図書館(仮称)設立計画本部」が設置される。
同年7月同本部「国立国会図書館関西館(仮称)設立に関する第一次基本構想」を館長に提出。
1991年8月特別顧問会議、「国立国会図書館関西館(仮称)設立に関する第二次基本構想」を策定。
1994年5月関西館準備室設置。
同年12月国立国会図書館建築委員会、関西館の建設を国会に勧告、「国立国会図書館関西館(仮称)建設基本計画概要」を提出。参議院(同月)および衆議院(翌年1月)がこれを了承。
1996年8月陶器二三雄の設計が採用される。
1998年10月関西館の建設工事が着工される。
2002年 3月完工、引渡式挙行。
4月関西館設置。
9月本館からの資料移転が終了。
10月関西館、開館。
2013年第2期施設の調査に着手。
2014年11月国立国会図書館建築委員会が2019年度竣工とする第2期施設第1段階の建設を勧告。

○特徴
遠隔地へのサービスとアジア情報に重点を置いている。国内出版物の国立国会図書館納本冊数が2冊となり1冊が関西館に収蔵される。資料を収蔵する閉架式書庫は、当時の国内最大規模の自動書庫を採用した。物流で蓄積されてきた自動倉庫技術を応用し、資料の書庫からの出し入れも無人搬送車で自動化された。閲覧利用は総合閲覧室とアジア情報室でおこなう。総合閲覧室には、開架式で日本語および欧米語の参考図書、抄録・索引誌、国内の官庁出版物・法令議会資料、図書館情報学資料、主要な雑誌・新聞、全国の電話帳が閲覧できる。蔵書検索や閉架図書の閲覧請求は閲覧席の端末から国立国会図書館蔵書検索・申込システムOPAC(NDL-OPAC)の検索でおこなう。アジア情報室には、アジアに関連する日本語および外国語の図書、定期刊行物(雑誌、学術誌)、新聞などが開架式に配架されている。また、アジア各国の書誌情報や図書館所蔵、新聞記事名検索データベースを利用できる国立国会図書館蔵書検索・申込システム端末もあるが、一部については印刷ができない。希望者は、閲覧室のほか研究室の利用も可能である。ただし、同館資料を利用する場合に限られる。

○カフェテリア・売店
4階に衆議院共済組合の運営するカフェテリアがある。館外にもファミリーレストランが数軒ある。かつては売店もあったが現在は閉鎖されている。

○アクセス
片町線 祝園駅・近鉄京都線 新祝園駅から奈良交通バス39・41系統もしくは精華くるりんバス南ルートに乗車、国立国会図書館下車(所要時間約10分)。
近鉄けいはんな線 学研奈良登美ヶ丘駅から奈良交通バス41・47・48系統に乗車、国立国会図書館下車(所要時間約15分)。
京都駅八条口から京阪バス・奈良交通バスに乗車、国立国会図書館下車(平日のみ運行。所要時間約1時間)

○所在地
〒619-0287京都府相楽郡精華町精華台8-1-3


http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/index.html


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2015-12-03(Thu)

F・ナイチンゲール像

ロンドンにある女史の像を原型にしたもので、世界に2基しかないという珍しい銅像。多くの看護学生たちが「奉仕と博愛」の精神を誓いにここを訪れます。
所在地:〒666-0035兵庫県川西市花屋敷1丁目
お問合わせ:072-740-1172

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2015-09-27(Sun)

中秋の名月2015

今日は中秋の名月だったのでデジカメで写真を撮影してみました。

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2015-05-30(Sat)

大阪スカイタワーの七夕

大阪スカイタワーの七夕の写真撮影してきました。

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2015-04-24(Fri)

モクレン

モクレン(木蓮、木蘭、Magnolia quinquepeta もしくは Magnolia liliiflora、中国では紫玉?と表記するが木?、辛夷、木?、望春、女郎花とも呼ばれる)は、モクレン目モクレン科モクレン属の落葉低木。花が紫色であることから、シモクレン(紫木蓮)の別名もある。ハネズ、モクレンゲと呼ばれることもある。昔は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する。今日では、ランよりもハスの花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになった。
○特徴
・分布
中国南西部(雲南省、四川省)が原産地である。英語圏に紹介された際に、Japanese magnolia と呼ばれたため、日本が原産国だと誤解されている場合がある。
・形態
小型で樹高3-5m程度。葉は互生で、広卵型、長さ8-10cm、先は尖る。花期は春(4-5月頃)。花は濃い紅色から桃色で、花弁は6枚、がくは3枚、雄しべと雌しべは多数が螺旋状につく。上品な強い芳香を放つ。ハクモクレンとは異なり、花びらは舌状で長い。実は赤い。
・利用
庭木、公園樹として中国、日本だけでなく、北米やヨーロッパ諸国で広く栽培されている。移植は困難であり、株分けによって殖やす。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では国花に指定されている。

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○近縁種
・ハクモクレン
ハクモクレン(白木蓮、学名:Magnolia heptapeta、シノニム:Magnolia denudata)はモクレンの仲間で白色の花をつける。しばしば、「モクレン」と混同され、そう呼ばれることがある。モクレン属の中では大型の種類で樹高は10-15m程度まで成長する、春、葉に先立って大形で白色の花が開く。

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・サラサモクレン
モクレンとハクモクレンの雑種はサラサモクレン(更紗木蓮、Magnolia × soulangeana)と呼ばれ、やはり街路樹などに用いられる。樹高は6-10mと変化に富む。花の形はハクモクレンに似て丸い。花の色は両種の中間に相当するピンク色が基本だが、やはり白から紫までの変化に富む。開花時期はハクモクレン、サラサモクレン、モクレンの順である。

○交雑種
シモクレンとシデコブシの交雑種もあり、花の外観は細めのシモクレンに見える。

2015-04-24(Fri)

ツルレイシ

ツルレイシ(蔓茘枝、学名:Momordica charantia var. pavel)は、未熟な果実を野菜として利用するウリ科の植物である。また、その果実のこと。一般的にはニガウリ、ゴーヤーなどと呼ばれる。
○名称について
和名の「ツルレイシ」は、イボに覆われた果実の外観と、完熟すると仮種皮が甘くなるという2つの形質が、ムクロジ科の果樹であるレイシ(ライチ)に似ていることに由来する。つまり、蔓性の植物体に実るレイシの意味である。果肉が苦いため「ニガウリ」とも呼ぶ。農学・園芸学ではツルレイシを用いることが多いが、生物学では近年ニガウリを用いることが多い。沖縄本島ではニガウリのことを「ゴーヤー」と呼ぶのが一般的で、沖縄料理ブームの影響もあり、全国的にも「ゴーヤー」または「ゴーヤ」を使用することが多くなっている。「ゴーヤ」という呼称が普及していった経緯は諸説ある。九州・南西諸島各地に地方名があり、沖縄県では沖縄本島(首里・那覇方言や今帰仁方言など)で「ゴーヤー」、宮古島(宮古方言)で「ゴーラ」、八重山(八重山方言)で「ゴーヤ」、熊本県をはじめとする九州の大部分では「ニガゴリ」又は「ニガゴーリ」、鹿児島県奄美大島では「トーグリ」、長崎県諫早地方、鹿児島県本土では「ニガゴイ」などと呼ばれている。諫早地方では「ニガウイ」の名称も併用される。以上のように多くの名称が用いられているが全て同じ種類の植物で、つまり標準和名ニガウリ、別名ツルレイシ(蔓茘枝、学名:Momordica charantia var. pavel)である。ただ、広く流通する現代では幾つかの栽培品種が存在し、品種によって苦味の強さにも差があり、九州地域で栽培されてきた細長い品種は苦味が強く、沖縄地域で栽培されてきた太いものは苦味が穏やかである傾向がある。前者の細長い品種を「ニガゴイ」ないし「ニガゴリ」、後者の太いものを「ゴーヤー」と栽培されてきた地域のそれに習い、呼び分ける場合もある。中国語では 苦瓜 (k?gu?、クーグア)や 涼瓜 (lianggu?、リァングア)などと呼ばれ、広東料理、台湾料理などで日常的に食用にするだけでなく、焙煎してお茶として飲用することもある。広東語では菩??(pou4 daat6、ポウダーッ)と呼ばれる場合もある。 英名の bitter melon も苦い瓜の意味である。

○普及
2001年から2007年まで放送された、沖縄県の小浜島と沖縄本島などを舞台にしたNHK朝の連続小説『ちゅらさん』により沖縄の文化が注目されるようになり、また、ドラマで擬人化したマスコット「ゴーヤーマン」が登場して、ゴーヤーの名が広まった。また、沖縄料理の中でも特に人気のある料理であるゴーヤーチャンプルーの材料として、全国的に需要が増加した。現在では沖縄料理に限らず様々な料理に利用されるようになり、日本各地で日除けの目的でも栽培が行われるようになった。

○特徴
つる性の一年生草本。成長すると長さ4 - 5mになる。果実は細長い紡錘形で長さ20~50cm、果肉を構成する果皮は無数の細かいイボに覆われ、両端は尖り、未成熟な状態では緑、熟すと黄変軟化し裂開する(収穫しても、常温で放置しておくと同じ状態となる)。完熟した種子の表面を覆う仮種皮は赤いゼリー状となり甘味を呈する。腐敗しているわけではなく食すこともできるが、歯ごたえのある食感は失われる。元来野生状態では、この黄色い果皮と赤くて甘い仮種皮によって、果実食の鳥を誘引し、さらに糞便によって種子散布が温帯地方から亜熱帯地方に広まったと考えられる。

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2015-04-04(Sat)

毛馬水門

毛馬水門は、大阪府大阪市北区にある淀川と旧淀川(大川)を隔てる水門。大川に流れる水量を調整する役目と同時に、淀川と大川の水位差により困難となる船舶の通過をスムーズにさせるための設備である閘門 および 大川の水を強制排水するための機能を備えている。国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所毛馬出張所 および 大阪府西大阪治水事務所 が管理している設備のうち、「毛馬閘門」「毛馬排水機場」を含む旧淀川側にある施設について解説する。
○歴史
毛馬水門は、明治29年(1896年)に開始された新淀川の開削を含む淀川改修工事の際に計画され、明治40年(1907年)8月に最初の設備として、普段の川の水を流すための「毛馬洗堰」と船舶通過のために水位を調整するための「毛馬閘門」が完成した。現在の毛馬排水機場の西側に設置された。その後に行われた大川の浚渫工事で、大川の水位は大幅に下がり、新淀川との水位差が広がり、閘門が対応できなくなったため、最初の閘門の下流に二つめの閘門が大正7年(1918年)に設置された。水位調節は第二閘門が行い、第一閘門は常時は解放して新淀川の水量増大時に閉鎖する役目となった。1974年(昭和49年)に現在使用されている閘門が完成、第一閘門、第二閘門は1976年(昭和51年)まで併用され、その後第一閘門周辺は公園施設として整備された。第二閘門水路は現在は舟溜まりとして使用されている。1983年(昭和58年)までに現在の淀川大堰・毛馬排水機場が完成した。

○施設概要
毛馬排水機場は、洪水の際に大川の水量・水位が上昇したり、高潮の際に安治川や木津川など下流のの水門が閉鎖された場合にポンプにより新淀川へと排水を行なうための設備である。1981年(昭和56年)に設置された。普段は閘門の横にある径間7m×三連の水門を調節して下流に流れる水量を調節し、異常時に水門を閉鎖し、場合によりその西にある排水設備で排水するようになっている。毛馬閘門は毛馬水門の東にあり、さらに東に予備の閘門があるが現在は使用されていない。排水機場と閘門の間の北側延長上に淀川大堰がある。

・旧第一閘門
第一閘門は、内務省土木監督署の技師沖野忠雄の指導による淀川治水計画の一環として設計施行されたもので、両岸がレンガ造りとなっており、水路前後に鉄製観音開きの制水扉が設置され、両岸からハンドルを回して開け閉めした。
現在は使われておらず、貴重な産業遺産として一部が淀川河川公園の一施設として整備保存されている。2008年(平成20年)6月に旧毛馬洗堰とともに国の重要文化財に指定された。
水路長さ:約80m
水路幅員:約10m
側壁高さ:約8m

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・旧第一閘門周辺
旧第一閘門東の一角に「淀川改修紀功碑」がある。明治43年(1910年)に淀川改修工事完了を記念して建てられた。その横に毛馬北向き地蔵の祠がある。その周囲に「毛馬の残念石」という大きな石が数個転がっており、江戸時代に大坂城を再建するときに伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落し、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされる。上流側の門のそばに新淀川開削や毛馬洗堰造築で活躍した沖野忠雄の像がある。さらに東に旧毛馬洗堰三門が保存されている。レンガと花崗岩で構築され、かつては総延長53m、十門のゲートがあった。第一閘門西側にはかつて長柄運河が流れており、閘門下流側門そばに「眼鏡橋」が設置された。現在は運河は埋め立てられたが、眼鏡橋は修復のうえ保存されている。

○所在地
〒531-0063 大阪市北区長柄東3-3-25

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2015-04-04(Sat)

シャクナゲの写真撮影しました。

家の庭にあるシャクナゲの写真撮影しました。

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2015-04-04(Sat)

桜の写真撮影してきました。

桜の写真撮影してきました。

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2015-01-08(Thu)

御前浜公園

御前浜公園は夙川の下流、西宮港に面した砂浜で、夙川河口鳥獣保護区に指定されている公園です。御前浜の名前の由来は平安時代にまでさかのぼるそうで、当時の海岸線はもっと北に位置しており、廣田神社の辺りだったと言われています。廣田神社の目の前の浜ということで、敬意の意味を込めて御前の浜と名づけられたそうです。 また、御前浜公園には国の指定文化財である西宮砲台も見所のひとつです。この海岸ではウェイクボード等のマリンスポーツを楽しむ人々も多く見受けられます。

所在地:兵庫県西宮市西波止町

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2015-01-05(Mon)

アピアからくり水時計

阪急今津線逆瀬川駅の東出口を出ると、アピア前の広い歩道橋に時計塔があります。1時間毎に3分間、オリジナル音楽に合わせて、ピエロや馬などが動きます。特別な装置で濾過されたおいしい水が出る仕掛けもあります。

所在地:兵庫県宝塚市逆瀬川1-11-1(阪急今津線逆瀬川駅東出口出てすぐ)

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2015-01-03(Sat)

1日2日に降った雪

1日2日に降った雪の写真を投稿します。

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2014-11-22(Sat)

11月になってから撮影した植物

11月7になってから撮影した植物の写真を投稿します。

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ウメダスケートリンク「つるんつるん」

梅田にあるグランフロント大阪の前に期間限定のスケートリンクが出来たそうです。それで早速見てきました。滑走時には手袋を着用しなければならないそうです。
期間:2014年11月23日(金)~2015年2月15日(日)2015年1月1日は休業
営業時間:12:00~21:00(最終入場:20:30)
料金:大人1,500円/小学生以下1000円(税込・貸靴料込)

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2014-11-18(Tue)

ハギ

ハギ(萩 Lespedeza)とは、マメ科ハギ属の総称。落葉低木。秋の七草のひとつで、花期は7月から10月。

○名称
「萩」は本来はヨモギ類(あるいは特定の種を挙げる資料もある)の意味で、「はぎ」は国訓である。牧野富太郎によるとこれは「艸+秋」という会意による国字であり、ヨモギ類の意味の「萩」とは同形ではあるが別字という。「芽子」「生芽」とも字を当てる。

○分布
東アジア、南アジア、北米東部、オーストラリアの、温帯・亜熱帯。

○特徴
数種あるが、いずれも比較的よく似た外見である。背の低い落葉低木ではあるが、木本とは言い難い面もある。茎は木質化して固くなるが、年々太くなって伸びるようなことはなく、根本から新しい芽が毎年出る。直立せず、先端はややしだれる。葉は3出複葉、秋に枝の先端から多数の花枝を出し、赤紫の花の房をつける。果実は種子を1つだけ含み、楕円形で扁平。荒れ地に生えるパイオニア植物で、放牧地や山火事跡などに一面に生えることがある。

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2014-11-18(Tue)

キク

キク(菊)は、キク科キク属の植物。ここでは、狭義のキク(イエギク、栽培ギク)について詳述する。日本で観賞用多年草植物として発展した品種群を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼ぶ。
○概要
イエギク(家菊、学名 Chrysanthemum × morifolium syn. Chrysanthemum × grandiflorum Kitam.)は、キク科キク属の植物。秋に咲く花であるが、短日性植物で、電照などを用いた作型の分化により、周年供給されている(電照菊を参照)。食用にする「もってのほか」などの品種もある(食用菊を参照)。花言葉は「高貴」である。鑑賞園芸的には和菊、生産園芸的には洋菊が中心に栽培されている。また、切花としては温室での電照栽培で周年出荷されている。バラ、カーネーションとともに生産高の多い花卉となっている。日本では、薬草や観賞用植物として平安時代より用いられ、宮中では菊の節句とも呼ばれる重陽の節句(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、現在でも皇室園遊会(観菊御宴)として行われている。日本で菊の栽培が盛んになったのは、栽培のプロセスが冬に芽をとり、春に植え、夏に成長させ、秋に観賞するといった具合で、イネの栽培と類似していることが影響しているとの説がある。現在では各地に愛好会ができる一方で、秋にはそれらが主催の品評会が開かれている。物品への意匠として用いられることも多く、後鳥羽上皇が身の回りのものに施したことにより天皇および皇室の紋となったといわれ、鎌倉時代には蒔絵や衣装の文様として流行した。日本の南北朝時代以降には天皇より下賜されることにより公家や武家の間で家紋として使用されるようになった(詳細は「菊花紋章」を参照のこと)。日本では黄泉の国神話の口承による影響で、伝統的に仏花や献花として菊が使用されてきた。 世界的には、フランス、ポーランド、クロアチア等の一部のヨーロッパ諸国において白菊が墓参に用いられ、中国、韓国でも葬儀の際に菊が用いられることが多い。キクの花弁が放射線状に並んだ形状に由来する慣習的な呼び名があり、アンモナイトの化石のことを「菊石」といったり、また陶芸やそば打ちでの材料の練り方に「菊練り」がある。

○歴史
・日本
日本にも350種ほど野菊(下記参照)が自生しており、ヨモギなどは食用とされる。

菊の文字は、日本書紀において菊理媛神(くくりひめのかみ)と神名の一部に現れる。黄泉を訪問したイザナギ(伊奘諾尊)がイザナミの変わり果てた姿を見て逃げ出し、黄泉比良坂で生者(イザナギ)と死者(イザナミ)の言葉を取り継ぐ場面で伊奘諾尊と菊理媛神が登場する。

 是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。-日本書紀

万葉集には現われないが、古今集あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。

 「心あてに折らばやをらむ初霜のおき惑わせる白菊の花(凡河内躬恒-小倉百人一首 第29番)」

春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を天皇家の家紋とした頃からである。また、九州の豪族菊池氏も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。江戸時代前期から栽培熱が高まり、育種が進んで多数の品種が生み出され、正徳頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行われた。また、江戸、伊勢、京都、熊本などでそれぞれ独自の品種群、系統が生じた。「三段仕立て」などの仕立ての様式やその丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が観賞された。全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、その中でも「江戸菊」は咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化していく様を鑑賞する。このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。

・ヨーロッパ
ヨーロッパへは18世紀後半に中国からもたらされたがなかなか人気が出なかった。しかし、その後幕末の日本から様々な品種がもたらされると、これが大変な人気を呼び、以後イギリスを中心にヨーロッパでも菊の育種が盛んになった。このように、日本美術が西欧美術に多大な影響を与えたのと同じく、菊をはじめとする日本の園芸植物もまた西欧の園芸育種に大きな影響を与えたと言われている。その後西欧では切り花用や修景用など生産園芸分野での育種が進み、スプレーギクなどが生まれている。

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2014-11-12(Wed)

家の近所で見かけた猫

家の近所で見かけた猫の写真を投稿します。
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2014-08-31(Sun)

7月8月に撮影した朝顔

7月8月に撮影した朝顔投稿します。

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2014-06-08(Sun)

水月公園の花菖蒲2014

水月公園の花菖蒲を見に行ってきました。
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2014-06-02(Mon)

大阪スカイタワーの七夕2014

大阪スカイタワーの七夕の写真を撮影してきました。
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