2017-03-27(Mon)

昆陽池公園

昆陽池公園は、兵庫県伊丹市にある都市公園、公園の池は昆陽池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定された。

○概要
731年(天平3年)、行基の指導により農業用のため池として昆陽池が作られた。1965年(昭和40年)に伊丹市が公園化。その後の工事で、さらに拡張し今の形になった。白鳥が自然放養されているほか、冬には3000羽を越えるカモやカモメなど渡り鳥の飛来する関西屈指の野鳥の楽園として知られている。池の中ほどに日本列島を模した人工島があり、大阪空港を離陸した直後の飛行機の窓からその形を間近に望むことができる。市民の憩いの場として、樹木や水生植物の植栽や野鳥の給餌池の設置等、ビオトープ整備が進んでいるが、近年、池の周囲に植林されている樹木に営巣するカワウの糞に含まれるリンによる樹木被害や、急激に増加するカラスの群れ、野生化したヌートリアが公園の樹木の根を食べるなどの事例が問題となっている。2017年1月に、池で飼育されているコブハクチョウが、鳥インフルエンザで多数死んでいることが確認され、伊丹市のシンボルであるコブハクチョウの生態に影響が出ている。

○公園の施設
伊丹市昆虫館-1990年開館。チョウ温室としては関西一の広さで、一年中チョウが放されている。
ふるさと小径
多目的広場
草生地広場
野鳥観察橋-カモ類、ユリカモメ等の野鳥の観察スポット
売店
スワンホール(伊丹市立労働福祉会館・青少年センター、隣接) - 宿泊施設、レストラン

○利用情報
所在地-兵庫県伊丹市昆陽池3丁目
開園時間-常時(ふるさと小径は午前9時~午後5時)
休園日-年中無休

○交通アクセス
JR宝塚線伊丹駅から伊丹市バスで「松ヶ丘」または「昆陽池公園前」下車(約20分)
阪急伊丹線伊丹駅から伊丹市バスで「松ヶ丘」または「昆陽池公園前」下車(約15分)

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2015-12-18(Fri)

夢ふれあいギャラリー

以前はコンクリート打ちっぱなしで、ひどく汚れていたが、美化運動の一環として、地域の子供が直接防波堤に絵を描いた。平成15年16年度に完成。子供たちの筆遣いが息づく、夢のある絵が楽しめる。又江戸時代の二軒茶屋を描いた絵もある。

所在地:大阪府大阪市東成区神路4丁目
最寄駅:大阪市営地下鉄千日前線「新深江」


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2015-12-18(Fri)

謎のコンドル

今里西之口公園にある石のコンドルのレリーフは、セメントで作られている。地元のお年寄りの話では、昭和10年(1935)からこの付近にあったようだ。このレリーフのデザインは戦前の大機鉄道のマークであり、百貨店に掲げてあったという説が有力である。何かのご縁でこの地に鎮座、少しくたびれている謎のコンドルである。

所在地:大阪府大阪市東成区大今里3-17(今里西之口公園)

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2015-11-30(Mon)

緑ケ丘公園

伊丹市内で最も古い公園。マツやサクラの古木があり、落ちついた静かなたたずまいをみせています。広さ7.8ヘクタール。下池のほとりには日本建築の粋を集めて建てられた鴻臚館(こうろかん)と伊丹市の友好都市、中国・佛山市から贈られたあずまや、亭(ちん)があります。上池に面しては約50種400本のウメが植えられた梅林があり、毎年2月には「観梅と野点(のだて)の会」が開かれます。

○営業期間
休園:無休

○所在地
〒664-0012兵庫県伊丹市緑ケ丘1、2丁目

○交通アクセス
(1)阪急伊丹駅からバスで
(2)伊丹駅からバスで

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2015-02-28(Sat)

藤田邸跡公園

藤田邸跡公園は、大川左岸の大阪市都島区網島町に位置する都市公園である。北に隣接している桜之宮公園の一部となっている。
○概要
北は桜之宮公園、西は大川、南は大阪市公館、南東は藤田美術館、東は太閤園に隣接している。 元は藤田財閥の総帥である藤田男爵家の敷地の一部である。 大阪市から名勝に指定されており、立派な日本庭園がある。春は桜の名所ともなっている。無料の公園ではあるが、開園時間が決まっており午前10時から午後4時までとなっている。休園日は年末年始である。

○歴史
後に藤田財閥となる藤田組の総帥、藤田伝三郎が大川の左岸、網島の地にあった屋敷を明治19年(1886年)に買い取って移り住み、さらに明治十八年の淀川洪水で荒廃していた大長寺(後に移転)の敷地を明治20年(1887年)頃に取得。明治26年(1893年)から明治29年(1896年)にかけて旧本邸を完成させる。明治43年(1910年)から大正5年(1916年)にかけては新本館、西邸、次男徳次郎の為の東邸を今井平七らが棟梁となってこれを完成させ、「網島御殿」や「あかがね御殿」などと称される。この時、他にも京都大学の日比忠彦が設計した当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造りの蔵や多数の茶室など様々な建物を建築していった。その際、大正5年には長男の平太郎が和歌山県高野山の光台院から檜皮葺の多宝塔を移築(光台院には全く同型のものを新築して寄進)し、それを銅板葺に改めた他、梅園梅叟(ばいえんばいそう)を庭師として豪華な日本庭園を完成させる。 その間の明治45年(1912年)には男爵となった伝三郎が死去し、家長・男爵・財閥総帥の座と敷地の大半、そして本邸は長男の平太郎が相続し、東邸は次男の徳次郎、西邸は三男の彦三郎がそれぞれ貰い受けた。そして、昭和18年(1943年)には西邸は大阪市の所有となり、市立実業会館として使用する。 しかし、昭和20年(1945年)6月7日の第3回大阪大空襲により東邸・鉄筋コンクリート造りの蔵・多宝塔を残して大半が焼失。戦後、その敷地は分割された。本邸跡を中心とする中央部は昭和29年(1954年)に鉄筋コンクリート造りの蔵を本館とし、多宝塔を擁する藤田美術館として藤田家の至宝を一般公開。東邸を中心とする東部は昭和34年(1959年)に、藤田観光が東邸を「淀川邸」と称し、多数の建物をも新たに建築し、結婚式等を行うことができる会場太閤園として開業。西邸を中心とする南部は昭和18年に大阪市の手に渡り市立実業会館として使用するが空襲で焼失。昭和34年に大阪市が迎賓館を建築して整備し、大阪市長公館をへて大阪市公館となった。長らく放置されていた日本庭園を中心とする北西部だが、やがて大阪市が入手。この真下の地下を走ることとなるJR東西線とその駅となる大阪城北詰駅の新設工事の際に資材置き場等に使用され、その後きれいに整備。JR東西線開通後となる平成15年(2003年)12月19日に「旧藤田邸庭園」として大阪市から名勝の指定を受けた。 平成16年(2004年)に藤田邸跡公園として桜之宮公園の一部となって新たに開園した。尚、大長寺は近松門左衛門の人形浄瑠璃、「心中天網島」の舞台である。

○交通
JR東西線大阪城北詰駅

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2013-12-24(Tue)

山陽新幹線記念公園

昭和47年3月に開通した山陽新幹線の開業を記念して造られた、西宮市と新神戸駅の間にある全長16250mの六甲トンネルの入り口の真上にある小公園です。公園東側眼下にはトンネルの入り口があり、東西に失踪する新幹線を間近に見ることが出来ます。鉄道ファンにとってはお楽しみのスポットになるかも。


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2013-10-08(Tue)

桜の苑

上音羽口のバス停からすぐのところに、「桜の苑」の入り口がある。桜の苑は、1983年(昭和58年)4月に開設され、一苑と二苑の計2ヘクタールの敷地に、ソメイヨシノやヤマザクラなどの桜が植栽されている。開花期4月中頃には、山一面が桜の花で覆われ、とても美しい景観が楽しめる。開苑期間等については、茨木市農林課までお問い合わせを。
所在地:〒568-0086大阪府茨木市上音羽
TEL:072-620-1622

2013-10-08(Tue)

元茨木川緑地

ここは1949年(昭和24年)に廃川になった茨木川を、グリーンベルト化した全長5キロの緑地。ソメイヨシノを中心に豊富な緑が、四季の移り変わりを知らせてくれる。
所在地:〒567-0025大阪府茨木市田中町~横江1丁目 全長5キロメートル
TEL:072-620-1654

2013-09-10(Tue)

マチカネワニ

マチカネワニは、更新世(ミンデル氷期-リス間氷期頃、30-50万年前頃)に日本に生息していたワニ。体長約7メートルの大型のワニである。化石は、1964年5月に待兼山に位置する大阪大学豊中キャンパスの理学部で新校舎建設現場から出土した。発見の発端は、化石の採取に来ていた人見功ほか1人の青年が、見つけた骨片の化石を大阪市立自然史博物館に持ち込み鑑定を依頼したことである。その後の発掘を通して、ほぼ全身の化石が見つかり、ワニの化石であることが判明した。この出土は、日本で初めてのワニの化石発見であった。その後、他の日本各地でも、更新世のワニの化石が見つかっている。全身化石は大阪大学総合学術博物館に保存されているが、レプリカが複数の施設でも展示されている。発掘当時は、体長8mと推定されていたが、その後7m弱であろうと修正された。このワニは、当初はクロコダイル科のマレーガビアル属の新種と考えられ、1965年に出土した地名にちなんでTomistoma machikanenseと命名された。その後の研究により、マレーガビアル属ではなく別属のワニであることが示唆され、ワニに化したと伝えられる豊玉姫にちなんだ属名を冠した学名Toyotamaphimeia machikanensisが提唱されている。なお、ワニ目には複数の科があるがマチカネワニについては属する科がまだ定まっていない。大阪大学のイメージキャラクター「まっち」のほか、大阪大学や豊中市と関連する組織においてマスコット図案化され、学生・市民に親しまれている。また、ワニ学者の青木良輔は中国で見つかったワニの化石はマチカネワニではないかと指摘しており、その残存個体と接した古代中国人によって空想の動物竜の原型になったと推測している。

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2013-09-06(Fri)

阪大坂

阪大坂は、大阪府池田市の石橋駅から石橋の街中を通り、待兼山西麓を登って大阪大学豊中キャンパスへ向かうルートの後半にある坂。石橋からの坂には他に留年坂もある。

○阪大坂
阪大坂は国道171号と国道176号の交わる「石橋阪大下」交差点の南東隅から出て、待兼山中途へ至る坂の俗称。阪大豊中キャンパスを縦貫したのち、箕面市半町と中央環状線をつなぐ道路へと続くが、一般に阪大坂と呼ばれるのは、石橋阪大下交差点(座標)より豊中キャンパス通用門(座標)(正式名称は「石橋門」)までのやや急な部分である。なお阪大坂自体は豊中市待兼山町に属するが、道路南側の大部分に豊中市と池田市の市境が走っている。石橋阪大下交差点は阪急石橋駅の南東に位置し、東改札口から約340メートル。そこから石橋門まで約440メートルが阪大坂であり、駅から石橋門までは歩いてほぼ10分を要する。かつては舗装もボロボロの狭い道であったが、2005年度に敷石を整え、医学部保健学科と坂の間のフェンスを除去して生垣を整備、また下の取り付け部で一部拡幅されるなど改善が進んでいる。この整備工事は、医学部保健学科敷地内に大阪大学総合学術博物館が開館するなどの、一連の整備計画の一環として行われた。かつては自転車通学をする学生が多く見られたが2007年秋頃から警備員が配置され、自転車は手押しで通行するように呼びかけられ、2008年4月より大学関係者の自転車・バイクを含む車両の通行が禁止された。阪大坂の入り口周辺の地域を「坂下」と呼ぶ。

○留年坂
留年坂は通学のメインルートである阪大坂に対し、阪大坂から池を挟んだ反対側にある山を登る道の俗称である。たんに「裏道」と呼ばれることもある。石橋阪大下交差点付近より住宅地を抜けるか、阪大坂の途中で中山池を回り込むかするとたどり着く。獣道といった様相を呈していたが、1998年頃、坂に近接する大学施設である待兼山会館の建て替えにともなって整備され、遊歩道のようになった。阪大坂と異なり階段が多く、自転車や車椅子では通行できない。留年坂を通りキャンパス内にはいると最初にある建物は学生会館と「明道館」というサークル・クラブ棟である。このため、この坂を通って通学する学生は教室へ行かずサークル棟に入り浸りになる、ということで「留年坂」の名が付いた。教職員や付近住民らも用いる阪大坂の名称と違い、留年坂の名称の通用範囲は狭い。

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2013-05-07(Tue)

旧堺燈台

南海電車堺駅から徒歩約15分。明治10年(1877)、旧堺港の突端に建築された旧堺灯台は高さ11.3m。現存する木造洋式灯台としては、旧安乗埼灯台、福浦灯台と並ぶもっとも古いもののひとつだ。ペリー来航に伴う開国で、外国船が安全に航海できるよう各地に灯台がつくられた際のもの。設計はイギリス人技師のビグルストンによるもので、建築費は市民の寄付などで賄われた。当初は灯油ランプが使われ、緑色を帯びた光がはるか沖まで届いたとか。しかし臨海部の埋め立てが進み、昭和43年(1968)にその役目を終えた。現在は国の史跡に指定されている。老朽化に伴い、平成13年~平成19年3月まで進められていた保存修理工事が終了し、往時の姿が甦った。

所在地:〒590-0974大阪府堺市堺区大浜北町5-1-22
TEL:072-228-7198

2012-12-27(Thu)

ブックオフ鶴橋店

JR環状線鶴橋駅に面白いスポットを見つけました。改札を出たらすぐにブックオフがあるんですよ。
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2012-11-30(Fri)

織田作之助文学碑

昭和19年「新潮」に発表された作品「木の都」は、古き大阪への作者自身のノスタルジーが色濃く漂い、大阪的庶民気質や大阪人情への深い共感が読み取れる優れた作品。
所在地:〒543-0075大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5口縄坂
交通アクセス:地下鉄谷町線四天王寺「夕陽ヶ丘」駅2号出口
営業期間:見学自由
休業:なし
料金:無料

2012-10-31(Wed)

親水公園(箕面西公園)

親水公園は、豊かな水辺の自然の中で水と遊ぶことが出来る身近な水辺空間である。この公園は平成6年に箕面川の河畔に整備された。
所在地:箕面市桜2丁目
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2012-10-15(Mon)

大阪市北区にある老松町

大阪市北区に老松町と言う町があるのを知ってますか。西天満界隈にある老松町は、古美術と骨董の店が集まった街です。結構骨董好きな人にとっては面白い店が多数ありますよ。


大阪市北区西天満(アメリカ総領事館の裏あたり)

2011-10-22(Sat)

台場クヌギ

台場クヌギって知ってますか。兵庫県川西市黒川地区では昔冬場の農閑期に炭焼きが行われていたそうです。そのときにクヌギの木を切って炭を作っていたため変った形の木があるためこういう名前で呼ばれているのですよ。
地上1~2メートルのところで枝を切り、その切り口からはえる新しい幹を繰り返し伐採することでこの様な変わった形になるそうです。
所在地:兵庫県川西市黒川(黒川公民館の近所です)

2010-10-20(Wed)

両国予備校

僕は昔両国予備校の大阪校に自宅通学をしていました。数年前に閉校してしまったがその後どうなったのかという事が気になったので写真を撮影しに行って見ました。
両国予備校は、かつて存在した日本の予備校。東京都墨田区両国を本拠地に、大阪府東大阪市布施にも校舎を持っていた。
○沿革
1948年、創立者である高畠金蔵が千葉市に高畠英語学校を開校
1974年、東京都墨田区両国4丁目38番5号に、旧両国予備校7号館ビルを建設
1981年4月、東大阪市足代新町17番5号に両国予備校大阪校を開校
1986年4月、文系学部受験科を設置
2004年、大阪校が閉校
2005年2月8日、東京校が閉校
経営者は、のちに高畠金蔵個人から東京都墨田区の「総合学院」になったが、この件に関し、完全な経営権委譲なのか、校長所有の会社あるいは学校法人への委譲なのかは不明のまま閉校を迎えた(現在でも明らかにされてはいない)。なお、「全国医科歯科大学進学指導協会」及び「医歯薬受験研究社」等が「総合学院」の主要な系列会社であった。 寮母の不当解雇に関する裁判の時は、経営は株式会社RFN(被告、旧・株式会社両国スクール)とされた。

一時は大手予備校の一つとみなされた時期もあったが、代ゼミ、河合塾、駿台といった予備校に生徒が流れた影響で、両国予備校に入学する浪人生の激減で一般的に生徒募集が困難となってきたことや、特に本拠地である東京校に関しては、東京に河合塾の医歯学部進学専門の校舎が出来るなど競合する医歯薬専門予備校が増加してきたこと等により、経営が厳しくなっていた。このため、「使命が終わった」との判断により(経営陣の談話による)、2005年2月8日に閉校した。

○概要
医歯薬系に力を入れ、全寮制をとって峻厳な規則を課す、いわゆるスパルタ教育で有名であった。なお全寮制を謳ってはいたものの、特に末期には、実際は通学生でも入学が可能であった。したがって、全寮制だと思い込んでいたが故に、寮に入りたくない人も仕方なく寮に入っていたというケースも見受けられていた。入学説明会の際には、入学生は5~6時間ほどかけて校長の話を聞き(本当にすごい長話だ。それもくだらない内容だ)、入学生の学習の意志を確認するために、「将来立派な医療人、立派な社会人になることを決意し、あらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強に励む者以外は、両国予備校に入学してはならないが、誓うか」と問い、入学生に誓いを立てさせた。この校長から生徒らへの問いかけは、一人一人に向けられ、基本的に全員が「はい!」と答えていた。学生は自宅学習報告書を毎日記入し、学習時間が足りないとみなされた際には「反省書」を書くことが義務付けられていた。ピーク時には複数の寮が乱立するくらい盛況であった。寮によって雰囲気や建物はバラバラであり、運次第であった。予備校に行くと朝すぐに毎日テストが行われていた。近隣の大学生などがアルバイトで試験監督をしていた。

○大阪校寮一覧
・36同仁寮
大阪府東大阪市横沼町2-6-6
最寄駅:近鉄俊徳道駅

・40同仁寮
大阪府東大阪市長堂3-11-3
最寄駅:近鉄布施駅
この寮の近所に暴力団事務所あり。この寮は歩いて通学できる寮だった。

・46同仁寮
大阪府八尾市堤町2-30-84(?)
最寄駅:近鉄河内山本
ここの寮は寮監が元自衛官だったらしく結構厳しかったらしい

・48同仁寮
大阪府八尾市郡川6丁目109
最寄駅:近鉄信貴山口

・58同仁寮
大阪府柏原市玉手町3-23
最寄駅:近鉄河内国分駅

・60同仁寮
大阪府大阪市住吉区南住吉4-11-25
最寄駅:JR我孫子駅

・73同仁寮
大阪府東大阪市俊徳町2-6-22
最寄駅:近鉄俊徳道駅

・78同仁寮
大阪府大阪市東成区大今里南6-11-5
最寄駅:地下鉄新深江駅
ここの寮は歩いて通学できる寮だったそうだ(この寮に入っていた人は歩いてきていた)。今現在シティエビラ新深江と言うマンションになっている(2009年現在)。

ここに書いた以外にもいくつか寮があったそうです。僕が知り得る範囲では「生駒市内」「寝屋川市内(京阪電鉄沿線)」「医聖寮(新大阪の近所にあったらしい)」があったそうです。

写真は後日少しずつUPしていきたいと思う。

2010-10-13(Wed)

高校野球メモリアルパーク

豊中市に「高校野球メモリアルパーク」と言う物があることをご存知ですか。全国高等学校野球選手権大会の発祥地として、豊中グランド跡地の一角に造られました。門柱や赤レンガ壁を再現、壁には1915年(大正4年)の第1回大会の始球式のレリーフが刻まれています。夏には、甲子園出場の高校球児達が記念撮影に訪れる風景を見ることが出来ます。
場所:豊中市玉井町2丁目11番地
最寄駅:阪急宝塚線豊中駅
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2010-02-28(Sun)

梅田地下街の換気塔

さてこの写真は何か皆さんは知っていますか。
実は梅田の巨大な地下街の換気をするための換気塔です(余りきれいな写真でなくてごめんね)。
単なる換気塔ならば、煙突状のものでいいはずなのですがさすが違います。交差点の真ん中にモニュメントとして存在していました。
阪急百貨店や阪神百貨店や曽根崎警察署の近所にあります(阪神百貨店の前にある大きな歩道橋から見えます)。
設計者:村野藤吾/村野・森建築事務所
所在地:大阪府大阪市北区(曽根崎警察署の向かい当たり)
主用途:換気塔
竣工:1963年
大阪北区001



2010-01-20(Wed)

住宅改造博覧会会場跡地

箕面市桜ヶ丘に「住宅改造博覧会会場跡地」と言うのがあることをご存知ですか。
大正11年(1922年)9月21日から同年11月26日まで桜ヶ丘地区で日本建築協会が主催する住宅改造博覧会が開催されました。総面積約16500㎡の会場には、日本建築協会および建築事務所や建築業者等から実物の住宅25棟をはじめ、建築設備・器具、家具等が出品されました。出品された和洋折衷を基本とする住宅や最新照明、電話、暖房器具等の家具や博覧会を大いに盛り上げ、期間中の来場者数は7万余人にも達しました。博覧会閉会の跡、出品された住宅は販売され、人々が生活するようになりました。大正から昭和、平成と時代は移り変わりましたが、緩いカーブを描く街路、急勾配の屋根やアーチ型の玄関を持つ幾つかの今日まで残され、大正時代の人々の、住宅に対する夢を伝えています。
所在地:箕面市桜ヶ丘2丁目
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2010-01-07(Thu)

UCCコーヒー博物館

神戸市中央区の神戸ポートアイランドにUCCコーヒー博物館という博物館があるのをご存知ですか。この博物館は日本で唯一のコーヒーをテーマにした博物館です。
1981年に開催された神戸ポートアイランド博覧会にUCC上島珈琲が出展したコーヒーカップを模した外観のパビリオンUCCコーヒー館をルーツとする施設で、博覧会閉幕後に名称を現在のUCCコーヒー博物館として営業開始した。1986年からの大改装によりコーヒー文化発祥のイスラムのモスクを模した外観に変更され、コーヒー学の確立とコーヒー文化の普及を目的に掲げて1987年10月1日にリニューアルオープンした。なお、この10月1日は「コーヒーの日」にあたる。
コーヒーを起源、栽培、流通、加工、文化、情報の6つのテーマに分け、わかりやすく展示している。またコーヒーショップではここでしか味わえない珍しいコーヒーを提供している。月に一度、博物館主催のコーヒーセミナーを開講しており、美味しいコーヒーの淹れ方などを学ぶことが出来る。
所在地:〒650-0046 兵庫県神戸市中央区港島中町6-6-2
電話:078-302-8880
事業主体 UCC上島珈琲株式会社

2009-12-06(Sun)

城東貨物線淀川橋梁

城東貨物線淀川橋梁とは、大阪市東淀川区東淡路と、都島区大東町を結ぶ淀川に架かる鉄道橋である。通称は赤川鉄橋、地元では「じゅうはちもんてっきょう」、「あかがわのてっきょう」「赤川仮橋」とも呼ぶ。
本橋は複線の幅を持つが、現在に至るまで下流側の単線で運行している。余った上流側のスペースには、自転車や歩行者の専用橋として木造の赤川仮橋が架かる。2018年(平成30年)予定のおおさか東線(北梅田 - 放出)の開業により、本橋を含む城東貨物線は複線電化して旅客線に転換され、1つの橋に鉄道橋と人道橋の2面を併せ持つめずらしい風景も無くなる予定である。その際には代替の人道橋が平行して架設される予定である[要出典]が,現在のところ詳細は未定である
概要
形式 複線下路ワーレントラス
橋長 610.739m(延長597m・幅8m50cm:東淀川区史による)
径間 31.619m
橋脚中心間隔 34.058m
径間数 18連
完成 1929年(昭和4年)3月15日
設計 鉄道省
アクセス
大阪市営バス 東淡路一丁目停留所下車 徒歩5分
大阪駅から37系統(井高野車庫行)・37C系統(上新庄駅行)で約17分
阪急京都線上新庄駅(北口)から37系統・37C系統(大阪駅行)・93系統(歌島橋バスターミナル行)で約8分
大阪市営地下鉄今里筋線瑞光四丁目駅から37系統・37C系統(大阪駅行)・93系統(歌島橋バスターミナル行)で約12分
JR東西線御幣島駅から93系統(井高野車庫行)で約27分
天神橋筋六丁目駅から37系統(井高野車庫行)・37C系統(上新庄駅行)で約8分
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2009-11-21(Sat)

大阪市道路元票

江戸時代諸街道の起終点は、高麗橋(里程元票跡)であった。その後、道路法の制定で国道ルートの整備がされ、大正11年には国道2号線のルートが高麗橋に入らずに土佐堀通りを通って市役所前を通過するようになったため、大阪市役所前に設置された。さらに昭和27年に新道路法が成立し、東京ー大阪間国道2号が1号になった時、道路元票も翌年現在位置に移設された。
所在地:大阪市北区梅田1丁目(梅田新道交差点北西角大阪第3ビル前)

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2009-08-28(Fri)

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館は、大阪府東大阪市下小阪にある作家、司馬遼太郎の業績を伝えるために自宅敷地に設立された博物館である。 6万冊に及ぶ多くの蔵書、資料、執筆に使用した書斎が晩年に使用した時のまま残されており、書斎は庭から見学することができる。その庭は司馬遼太郎が好んだ雑木林をイメージしたものである。
記念館開設にあたり新たに設けられた安藤忠雄の設計による展示室には、蔵書のうち約2万冊、及び多数の自著が高さ11mの書架に納められている。他にも直筆原稿、自筆の絵、色紙、加えて、眼鏡、万年筆、バンダナなどの身の回り品も展示されている。 他にホールがありNHKの映像を編集したものを上映している。
管理、運営する司馬遼太郎記念財団は1996年(平成8年)11月1日に設立された。なお、偶然ではあるが展示室の建物奥のコンクリートの天井には作品にもなった坂本龍馬の肖像を思わせるシミが浮き出ている。
入場料は大人500円、高校生・中学生300円、小学生200円。月曜は休館日。
館内では司馬作品の販売も行なっている。
所在地 〒577-0803
大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
電話 06-6726-3860

2009-08-19(Wed)

たばこと塩の博物館

たばこと塩の博物館は、東京都渋谷区神南に所在する博物館。日本たばこ産業 (JT) が運営しており、企業博物館である。
○概要
1978年、当時の日本専売公社によって、たばこと塩に関する資料の収集や調査を行う事を目的として開設された。2008年7月現在約30,000点の資料を収蔵しており、刊行物なども発行している。
所在地:〒150-0041東京都渋谷区神南1-16-8
電話:03-3476-2041
休館日:月曜日(祝日、振替休日の場合翌日)、年末年始
開館時間:10:00?18:00
入館料:大人・大学生 100円、小・中・高校生 50円

2009-03-01(Sun)

新聞屋さん博物館

新聞屋さん博物館は、大阪市平野区にある新聞を取り扱った博物館である。 平野町ぐるみ博物館の常設館のひとつ。
通常は、大阪市で最も古い新聞販売店「小林新聞舗」であり、月に1日だけ「博物館」として見学できる。 号外や附録・過去の重大記事などが展示されている。
創業: 1889年(新聞販売店として)
住所: 大阪市平野区平野本町4-12-3
開館日:(閉館日ではないので注意)第4日曜日の9時-17時
最寄り駅: 地下鉄谷町線の平野駅またはJR大和路線の平野駅

2009-02-02(Mon)

大阪市内の渡船場

大阪市内に渡船場があるのをご存知ですか。8つもあります。
○天保山渡船場
大阪市内にはいくつかある渡船場の1つ。船で渡ればそこにはすぐあの有名なUSJがあります。
天保山(大阪市港区築港3丁目)と此花区桜島3丁目を結ぶ(岸壁間400メートル)位置に天保山渡船場がある。
明治38年に開設されたこの渡しは、大阪港の反映を企図した大阪市が港湾振興策の一環として始めたもので、、昭和15年まで橋の港湾部が所管していた。当初は、天保山、桜島、築港大桟橋の間を三角運行していたが、大阪港の繁栄に連れて利用者が増え、築港大桟橋を基点に木津川、尻無川方面にも運行区域を広げ、大正11年に天保山桟橋が完成して内航客船が発着するようになってからは、天保山~桜島間を周や運行した時代もあったが、昭和元年に現在のルートになった昭和初期には桜島付近の重工業化が進んで通勤用としても利用された昭和12年12月1日午後9時頃、渡船が突風にあおられて転覆、軍需工場帰りの乗客53人の犠牲者を出す事故があった。昭和15年頃に管理は土木部(現建設局)に映され、現在に至っている。昭和42年には1日平均1700人の利用者があったが、平成13年には870人程度になっている。
・港区築港3丁目2-25:地下鉄中央線大阪港下車、北へ徒歩10分
・此花区桜島3丁目10-34:JRゆめ咲桜島駅下車、南西へ徒歩10分

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○甚兵衛渡船場
昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。「摂津名所図会大成」に大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて寺島の西を入る後世この川の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋を製するの益とす、さらば紅葉の時節にいたりては川の両岸一圓のくれないにして川の面に映じて風景斜ならず騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり河下に甚兵衛の小屋として茶店あり。年久しき茅屋にして世に名高し。」とあり、甚兵衛によって設けられた渡にある茶屋は「ハマグリ子や」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったという
現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2席の船が運航している。平成13年度の平均1日利用者は1580人を数える。
・大正区泉尾7丁目13-32:地下鉄、JR対象駅から市バス「新千歳」方面息(98、98A、108系統)「泉尾4丁目」下車、西へ徒歩5分
・港区福崎1丁目3-50:弁天町バスターミナルから市バス106系統「福崎1丁目」下車、南東へ徒歩5分(夕凪からは12分)
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○千歳渡船場
この渡しは大阪港復興事業の1つとして大正区の内港化工事を行った際、既設の千歳橋が撤去され、その代わりの施設として設けられた。昭和30年7月にそれまでの民営から港湾局の所管とし(同32年6月直営化)、同39年建設局に移管された。大正区鶴町3丁目と同区北恩加島2丁目間(岸壁間371メートル)を運行している。平成13年度現在1日平均約770人が利用している。
・大正区北恩加島2丁目5-25:地下鉄、JR大正駅から市バス98、98A108系統「新千歳」下車、南西へ徒歩10分
・大正区鶴町3丁目1-69:地下鉄、JR大正駅から市バス「鶴町4丁目」行き「鶴町4丁目」下車、北東へ徒歩5分
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○船町渡船場
船町渡船場は、大正区鶴町1丁目と同区船町1丁目を結ぶ(岸壁間75メートル)。平成13年度現在、1日平均240人程度が利用している。昭和20年代後半から30年代にかけて、川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、その上に板を敷き、人や自転車が通行した。
・大正区鶴町1丁目16-61:地下鉄、JR大正駅から市バス「鶴町4丁目」行き「鶴町1丁目」下車、南へ徒歩4分
・大正区船町1丁目3-117:地下鉄、JR大正駅から市バス70、70A系統「西船町」行き「西船町」下車、北へ徒歩4分
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○落合上渡船場
落合上渡船場は、大正区千島1丁目と西成区北津守4丁目を結ぶ(岸壁間100メートル)。平成13年度現在、1日平均470人程度の利用がある。
上流にある木津川水門(防潮堤)が毎月1回程度開閉試運転のため閉まっているのが見える。
・大正区千島1丁目29-41:地下鉄、JR大正駅から市バス「鶴町4丁目」行き「大正区役所前」下車、東へ徒歩13分。又は94系統「千島公園前」下車、東へ徒歩5分
・西成区北津守4丁目15-1:南海汐見橋線津守駅下車、北西へ徒歩9分。
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○落合下渡船場
落合下渡船場は、大正区平尾1丁目と西成区津守2丁目を結ぶ(岸壁間138メートル)。平成13年度現在、1日平均400名程度が利用している毎年10月末から翌年4月末にかけて、数百羽のユリカモメが飛来する。
・大正区平尾1丁目1-26:地下鉄、JR対象駅から市バス「鶴町4丁目」行き「大正中央中学校前」下車、東へ徒歩12分。又は94系統「小林公園前」下車、東へ徒歩3分
・西成区津守2丁目8番地21:なんばバスターミナルから29系統「地下鉄住之江公園」行き「津守神社前」下車、北西へ徒歩8分
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○千本松渡船場
大正区南恩加島1丁目と西成区南津守2丁目を結ぶ(岸壁間230メートル)。
このあたりは木津川の川尻に近く、江戸時代には諸国の廻船の出入りの激しいところであった。幕府は、船運の安全のため、水深を確保し、又防波堤としても役立つよう、天保3年(1832年)ここに大規模な石の堤を築いた。千本松の名の由来は、この堤防の上に植えられた松並木から来ている。「摂津名所図会大成」に「右塘に数株の松を植列ぬゆるへに俗に木津川の千本松といふ、洋々たる蒼海に築出せし松原の風景は彼の名に高き天橋立美穂の松原なども外ならず覚えゆ…」と述べている。
千本松の渡しが設けられた年代ははっきりしないが、大正時代の中ごろに初めて設けられたものと思われる。昭和48年に千本待つ大橋が完成したが、渡船は現在も通勤通学の貴重な交通手段として利用されている。平成13年度現在の1日平均利用者数は1270人程度となっている。
・大正区南恩加島1丁目11-1:地下鉄、JR大正駅から市バス「鶴町4丁目」行き「大運橋通」下車、東へ徒歩9分。又は76系統「地下鉄住之江公園」行き「千本松端西詰」下車、東へ徒歩2分。
・西成区南津守2丁目4-88:あべの橋から市バス7系統「住吉川西」行き、なんばバスターミナルから29系統「南津守」下車、西へ8分。又は地下鉄住之江公園から市バス76系統「南津守2丁目」下車、西へ徒歩5分。
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○木津川渡船場
大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目を結ぶ(岸壁間238メートル)唯一の港湾局管理の渡船である。昭和30年12月からカーフェリー(「松丸」134トン)が運行していた、乗用車から大型トラックまで運搬しうる能力を持っていたが、上流部二千本待つと線大橋が開通した昭和48年の翌年からは、カーフェリーは廃止され、人と自転車のみを運ぶ渡船となった。利用者は大正区の工場に通う人や住之江区の木材関係で働く人がほとんどである。水がきれいになったためか、渡り鳥が飛来し、毎年10月から翌年4月にかけて魚を取る姿が見られるという。平成13年度現在の1日平均利用者数は150人程度となっている。管理・運営は、大阪市港湾局管理部作業課である。
・大正区船町1丁目1-4:地下鉄、JR対象駅から市バス70系統「西船町」行き「中船町」下車、南へ徒歩4分。
・住之江区平林北1丁目1:ニュートラム「平林」からしバス49系統「平林北1丁目」行き「木津川渡し通」下車、北へ徒歩8分
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2008-12-20(Sat)

安治川トンネル

安治川で忘れてならないのが、河底トンネルである「安治川トンネル」の存在であろう。日本初の、沈埋工法によるトンネルである。
安治川の両岸は特に往来が盛んで渡船航路も多数あったが、安治川での各渡船運航は困難を極めた。と言うのも、安治川は河川舟運の重要航路で運搬船が頻繁に行き交い、渡船はその航路を横に遮るからである。一方で船舶の高さ限界との関係から、架橋も容易でない。可動橋案も出たが、やはり舟運との兼ね合いで却下となった。
このため昭和初期、全国でも類を見ない河底トンネルが計画された。特に渡航量の多かった源兵衛渡跡に1935年(昭和10年)から建設が始められ、戦時中供出された鉄材を受けてまで工事は進み、1944年(昭和19年)に竣工した。約14m下にある川面下の通路まで、両岸のエレベーターや階段で降りる方式。かつては人用の他に車両用エレベーターもあった(排ガス問題などにより1977年に閉鎖され、ゴンドラの入口が封鎖された状態で残されている。車両用エレベーターを閉鎖した後にスロープ型のトンネルに改造する計画があったものの、地元住民の了解が得られず頓挫したという説もある)が、安治川への架橋が進んだ現在では、歩行者・自転車用のみが両岸1台ずつ運行されている。歩行者・自転車用の通路は幅約2m、長さ約80mになっている。渡船と同じく無償で、朝夕のラッシュ時には1時間あたり約250人の利用者があると言われている。なお、エレベーター運行は午前6時から午後11時まで(冬季は午後10時まで)。但し階段は24時間開放されている。階段にスロープは無い。
現在、防犯面などを考慮して両岸のエレベーターには運転者がついている。しかし大阪市の財政難などから、エレベーターを無人化して代わりに防犯カメラを増設する計画が出ている。
両岸にはエレベーターのための塔がそれぞれ立っており、JR西日本大阪環状線西九条駅~弁天町駅間の安治川鉄橋からなどの遠方でもよく見える。

アクセス
最寄交通機関(北側):大阪環状線・阪神西大阪線(2009年延伸線開通後は阪神なんば線に改称)の西九条駅から南へ300~400m。
最寄交通機関(南側):安治川トンネル前バス停(幹84)すぐあるいは地下鉄中央線九条駅北西約550メートル
住所
北側:大阪市此花区西九条2-1
南側:大阪市西区安治川1-2
エレベータ運転開始時刻 夏季(5月1日~10月31日)6時00分/冬季(11月1日~4月30日)7時00分
エレベータ運転終了時刻 夏季(5月1日~10月31日)23時00分/冬季(11月1日~4月30日)22時00分
エレベータ運転間隔 随時運転

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2008-09-28(Sun)

中ノ島線

すでに知っている人も多いかと思うが今年10月19日(日)に京阪電鉄中ノ島線が開通するそうだ。
確かJR東大阪線が最近(と言っても大分前だが)に開通し、来年3月20日には阪神電鉄が難波線(西九条~難波間)を開通させるそうだ。
どの程度便利になるのかが楽しみですね。

2008-08-31(Sun)

小さな水族館

大阪北区に小さな水族館という施設があるのをご存知でしょうか。
阪急梅田駅茶屋町口から出て約3分です。

住所 大阪府大阪市北区芝田1-1-3 阪急三番街北館1階
開館時間 10時~23時
休館日 なし
入館料 無料
交通 電車: 阪急梅田駅より3分。

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