2017-09-20(Wed)

大阪市立大学本館(一号館)

大阪商科大学本館として建設された鉄筋コンクリート造の建物。南面し,東西に長く伸ばした翼部,背面に講堂を接続し、正面中央玄関上部に塔を高く聳える。全体にクラシックな構成だが,簡略化した柱型や庇による水平線の強調などによる新たな造形志向が顕著。

所在地:大阪府大阪市住吉区杉本町3-3-138

DSCN2286.jpg

DSCN2287.jpg

DSCN2288.jpg

DSCN2289.jpg

DSCN2290.jpg

J0010513_2017092016354353b.jpg

J0010512_20170920163541130.jpg

J0010511_20170920163540818.jpg

J0010506_20170920163538a8e.jpg

J0010505_20170920163537d84.jpg

DSCN2297.jpg

DSCN2296.jpg

DSCN2295.jpg

DSCN2294.jpg

DSCN2293.jpg

DSCN2292.jpg

DSCN2291.jpg
スポンサーサイト

2017-09-20(Wed)

日本基督教団南大阪教会

村野が渡辺節建築事務所時代にアルバイトで設計した教会。オーギュスト・ペレのノートルダム・デュ・ランシー教会を思わせるデザイン。既に独立していた村野自身の設計により1982年に会堂は改築されたが、塔屋は保存再生された。設計は村野藤吾、建設は岡本工務店である。建設時期は1928(昭和3)年である。

所在地:大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-30-5

DSCN2427.jpg

DSCN2428.jpg

2017-09-20(Wed)

日本基督教団大阪住吉教会

南海本線と阪堺線に挟まれた一画に所在。大正8年建設の切妻造,下見板張,上げ下げ窓の礼拝堂及び牧師館の前面に寄棟造,モルタル塗の木造2階建を増築し,正面右寄りに塔を上げる。改造はあるが,玄関脇の丸窓や礼拝堂祭壇などが昭和初期意匠の特徴を示す。
年代:大正8/昭和6増改造
所在地:大阪府大阪市住吉区東粉浜2-21-3

DSCN2391.jpg

DSCN2392.jpg

2017-09-20(Wed)

池田家住宅

旧熊野街道と旧住吉街道が交差する角地に建つ店舗兼住宅。元禄年間に酒造業をはじめ後に味噌醸造を行ったと伝える家で,住宅は旧熊野街道に面した土蔵造,2階建で2階に虫籠窓を開く標準的な平入町家である。「住之江味噌」の製造元として広く親しまれている。

所在地:大阪府大阪市住吉区住吉1-9-22

DSCN2315.jpg

DSCN2316.jpg

2017-09-20(Wed)

高谷家住宅

大正期に開発された住宅地内に建つ初期の洋風住宅。鉄骨構造で外壁はコンクリートブロック積みとする。内部は,和洋併用で全体的に質の高い意匠にまとめる。風見鶏付の銅板切妻大屋根は,この地域のランドマーク的存在で広く親しまれている。
年代:大正13頃
所在地:大阪府大阪市住吉区帝塚山中3-8-18

DSCN2399.jpg

DSCN2402.jpg

2017-09-20(Wed)

源正寺楼門

知恩院末で,鉄道敷設等により中央区上本町より現地に移築。初重袴腰を塗込める竜宮造の楼門で,上層は出組,二軒繁垂木,入母屋造,本瓦葺とする。蟇股や肘木の形式・絵様に近代らしい意匠が充溢するとともに,旧熊野街道に面し竜宮門として親しまれている。
年代:明治22/大正12移築
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町18-34


DSCN2409.jpg

DSCN2410.jpg

2017-09-13(Wed)

瀧安寺鳳凰閣

切妻造・桟瓦葺、平屋建で、その北端に宝形造の楼閣をあげた形態で、平等院鳳凰堂翼廊の気分が表現されている。設計は武田五一、施工は高橋組。箕面山の中腹に位置し、石垣を高く築いた敷地に建ち、箕面川の渓流とともに優れた景観をつくりだしている。

所在地:大阪府箕面市箕面公園内

DSCN0678.jpg

DSCN0680.jpg

2017-09-13(Wed)

本町橋

本町橋は、大阪府大阪市中央区の東横堀川に架かる本町通の橋、または、同橋東詰付近の町名。現在の橋は大正2年(1913年)に架け替えられたもので、大阪市内では現役最古の橋となっている。『浪速の名橋50選』に選定されている。

○概要・歴史
・大正以前
最初の橋は、豊臣秀吉が大坂城を築城し、東横堀川を開削したときまで遡る。年代は特定されていないが、天正13年(1585年)に東横堀川が開削されてからあまり経っていなかったと考えられている。大坂の陣(とくに冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。江戸時代になると、公儀橋として幕府による直接管理・維持がなされた。東詰に油問屋が集まり、、西詰に木綿問屋・呉服・古着屋が軒を連ね、大坂で最も賑わう地域とされた。享保9年(1724年)の「妙智焼け」とよばれる大火で本町橋をはじめ、いくつもの橋が焼失している。大火後、橋の北東側に西町奉行所が移転してきた。江戸時代のころの東横堀川の幅は現在よりも広く、本町橋も橋長が47.8mあったという。幅員は最初7.8mで、江戸時代後期には5.9mと幾分狭くなった。明治維新後、年代は特定されていないが、明治14年(1881年)までに鉄柱を持つ木橋に架け替えられた。当時は鉄橋はおろか、鉄柱木橋も貴重な存在であった。

○現在の橋
20世紀以降の大阪市電の敷設、都市計画事業による道路拡張にあわせて本町橋も大正2年(1913年)に鉄橋に架け替えられた。 三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くし、橋脚には石柱を模した飾りが付き、その上部はバルコニーとなっている。この橋は昭和57年(1982年)に大がかりな補修がされたが現役である。
橋長:46.5m
幅員:21.6m
形式:鋼アーチ(三径間2ヒンジアーチ)
完成:1913年(大正2年)

J0010476_20170913100939732.jpg

J0010477_201709131009406b8.jpg

2017-08-29(Tue)

心光寺本堂

寛永元(1624)年創建の浄土宗寺院であるが、イスラム風デザインの本堂(インドのタージマハールのようです)。参道に植えられた棕櫚の木と共に、不思議な空間になっている。設計建設共に不詳である。1929(昭和4)年に建設。登録有形文化財に指定されている。

所在地:大阪府大阪市天王寺区下寺町1-3-68

DSCN2082.jpg

DSCN2083.jpg

DSCN2084.jpg

2017-08-29(Tue)

清風高校円形校舎

外側が廊下のように見えるがこれはバルコニーかもしれない。円形校舎は戦後の復興期に多く立てられた。少ない材料で最大の面積の建築が出来るのが特徴だ。また中央のホールから各室に入れるので廊下が不要で建物の面積の大部分を使えるのも利点だ。建築家坂本鹿名夫の特許があり、日本中で建てられたようだが現存校舎は少ない。ただしこの校舎が坂本の手によるものかは不明である。2017年8月26日に見に行ったところこの円形校舎はなく、新しい校舎ができていた。ネットで調べてみると2015年4月以降に取り壊されて建て替えられたらしい。

建築年:1957年(円形校舎)
設計者不明
所在地:大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町12-16

2017-08-23(Wed)

北田家住宅(大阪府交野市大字私部)

○主屋・表門・乾蔵・北蔵
旗本領の庄屋を勤めていた上層農家で、広大な屋敷構えをもつ。
主屋は大規模で質が良く、玄関を上手に突出させて構える民家の遺例としては最古に属して格が高い。表門は桁行が五六mあり、民家の長屋門としては最大級の規模をもつ。土蔵二棟は主屋と一連のものとして重要である。
宅地を含めて指定する。

所在地:大阪府交野市私部一丁目25番地5号

J0010441_2017082310482611c.jpg

J0010442_20170823104828a53.jpg

2017-08-23(Wed)

山添家住宅(大阪府交野市寺)

山添家については明らかでない。現住宅は板札があり、宝永二年(一七〇五)の建設であることが知られる。主屋は土間が広く四室の居室と座敷一室から成る。
主要部はよく保存されており、特に柱間装置が明らかで、建設年代の判明していることは大阪府下の民家研究に重要な遺例である。
構造及び形式等:桁行17.7m、梁間9.1m、東面突出部 桁行4.0m、梁間5.1m、入母屋造、茅葺、北面及び西面庇付、桟瓦葺
時代:江戸中期
年代:宝永2(1705)年

所在地:大阪府交野市寺二丁目26番33号

J0010445_20170823104724eb4.jpg


2017-08-23(Wed)

交野市立教育文化会館(旧交野無尽金融本店)

イギリス・ゴシック様式に使われたチューダーアーチの1階の窓と2階の長方形の窓、そして屋上のお城のような処理。折衷主義的作品。1942年に寄付されて交野町役場として使われていた。登録有形文化財に指定されている。設計建築共に不詳。1929(昭和4)年建築。

所在地:大阪府交野市倉治6-9-21

DSCN2067.jpg

DSCN2068.jpg

J0010436_20170823104559cdb.jpg

J0010437_20170823104600d00.jpg

J0010438_201708231046023d9.jpg

2017-08-23(Wed)

関西医科大学(旧大阪女子高等医学専門学校)

25×6メートルの坑道の大きな天井画「双龍鳳凰」に圧倒される。大阪市西区にあった府立大阪博物場(1875~1914)内に、1888年美術館が竣工した際描かれた天井画を、ここに移設した。
・本館
1931(昭和6)年建設、設計施工は大林組
・講堂
1930(昭和5)年前後に建設、設計施工は大林組(?)

所在地:大阪府枚方市宇山東町18-89

J0010417_20170823104257a31.jpg

J0010418_2017082310425900d.jpg

2017-08-23(Wed)

大阪歯科大学牧野学舎本館

鉄筋コンクリート造3階建で、正面中央に塔を立ち上げ,左右に翼部を張り出したほぼ左右対称の建築構成をとる。幾条にも廻した水平帯と西面2階3階の曲面をもつ出窓の表現派風造形意匠に特徴。設計は大林組の今林彦太郎で、施工も大林組。

所在地:大阪府枚方市牧野本町1-4-4

DSCN2040.jpg

DSCN2041.jpg

J0010419_2017082310410992a.jpg

J0010420_2017082310411061b.jpg

J0010421_201708231041122a6.jpg

2017-08-13(Sun)

四條畷学園本館(旧四條畷学園高等女学校本館)

屋上を貫いて屹立する6本の柱、中間に留まる鷲の像、放物線アーチの玄関ポーチなどが特徴。玄関周りだけを見ていると、高さはないがニューヨークの摩天楼を思わせるアールで粉作品である。設計建築は不詳。建築年は1929(昭和4)年である。

所在地:大阪府大東市学園町6-45


DSCN1943.jpg

DSCN1944.jpg

DSCN1945.jpg

DSCN1946.jpg

DSCN1947.jpg

DSCN1948.jpg

J0010380_20170813172117343.jpg

J0010380_20170813172117343.jpg

J0010382_201708131721183cb.jpg

J0010383_201708131721201c2.jpg

J0010384_201708131721215fa.jpg

2017-05-29(Mon)

中之島ガーデンブリッジ

橋長:77.50m
幅員:25.00m
橋種:2径間連続鋼床版箱桁橋、
逆T形鉄筋コンクリート他
完成:平成2年
大阪市北区

J0011061_20170529103341f6d.jpg

J0011060_2017052910333937a.jpg

J0011059_20170529103327655.jpg

J0011056_2017052910332644c.jpg

J0011055_20170529103324dd8.jpg

J0011054_20170529103323919.jpg

J0011053_201705291033211b6.jpg

J0011052_201705291033056b9.jpg

J0011051_20170529103304394.jpg

J0011050_201705291033027a1.jpg

J0011049_20170529103301603.jpg

J0011048_20170529103259266.jpg

2017-05-29(Mon)

長柄橋

長柄橋は、淀川に架かるアーチ橋である。大阪市北区本庄東と大阪市東淀川区柴島とを結ぶ 全長656.4m、幅員20mの橋である。 大阪府道・京都府道14号大阪高槻京都線の一部である。浪速の名橋50選に選定されている。

○概要
長柄橋
種別-鋼道路橋
形式-バスケットハンドル型ニールセンローゼ他
橋長-655.60m 長柄小橋43.10m
支間-最大153.00m
幅員-20.00m
橋脚-壁式鉄筋コンクリート
基礎-ケーソン
着工-1973年(昭和48年)12月
完成-1983年(昭和58年)3月
工費-53億円

○長柄バイパス
長柄橋北詰め交差点の混雑を解消するため、この付近の交通の立体化を図ることとなった。経済的な見地から、バイパスの延長を短縮するため、その始点部を在来橋の中腹に結合させるユニークな形となる。
形式3径間連続曲線鋼床版箱桁他
橋長358.93m
幅員7.00m
着工1964年(昭和39年)9月
完成1981年(昭和56年)8月

○橋の沿革
1909年(明治42年)に、新淀川にかかる最初の橋として、官設鉄道東海道本線で1874年の阪神間開業以来使用されていたイギリス・ダーリントン・アイアン(Darlington Iron)社製PP-1形70フィート級錬鉄製3主構ポニーワーレントラス桁を2主構に組み替えた上で11連を転用し、この地に初代長柄橋が架設された。1936年(昭和11年)にゲルバー式鋼鈑桁による2代目長柄橋へと架け替えられた。第二次世界大戦末期には戦災に巻き込まれ、1945年6月7日には長柄橋南詰め付近で、アメリカ海軍艦載機の機銃掃射により400人余の死者を出す「長柄橋惨事」が起きた。被害者の大半は女性と子供であった。戦災で損傷した長柄橋は、補修工事などの上、戦後も引き続き使用された。戦後の交通量の増加により、従来の橋に継ぎ足す形で、1964年(昭和39年)に長柄バイパスを増設。現在の長柄橋は、1971年(昭和46年)から始まった淀川改修計画に基づき、1973年(昭和48年)から掛け替え工事が始まり、10年後の1983年(昭和58年)に完成した。

○古代の長柄橋
「嵯峨天皇の御時、弘仁三年夏六月再び長柄橋を造らしむ、人柱は此時なり(1798(寛政10)/秋里籬島/攝津名所圖會)(なお推古天皇の21年架橋との説もある。)」と長柄橋の名は、古代より存在した。しかしこの長柄橋は、現在の場所とは異なる場所にあり(当時は川筋が現在とはかなり違った)、現在の大阪市淀川区東三国付近と吹田市付近とを結んでいたとされているが、正確な場所についてははっきりしない。

弘仁の時代に掛けられたこの橋は、川の中の島と島をつないだものだったようだが、約40年後の仁寿三年(853年)頃、水害によって廃絶。周辺がたびたび氾濫し川幅が広かったことや、9世紀後半が律令政治が弱体化した時期でもあったことで、杭だけを水面に残し中世を通じてついに再建されなかった。しかし、摂関時代以後の中世に、この存在しない橋が貴族たちの間で「天下第一の名橋」と称され、歌や文学作品に多数取り上げられることとなった。和歌のほとんどは、水面にわずかに残った橋桁を詠んだものであり、貴族階級たちが没落した我が世と対比して、長柄橋を建立した律令時代の華やかさへの憧憬と願望をこめたものとなっている。たとえば、赤染衛門は次のように歌を詠んだ。

わればかり長柄の橋は朽ちにけり なにはの事もふるが悲しき

また、鎌倉時代の歌人藤原家隆は次の歌を残した。

君が代に今もつくらば津の国の ながらの橋や千度わたらん

貴族階級のこの意識に支えられて、長柄橋は「幻の名橋」と位置づけられ、能因法師が「長柄橋架設の際に出た」と称する鉋屑を秘蔵していて、貴族たちをうらやましがらせたという話や、後鳥羽上皇が橋柱の朽ち残ったもので文台を作らせ和歌所に置いた話など、いくつもの挿話が形成されている。民間での伝承では、長柄橋の人柱に関する伝説が残っている。これは南北朝期にはすでに東国方面まで知られていたもので、神道集には次のような説話が記されている。むかし長柄橋を架設するとき、工事が難渋して困惑しきった橋奉行らが、雉の鳴声を聞きながら相談していると、一人の男が妻と2、3歳の子供を連れて通りかかり、材木に腰掛けて休息しながら、「袴の綻びを白布でつづった人をこの橋の人柱にしたらうまくいくだろう」とふとつぶやいた。ところがその男自身の袴がそのとおりだったため、たちまち男は橋奉行らに捕らえられて人柱にされてしまった。それを悲しんだ妻は「ものいへば父はながらの橋柱 なかずば雉もとらえざらまし」という歌を残して淀川に身を投じてしまった。神道集のこの説話は大坂地方の人々の間に広く語り継がれ、若干変形した形で近世の随筆類に散見されることとなった。よく知られたものに、以下のようなものがある。推古天皇の時代(飛鳥時代)、長柄橋の架橋は難工事で、人柱を立てることになった。垂水(現在の吹田市付近)の長者・巌氏(いわうじ)に相談したところ、巌氏は「袴(はかま)に継ぎのある人を人柱にしなさい」と答えた。しかし皮肉にも、巌氏自身が継ぎのある袴をはいていたため、巌氏が人柱にされた。巌氏の娘は父親が人柱になったショックで口をきかなくなった。北河内に嫁いだが、一言も口を利かないので実家に帰されることになった。夫とともに垂水に向かっている途中、禁野の里(現在の枚方市付近)にさしかかると一羽の雉が声を上げて飛び立ったので、夫は雉を射止めた。それを見た巌氏の娘は「ものいわじ父は長柄の人柱 鳴かずば雉も射られざらまし」と詠んだ。妻が口をきけるようになったことを喜んだ夫は、雉を手厚く葬って北河内に引き返し、以後仲良く暮らした。現在の大阪市淀川区東三国に、古代長柄橋の人柱碑が残っている。長柄人柱伝説は、「長柄の人柱」や「雉も鳴かずば撃たれまい」という「口は災いのもと」という意味のことわざの由来とされている。

○祈念像
橋の南詰に「明倫観世音菩薩」の像が建立されている。碑には昭和20年6月7日にこの橋畔で死んだ空襲犠牲者と淀川水難犠牲者の冥福を祈るためと記されている。

J0010187_20170529103036e13.jpg

J0010189_20170529103037223.jpg

J0010202_2017052910303917f.jpg

J0010203_20170529103040e35.jpg

2017-05-29(Mon)

飛翔橋

飛翔橋は、大阪府大阪市都島区と北区の間の大川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋。

○概要
大川を橋脚なしで越えるためアーチスパンが長くなり、さらに橋の西側の一部が阪神高速道路守口線の下をくぐる関係でアーチライズ比(高さ/長さの比)が小さくなる構造的な制限を受けたため、アダムスキー型円盤のようなシルエットを持つ二重アーチ構造になっている。飛翔橋の名称は、「UFOを思わせ、どこかへ飛び立つようなイメージ」から名付けられたとされる。
主要諸元
橋長:103.55m(主橋梁部)
幅員:4.00m
橋種:ニールセンローゼ(二重アーチ構造、逆T形鉄筋鋼コンクリート補剛桁)
竣工年月:1984年(昭和59年)10月
所在地:都島区善源寺町1丁目-北区長柄東1丁目


J0010210_20170529102907a8a.jpg

J0010211_2017052910290926d.jpg

J0010212_201705291029103bb.jpg

J0010213_20170529102911e27.jpg

J0010214_20170529102913534.jpg

2017-05-19(Fri)

日本聖公会聖贖主教会(博愛社礼拝堂)

半円アーチと大きな壁面を持つロマネスク風建築。小さなバラ窓のある大きな妻壁面と繊細なアーチを持つ鐘楼の対比が美しい。1936(昭和11)年建築。W.M.ヴォーリズ(ヴォーリズ建築事務所)設計、建築不詳。

所在地:大阪府大阪市淀川区十三今里3-1-72

J0010177_20170519121045166.jpg

J0010179_201705191210474e9.jpg

2017-05-19(Fri)

水道記念館

水道記念館は、大阪市水道局が大阪市東淀川区に設置した、大阪市の水道の歴史について楽しみながら学ぶことができる科学館。また、琵琶湖・淀川水系の淡水魚、貝類などを多く飼育している。

○建築概要
開設:1995年11月25日(大阪市の水道通水100周年を記念)
構造・階数・規模: 煉瓦造、地上1階、延床面積1,758平方メートル
屋根形式:寄棟造
旧第一配水ポンプ場(竣工:1914年、設計:宗兵蔵)を保存活用
赤煉瓦と御影石によるネオ・ルネッサンス様式
1999年、国の登録有形文化財に登録(第27-0072号)
夜間はライトアップされている

○記念館の水族館
・水族館の歴史
1995年、大阪市水道局・柴島浄水場の敷地内に開館した。2012年7月末で、貝や両生類、水草などを含め計142種、9,274個体を飼育し、淡水魚の水族館としては全国有数の規模で、中には、日本の天然記念物にも指定されるイタセンパラや、ほか絶滅危惧種のアユモドキなど希少種も飼育する。開館以来の累計入場者数は100万人超となり、2011度は9万3,558人の利用者があった。大阪市の橋下徹市長は“水道事業の府市統合”を主張(水生生物の飼育展示をやめる方針)。2012年4月、魚の飼育について、市長が「水道局のやることなのか」、「大阪市の水道局単体の事業としてやるものではない」と、水族館を休館させ、コスト(外注費)の削減を行い、8月の会合で、水族館としての機能の維持に難色を示し、淡水魚の一部の希少種は大阪府立環境農林水産総合研究所の水生生物センター(平日に見学可)に移される計画となった。水道局は「費用対効果や優先順位を考えると、水道料金を充てて続ける事業ではないと判断した」とコメントした。産経新聞は、水道局の水族館を『国内有数のコレクション』、『貴重な淡水魚コレクション』と表現している。2013年10月、水道局は施設の有効活用と周辺地域の活況を期待して「水道記念館活用事業者」を募集するが、応募者はなかった。2014年3月、再募集をかけるが、これにも応募者はなかった。

・市民団体
2012年7月、「淀川水系の淡水魚を次世代につなぐ会」の長田芳和 大阪教育大学名誉教授(動物生態学)などの研究者らは、大阪市に水族館の運営継続の要望書を提出。市側に「より魅力的な水族館にリニューアル」してほしい旨を伝えた。「公益社団法人大阪自然環境保全協会」も存続を求めた。2013年1月、市水道局は、橋下徹市長の“市政改革”の一環として、生物を展示する水族館は打ち切る方針を決め、市民団体に伝えた。その後も団体との協議は継続している。。

・利用情報
平成24年4月1日より、大阪市の施設・事業の見直しの一環として費用対効果などの観点からの精査を行なうため当分の間休館するとしている。
開館時間:9時30分~16時30分(入館は16時まで)※平成25年4月現在も休館中※
休館日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)
入館料:無料
所在地:〒533-0024大阪府大阪市東淀川区柴島1丁目3番1号

○アクセス
地下鉄御堂筋線 西中島南方駅2号出口より徒歩約15分。
阪急京都線南方駅から徒歩約15分、崇禅寺駅より徒歩約20分
阪急千里線柴島駅から徒歩約15分
大阪市営バス37,37C,93,93C系統「長柄橋北詰」バス停下車徒歩約10分、93,93C系統「西中島1丁目」バス停下車徒歩約7分


J0010181_20170519120847efe.jpg

J0010182_20170519120848461.jpg

J0010180_20170519120906d0b.jpg

J0010183_2017051912090784e.jpg

J0010184_20170519120909e24.jpg

J0010185_20170519120910eba.jpg

2017-05-08(Mon)

大黒橋

黒橋は、大阪府大阪市中央区にある、道頓堀川に架かる橋。島之内と道頓堀(商店街)を結ぶ西端の橋で、深里橋(四つ橋筋)の上流100mの位置に架かる。

○歴史・概要
大黒橋が初めて架けられたのは、1615年(元和元年)に道頓堀川が開削されてから間もない時期で、江戸時代初期の記録には、橋長42.7m、幅員2.4mの木橋であったとされている。当時の地図には「なんば橋」もしくは「下橋」と記載されており、「大黒橋」の名称が使われているものは、1703年(元禄16年)発行の『公私要覧』が最古であり、この時期前後に定着したものとみられる。大黒橋の名称は、木津大国神社(敷津松之宮)の参道に由来する。なお、現在当橋の上流側に架かる新戎橋と道頓堀橋はどちらも近代以降の架橋で、江戸時代を通じて当橋上流側の橋は今宮戎神社の参道に由来する戎橋だった。木津大国神社の参道はまた、西成郡難波村と木津村の集落(現・浪速区元町・敷津西・大国)へ通じる道でもあった。難波村も木津村も、畑場八か村と呼ばれていた都市近郊型の畑作の村に該当し、当橋付近には青物の朝市がよく立った。大黒橋をはじめとする畑場八か村の青物市は、公設の天満青物市場との対立を繰り返しながら、やがて木津卸売市場のルーツとなる難波木津市場の開設につながっていった。1854年(嘉永7年)の安政南海地震では津波が発生し、遡上してきた船が横転し大黒橋で川をせき止め、河口から押し流されてきたものが岸に乗り上げたため、川岸に作った多くの家屋が壊されたと記録されている。近年まで現存していた鉄筋コンクリートのアーチ橋は、1930年(昭和5年)に架設されたもので、1車線車道と両側歩道の構造になっていた。その翌年には橋東側に河川浄化のための可動堰が設置され、その上部を歩行者専用道として利用した。可動堰は、橋がコンクリート製なのに対して、煉瓦で装飾されており、1988年(昭和63年)の改装工事にはベンチや植樹枡が設置されるなどの整備が行われた。その後、劣化や損傷等の老朽化、耐震性の問題により、2013年(平成25年)4月まで行われた道頓堀川水辺整備事業の遊歩道とんぼりリバーウォーク設置工事に合わせて鋼ポータルラーメン橋に架け替えられた。これは桁下高さや航路幅、河岸遊歩道の建築限界などを確保するために採用された。

DSCN1210.jpg

DSCN1211.jpg

DSCN1212.jpg

DSCN1213.jpg

2017-05-06(Sat)

中央鍍金工業(旧加藤鍍金)

セセッション風の建築。色々と細かなデザインが施されている。現在の機械設備への対応の仕方が上手くないのが残念。設計建築共に不詳。建築年は1914(大正2)年である。2017年4月28日に見に行ったが取り壊されていて跡形もなかった。

所在地:大阪府大阪市中央区島之内1-1-6


2017-05-06(Sat)

旧小玉湯

戦災にも焼け残った和の町屋が散見する町中にあるが、違和感なくなじんでいる。現在は1階が駐車場として利用されている。設計建築共に不詳であり。建設年は1935(昭和10)年である。2017年4月28日に見に行ったが取り壊されていて跡形もなかった(取り壊し工事が行われていた)。

所在地:大阪府大阪市中央区谷町6-13-37


2017-05-06(Sat)

西横堀の水門

西横掘川はもうないのに水門だけが残っているのが不思議だが、ほんのわずかだが開いている。2017年4月28日に見に行ったが見当たらなかった。多分取り壊されたのだろう。

所在地:大阪府大阪市西区南堀江1-6
建設年・設計者共に不明

2017-05-06(Sat)

大阪市精華生涯学習ルーム・精華小劇場(旧大阪市立精華小学校)

現在、大阪市精華生涯学習ルームとして利用され、体育館は精華小劇場として運営されている。増田建築事務所設計、松村組建設である。1929(昭和4)年建設である。2017年4月28日に見に行ったが取り壊されていて跡形もなかった(取り壊し工事が行われていた)。この跡地に家電量販店が出来るという話があるらしい。

所在地:大阪府大阪市中央区難波3-2-11



2017-05-06(Sat)

北堀江病院

1911(明治44)年、東條病院として西区に産婦人科専門の病院を設立したのがその始まり。1980(昭和55)年に北堀江病院と名称を変更、現在も内科の病院として現役である。玄関部分の石の装飾、半円柱に乗る壷と水しぶきの様なレリーフがユーモラスだ。建物全体が丸みを帯びていて、時代のモダンも感じさせる。建設当時は最新の設備を誇る病院だったそうで、今も手動式のエレベーターが残っている。2017年4月28日に見に行ったが取り壊されていて跡形もなかった(取り壊し工事が行われていた)。

所在地:大阪府大阪市西区北堀江1-19-6
建築年:1929(昭和4)年
構造・規模:鉄筋コンクリート造3階
設計:不詳


2017-05-06(Sat)

今津六角堂

酒蔵どおりに面する今津小学校の敷地内に立つ、六角形の木造建築。寺と校舎としていたが、独立校舎を造りたいと村人が寄付を集め、文明開化の初期・明治15(1882)年に建てられた。

見学可能時間:9:00~12:00(土日祝日は休)※見学は要問い合わせ
電話:0798-33-0923(西宮市立今津小学校)
所在地:兵庫県西宮市今津二葉町4-10(西宮市立今津小学校内)

J0010065_2017050614432784e.jpg

J0010066_201705061443285bf.jpg

J0010067_20170506144330c0c.jpg

J0010068_201705061443315a7.jpg

2017-04-30(Sun)

旧大阪砲兵工廠表門

大阪砲兵工廠とは軍の工場である。石垣とレンガ積みのコントラストが美しい。レンガの表面が剥げ落ちているのは空襲で焼けたためかもしれない。

建築年・設計者不詳
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3

J0010132_201704301133488c5.jpg

J0010137_convert_20170430113512.jpg

J0010139_convert_20170430113713.jpg

2017-04-30(Sun)

旧大阪砲兵工廠守衛舎

大阪砲兵工廠とは軍の工場である。守衛舎とあるが実際にはどのように使われたか不明である。相当痛んでいるように見えるがレンガ1個1個を入れ替えることが出来るので、修理は比較的簡単だ。

建築年・設計者不詳
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3

J0010133_20170430113201262.jpg

プロフィール

kazubonka

Author:kazubonka
かずぼんです。大阪並びに近畿一円の口コミ情報を提供していきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
メモ
















































【高額報酬!!】有名女優が多数愛用している事でも知られている光美容機。世界中のセレブ御用達の一品。高額商品にも関わらず売れ続けています。ご利用者からご満足のお便りも大変多いです。定価472,500円











BTOパソコンショップ 『フレッシュフィールド』 オールカスタマイズ可能なオリジナルパソコン好評発売中!





























スルガ銀行ANA支店
銀行取引でANAマイルが貯まる(100×60)バナー











<

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!



ティッカー

グアム

ハワイ旅行

ムームードメイン

カスタムバイク買取













検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

続・竹林の愚人

思いつくまま

oobuta日記
QRコード
QRコード
FC2カウンター
平成20年8月26日からのアクセス数です。
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

FC2アフィリエイト
カウンター アフィリエイト・SEO対策
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
スポンサードリンク

FC2Ad

Powered by FC2 Blog