2018-04-17(Tue)

青刻昆布発祥の地

碑文にはこう書かれています。
昆布加工品の原点である青刻昆布の主産地大阪における創始は一七二一年(享保六年)頃と伝えられる。文化年間に清国(中国)に試売し,一八二〇年頃から販路を拡張,専ら大阪上町台地において製造していた。
一九〇〇年(明治三十三年)には,大阪の刻昆布が国の重要物産品に指定されている。
今日大阪の昆布加工品は,なにわ名物として広く認められ,大阪の食文化に大きく寄与しており,一九九八年(平成十年)には大阪特産物品として国により認証された。
大阪昆布商工同業会(起源は明治三十四年認可の大阪刻昆布製造同業組合)は,平成十三年に百周年を向かえたのを記念してこの碑を建之する
平成十三年三月建立
大阪昆布商工同業会
当地は,中嶋豊吉が青刻昆布製造業を営んでいたが,昭和二十三年事業告示の区画整理事業により現在の越中公園になっている
大阪市

所在地:大阪府大阪市中央区玉造2丁目

J0010164_20180417114327bfb.jpg


スポンサーサイト

2018-04-17(Tue)

白龍大明神

TWIN21の別称は大阪ツインタワーだそうですが、そのツインビルの敷地に鎮座する小社です。オープン型の企業内神社ですね。OBP(大阪ビジネスパーク)の土地は、元々、寝屋川や第二寝屋川に挟まれた中州のような地域で、弁天島なんて呼び名もあったそうです。なので元からあった白龍大明神をお祀りしているのかとも思いましたが、調べるとパナソニック(松下電器)が龍神さんを守護神としてお祀りしているそうなのでその関係で建てられたのかも。本社始め、各地の事業所や工場にお社があるようですね。

所在地:大阪府大阪市中央区城見2丁目1
アクセス
地下鉄長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」から約300m。
京阪本線「京橋駅」から約400m。
JR片町線・大阪環状線「京橋駅」から約500m。
JR東西線「大阪城北詰駅」から約500m。
地下鉄長堀鶴見緑地線「京橋駅」から約600m。

DSCN3518.jpg

DSCN3519.jpg

DSCN3520.jpg

J0010153_201804171136066fa.jpg

J0010154_20180417113607016.jpg

J0010155_20180417113608b4b.jpg

2018-04-17(Tue)

法円坂遺跡

法円坂遺跡(法円坂倉庫群)は、大阪府大阪市中央区大手前にある古墳時代の遺跡。国の史跡に指定されている(史跡「難波宮跡附法円坂遺跡」として附指定)。

○概要
大阪市中心部、上町台地北端の難波宮跡北西部に位置する古墳時代の大倉庫群跡である。上町台地北端では難波宮以前の建物遺構約200棟が検出されており、本遺跡もそうした難波宮下層遺跡の1つになる。1987年(昭和62年)からの旧大阪市中央体育館跡地での発掘調査で発見され、現在は大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の敷地内に位置する。遺跡内では建物遺構として掘立柱の大型高床式倉庫が計16棟検出されている。この倉庫16棟は東西2群(東6棟・西10棟)に分かれるが、いずれも正方位の真東西に並ぶという古墳時代の建物としては例のない配置になる。倉庫各棟は画一的な東西約10メートル・南北約9メートルの規模で、現在はそのうち1棟が推定復元されている。この法円坂遺跡は、古墳時代中期の5世紀前半頃の営造と推定され、古墳時代としては最大規模の倉庫群になる。難波では古墳時代中期から難波宮まで絶え間なく建物が営造されるが、本遺跡はその起源的位置づけにある。法円坂遺跡の北方では王権の手による難波堀江(人工運河)開削と難波津(王権の港)設置が知られており、本遺跡もそれらと関連する王権直轄の倉庫群と推測され、文献上に見える「難波屯倉」に比定する説もある。ただし発掘調査によれば、倉庫群は継続することなく廃絶したとされ、その後の難波は一度小規模化したのち6世紀頃から再び規模を拡大することとなる。法円坂遺跡の範囲は2001年(平成13年)に国の史跡に指定されている。なお、同様の古墳時代の大倉庫群としては鳴滝遺跡(和歌山県和歌山市)なども知られる。

○文化財
・国の史跡
難波宮跡 附 法円坂遺跡 2001年(平成13年)1月29日、既指定の史跡「難波宮跡」に法円坂遺跡の範囲を追加して指定名称を「難波宮跡附法円坂遺跡」に変更。

所在地:大阪市中央区大手前4-1(大阪歴史博物館前)

J0010161_20180417112949057.jpg

2018-04-17(Tue)

難波宮内裏東方遺跡

大阪市中央区にある遺跡。日本初の本格的な首都として栄えた難波宮があった場所である。645年、難波長柄豊崎宮は、大化の改新の難波遷都に伴って造営された。昭和43年 (1968)に、大阪市立大阪青少年センターの建設に先立つ発掘調査で、この地域で、地下約1.5mのところから後期難波宮の建物や回廊などが発見されたと言う。また、難波遷都以前である飛鳥時代の建物や倉庫が発見された。ここでは、遺構面を砂で保護した上に広場を設ける特殊工法を用いて、遺構を保存している。発見された建物は、すべてが「掘立柱式」の遺構だが、 復元に際して柱位置に自然石を置いている。また、昭和56~57年の調査では、これにつながる回廊のほか、 それよりも古い前期難波宮のものと考えられる建物群も発見された。2棟の高床式倉庫を中心に整然と配置されており、 前期難波宮の東方官衙跡と推定される。

所在地:大阪府大阪市中央区法円坂1-1-35

J0010163_20180417112624680.jpg

2018-04-17(Tue)

京橋川魚市場跡

京橋川魚市場跡
『大阪の魚市場といえば雑魚場市場が著名である。しかし近世の魚市場は雑魚場ひとつでなく、木津や天満にも海魚を扱う市場が営まれていた。また海魚とは別に川魚を扱う市場が京橋にあった。京橋川魚市場の起源は、石山本願寺の時期に設けられた鮒市場とされる。もともとは漁民が、京橋の北詰に川魚を持ち寄って販売する市のようなものだったと考えられる。 寛保元年(1741年)の「京橋川魚独占販売由来記」によれば、慶長年間(1596~1615年)のはじめごろに、小出播磨守秀政の指示を受けて構成員五十五人、うち五人を幹事である年寄とする市場機構のシステムが整えられた。 以降近世を通じて、幕府に大坂で川魚を独占的に扱うことを公認された市場となった。近代に入り、市場機構の変革がすすむ中、京橋川魚市場は明治末期には中之島六丁目付近へ移転し、大正四年(1915年)に大阪川魚株式会社が設立された。』

所在地:大阪府大阪市都島区片町1-5


DSCN3513.jpg

J0010149_201804171120399b3.jpg

DSCN3514.jpg

J0010150_201804171120419dd.jpg

J0010151_20180417112042863.jpg

2018-04-17(Tue)

浪速鉄道片町駅跡

かつてこの場所を走っていた浪速鉄道の「片町駅」の跡。浪速鉄道は明治26年(1893)に設立された私設鉄道。片町-四条畷間を運行していました。その後関西鉄道に買収され、平成9年(1997)JR東西線、大阪城北詰駅の開業と同時に片町駅は廃止されました。

所在地:大阪府大阪市都島区片町1丁目

J0010152_20180417111818ce2.jpg

2018-04-10(Tue)

本傳寺

本傳寺は、大阪府大阪市北区兎我野町にある日蓮宗の寺院。山号は高照山。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)、親師法縁。 新撰組有縁の谷三兄弟(新撰組槍術指南役や第7番隊隊長を務めた谷萬太郎、新撰組局長近藤勇の養子となった近藤周平こと谷昌武、二人の兄である谷三十郎)の墓や華道の未生流の流祖大空院殿法眼未生翁大居士の墓がある。区内には成正寺、法清寺など日蓮宗寺院が多い。

○歴史
豊臣政権時代の文禄年間(1592年‐1596年) 究境院日禛(大本山京都本圀寺16世)の弟子の佛乘院日政が現在地に創建した。江戸時代には日威(3世)の代の元禄年間(1688年‐1704年)と日専(13世)の代の文化年間(1804年‐1818年)と日道(16世)の代の天保年間(1830年‐1844年)にそれぞれ本堂が再建された。いずれも火災による焼失とみられる。太平洋戦争中の昭和20年(1945年)に大阪大空襲による無差別爆撃で経蔵を残し全焼した。平成7年(1995年)の阪神淡路大震災でも大きな被害を受けた。

○境内
本堂

○歴代
究境院日禛(開山)
行妙院日学(21世)
瑞妙院日顯(22世)
順延院日豪(23世)

○所在地
大阪府大阪市北区兎我野町14-3




J0010275_201804101046275a1.jpg

J0010276_20180410104629c4b.jpg

2018-03-25(Sun)

住吉神社(長興寺)

長興寺では、明治の初めまで雨乞いの神事が行われていました。皿池(現在の皿池公園)で身を清めた後、住吉神社の境内でたいまつを灯し、「雨たもれ龍神どの」と祈ったという伝承があります。今では、近くの皿池公園、住吉公園とともに小さな子どもたちの遊び場にもなっています。

所在地:〒561-0875大阪府豊中市長興寺北2丁目3-43

DSCN3038.jpg

DSCN3039.jpg

DSCN3040.jpg

DSCN3041.jpg

DSCN3042.jpg

DSCN3043.jpg

J0010046_201803251417447ce.jpg

J0010047_20180325141746aff.jpg

J0010048_20180325141747163.jpg

J0010049_20180325141749ba5.jpg

J0010050_201803251417501a5.jpg

J0010051_20180325141751b59.jpg

J0010052_20180325141753caa.jpg


2018-02-08(Thu)

利倉南遺跡

案内の看板には次のように書かれていました。
この遺跡は、猪名川東岸 利倉3丁目付近を中心に広がる遺跡で、古くから中世の遺跡として存在が知られていました。しかし昭和62年以降の調査の結果、古墳時代中期の方墳がみつかり、周辺一帯に古墳群の存在が推測されるようになりました。市内では、古墳時代中期の古墳群としては、唯一丘陵上にある桜塚古墳群が有名ですが、この遺跡の古墳に葬られている人たちはに支配された有力集落の構成員たちであったと思われます。この古墳群の発見は、低地部における古墳群の存在を明らかにするとおもに、豊中の古墳時代社会の一端を明らかに示すのとして重要です。

所在地:大阪府豊中市利倉3丁目(新豊島川沿)

J0010028_20180208153040417.jpg

J0010029_201802081530428be.jpg

2018-02-08(Thu)

椋橋総社

素戔嗚尊が高天原より鯉に乗って降臨した地とされる。神功皇后が三韓征討に赴く際に、神々を集めて祈った場所とされる。また行基が猪名川に橋を架けようとしたが叶わず祈願したところ、鯉が群れをなして架橋を助けたため、鯉塚を建てて殺生を禁じた。素戔嗚尊が高天原より鯉に乗って降臨した地とされる。神功皇后が三韓征討に赴く際に、神々を集めて祈った場所とされる。また行基が猪名川に橋を架けようとしたが叶わず祈願したところ、鯉が群れをなして架橋を助けたため、鯉塚を建てて殺生を禁じた。また、境内には承久の乱(1221年)の発端となった白拍子菊亀ゆかりの「菊亀天満宮」があることでも有名。

所在地:〒561-0835大阪府豊中市庄本町1-2-4

○イベント
秋季例大祭
10月13日 (宵宮)
10月14日 (本宮)
太鼓巡行
(宵宮) 午後7:00~10:00
(本宮) 午前9:30~午後10:00
祭典(神事)午前10:00~11:00

DSCN2944.jpg

J0010021_20180208152517a43.jpg

DSCN2945.jpg

J0010023_201802081525197fc.jpg

J0010024_20180208152521e7d.jpg

J0010025_20180208152522ed6.jpg

J0010026_201802081525231c8.jpg

2018-02-08(Thu)

上津島南遺跡

案内の看板には次のように書かれています。
今から二千年以上も昔、猪名川は何度となく氾濫を繰り返し、多くの土砂を運んでは流域にいくつもの微高地を形づくりました。上津島南遺跡をはじめ島田遺跡や庄内遺跡はいずれもそうした微高地の上に営まれた集落遺跡です。この遺跡は、これまでの調査によって弥生時代から鎌倉時代にかけての集落遺跡であることが判明しています。なかでも奈良時代では、十数棟の建物跡とともに立派なせいろ組の井戸が検出され、井戸の中からは難波宮で使用されたものと同じ瓦が出土していることから、中央政府と関係を持った役所跡ではないかと考えられます。また、平安時代から鎌倉時代にかけての集落跡でも、多くの建物跡、井戸、墓などが見つかり、役人が束帯につけたとみられる石製の飾りや、遠くの各地でつくられた焼き物類が出土していいることから、猪名川の水運に支えられた有力集落の一つであったと考えられています。

所在地:大阪府豊中市上津島1丁目(新豊島川沿)

J0010027_20180208152354b5c.jpg

2018-02-08(Thu)

庄内神社

庄内神社は、大阪府豊中市南部(庄内地区)に鎮座する神社。
○由緒
服部天神宮・服部住吉神社・原田神社などの豊中市内各社に比べると歴史は新しく、庄内村各字に祀られていた7社を、1906年(明治39年)の勅令により合祀し庄内神社と号したことに始まる。当初は島江稲荷神社の位置に配祀、1912年(大正元年)10月に現在地へ遷座した。なお、庄内神社の元となった各社は、概ね江戸時代に端を発すると伝えられるものが多い。庄内の街は豊南市場や商店街が日々賑わいを見せているが、当社殿は繁華街から西へ離れた静かな住宅地に位置し、小さいながら鎮守の森も美しく保たれている。

○祭神
保食神
宇迦之御魂神
応神天皇
神功皇后
稜威雄走神
素盞嗚尊

○末社
括弧内は祭神。
大黒社(少彦名命・大己貴命・天照大神・住吉大神)
戎神社(蛭子命・事代主神)

○合祀前の各社
大字野田:八幡神社
大字牛立:八幡神社
大字島江:稲荷神社
大字菰江:稜威(みいつ)天王社
大字洲到止(すどうし):八幡神社
大字島田:稲生神社
大字庄本新家(しょうもとしんけ):保食神社

○主な祭礼
庄内戎祭1月9日-11日
例大祭(秋祭り)10月16日

○教育
学校法人庄内神社学園として、庄内幼稚園及び庄内たちばな保育園を運営している。

○交通
阪急宝塚本線庄内駅下車 徒歩15分(1km近く離れており経路も複雑なため、下記の阪急バスの方が便利)
阪急バス島江バス停下車、北東へ徒歩2分。11系統 梅田-十三-島江-上津島
21系統 江坂駅前-庄内駅前-島江-上津島-江坂駅前
22系統 江坂駅前-上津島-島江-庄内駅前-江坂駅前
24系統 江坂駅前-庄内駅前-島江-上津島-園田駅前

○所在地
大阪府豊中市庄内幸町5丁目22-1

DSCN2939.jpg

DSCN2940.jpg

DSCN2941.jpg

DSCN2942.jpg

DSCN2943.jpg

J0010015_20180208152213d03.jpg

2017-12-05(Tue)

井原西鶴文学碑

大阪市中央区本町通り、本町橋の近く「東横堀川」に平行した道路の植え込みの中に建てられている井原西鶴文学碑。『日本永代蔵』の一説が彫られている。この碑は1972年(昭和47年)大坂北浜船場ライオンズクラブが建てている。 周りは雑草が茫々で、石碑の傍には近づけない。

所在地:大阪市中央区本町橋3番(目安はシティプラザ大阪というホテルの前の公園の植え込み内)

J0010474_201712051259531c1.jpg

J0010475_201712051259540a5.jpg

2017-12-05(Tue)

三義塚

1932年1月28日、日中両軍が衝突した上海事変が起きた。事変の最中、大阪毎日新聞(現毎日新聞)学芸部に在籍していた西村真琴と、中国の文豪、魯との間に、1羽のハトを介した友情が生まれた。西村は事変が起きて間もない2月6日、戦いで負傷した人たちを治療する医療団を率いて、上海に渡った。市郊外の三義里で飢えて飛べなくなったハトを見つけ、「三義」と名づけて、日本に連れ帰って育てた。三義に二世が生まれたら、西村は日中友好のあかしとして、上海に送るつもりだった。残念ながら、三義は豊中市の自宅で、イタチの襲われて死んでしまった。西村は「三義塚」と刻んだ碑を建て、その思いを手紙にしたため、「西東国こそ異(たが)へ小鳩等は親善あへり一つ巣箱に」の歌と、三義の絵を添えて魯迅に送った。魯迅は感激し、漢詩「三義塔に題す」を作って西村に贈った。詩は「度盡劫波兄弟在 相逢一笑泯恩讐」と結んである。「荒波を渡っていけば兄弟がいる。会って笑えば、恩讐は消える」という意味だ。1981年に兪啓慧・中国芸術学院教授が魯迅生誕100年を記念して、木版画集「度盡劫波兄弟在」を制作した。2002年には、豊中市立中央公民館の敷地に、豊中市日中友好協会が中心となり、石碑「三義塚」を設置した。戦火の下での友情は、今も語り継がれている。

所在地:〒561-0802大阪府豊中市曽根東町3丁目6

J0010615_20171205125741cb0.jpg

2017-12-04(Mon)

桜井谷の須恵器窯跡群

桜井谷は豊中市北部に位置する幅約500メートルの大きな谷で、この谷の両岸約3キロメートルにわたって、古墳時代の大きな須恵器窯跡群がある。北緑丘団地や西緑丘の住宅地造成によって、ほとんどの窯跡は消滅した。しかし、最後に造成された府立豊島高校西側の北緑丘2丁目の団地開発で見つかった2基の窯跡は、豊中市の文化財に指定され、緑地帯として保存された。豊島高校前バス停から西へ約200mにある2-19・2-24窯跡と命名された2基の窯跡は、桜井谷須恵器窯跡群内でも北部の標高65m前後の段丘上に位置する。構造は半地下式で、天井部を粘土により架設している。焚口から燃焼部・焼成部そして煙道部へと、上方に傾斜しながら幅を狭めている。保存状態の良い2-24窯跡は、焚口から後端まで9.5m、最大幅2mを測り、焚口の前面には、幅14mの範囲に焼けた須恵器と灰を取り出した灰原が分布している。灰原には焼成に失敗したり、割れた須恵器の破片が多く残されており、こうした須恵器から、この窯の操業時期が古墳時代の後期から末期にかけてのものであることがわかる。

所在地:大阪府豊中市北緑丘2

DSCN2821.jpg

J0010596_20171204103255046.jpg

J0010597_20171204103256695.jpg

2017-12-04(Mon)

梅田停車場跡

大阪市北区の梅三小路内にある碑。1874年、大阪駅と神戸駅とを結ぶ鉄道と共に開業した。当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建て。現在の大阪駅よりも200mほど西に位置(昔の大阪中央郵便局付近)していた。周辺には田圃が広がっていた。開業当初、「梅田駅」「梅田ステーション」「梅田すてんしょ」などと呼ばれていた。1901年、現在地へ移転した。当駅には、官営鉄道(国鉄)、山陽鉄道(山陽本線)、阪鶴鉄道(福知山線)、西成鉄道(大阪環状線・桜島線)、関西鉄道(関西本線・大阪環状線など)、南海鉄道(南海本線)という5つの私鉄の列車が乗り入れていた。1906年、鉄道国有法に基づき主要私鉄が国有化。

所在地:大阪府大阪市北区梅田3丁目2-136

J0010618_201712041031246ff.jpg

J0010619_2017120410312642b.jpg

2017-12-04(Mon)

辻の碑(箕面街道+山田街道)

箕面街道と山田街道の交差地点(結接点)にある石碑である。石碑があるのみで詳しい案内板等がないため、詳しいことは不明である。箕面街道は概ね現存しているものの、山田街道は宅地開発や再開発などで欠損が多く見られる。

所在地:〒561-0881大阪府豊中市中桜塚4丁目3-17

J0010601_20171204103001421.jpg

J0010602_2017120410300237d.jpg

J0010605_20171204103005e87.jpg

2017-11-25(Sat)

八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段

この付近は、古くは渡辺の津と呼ばれる船着場で、熊野街道の起点でもあった。平安時代中期から鎌倉時代にかけては「蟻の熊野詣」といわれ、人々はここで上陸して熊野に向かったといわれる。さらに江戸時代には、八軒家浜と呼ばれ、三十石船がつき、人の往来だけでなく、交易の場としてもにぎわった。

所在地:大阪府大阪市中央区石町1丁目

J0010589_201711251153156a4.jpg

2017-11-25(Sat)

三橋楼跡

江戸時代、料亭「三橋楼」が開業。高台に位置し、「天神橋」「天満橋」「難波橋」または「京橋」「天満橋」「天神橋」の3つの橋を眺望することができたため、三橋楼と命名した。1864年、新選組の近藤勇氏による献金依頼文書を、加賀屋徳兵衛が三橋楼に出向いて受け取っている。1868年、大久保利通氏が明治天皇に謁見したことを祝うため、小松帯刀、木場伝内、本田親雄、税所篤を招き、祝宴をあげる。1874年、井上馨氏、伊藤博文氏の働きかけにより、大久保利通氏、木戸孝允氏、板垣退助氏らによる「大阪会議」が行われ、三橋楼も開催地の一つとなった。 木戸孝允氏は、「囲碁会」を開催。大久保利通氏、五代友厚氏、税所篤氏(堺県知事)、内海忠勝氏(大阪府参事)、渡邊昇氏(大阪府知事)、伊藤博文氏らが参加。

所在地:大阪市中央区石町1丁目1-11天満橋ニュースカイハイツ前


J0010590_20171125115150793.jpg

J0010592_20171125115151ae2.jpg

2017-11-19(Sun)

彌榮神社

旧記には、神祖素戔嗚命を文禄年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりとある。その当時は、牛頭天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座を設けて奉仕し、明治5年(1872年)村社に列せられ、社号もこの時に彌榮神社と改められた。明治43年(1910年)、氏子協議のうえ大字岡村(現在勝山北4丁目)の御館神社を合祀した。その御館神社は、生土神でいばらの神と呼ばれ、仁徳天皇の的殿の旧跡で、現在は彌榮神社の御旅所となっている。創立の由来が古事記に記載されるなど、古来より地域の集落の中心であったことが伺え、その歴史的・文化的な価値は高い。また、祭団体が存在し、地域活動が行われるなど、地域性がある。

所在地:大阪府大阪市生野区桃谷2丁目16番22号

DSCN2718.jpg

DSCN2720.jpg

DSCN2719.jpg

DSCN2721.jpg

DSCN2722.jpg

DSCN2723.jpg

DSCN2724.jpg

DSCN2725.jpg

J0010583_20171119164245e38.jpg

J0010584_20171119164247375.jpg

J0010585_20171119164301ae9.jpg

J0010586_20171119164302ecd.jpg

2017-11-19(Sun)

伝藤原家隆墓

藤原家隆(1158年~1237年)は、藤原時代末期の五代の天皇に仕えた有名な歌人で、79歳の時に官を辞して浄春寺の地に隠棲した。その翌年の春の彼岸に高台から西の海に落ちる夕日を見て、その荘厳さに心を打たれ直ぐに落髪して仏性と号し、その4月9日に消えるように一生を終えた。伝藤原家隆墓は、家隆の墓といわれ、その傍らには、御影石にこの歌が夕日とともに刻まれた歌碑がある。夕陽丘の地名は、この歌の「波の入日」からきている。夕陽丘の地名の由来である藤原家隆の歌碑があり、和歌に親しんでいる者にとっては重要なスポットである。市民の手によって維持保全されており、地域に親しまれている歴史・文化的資源である。

所在地:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5番

J0010718_20171119163836edc.jpg

J0010719_20171119163838a2a.jpg

2017-11-13(Mon)

清寿院(大阪関帝廟)

正式には黄檗宗「白駒山清寿院」といいますが、中国との縁が深いので「南京寺」とも称されます。「桃園の誓い」で劉備、張飛と義兄弟となった勇義の英雄・関羽を祀っています。明和元年(1764)に、浄土宗住職・宗円より黄檗僧・大肩和尚が譲り受けて、中国僧・大成和尚が中興開山して、本堂を再建して黄檗宗の寺となりました。明治18 年(1885 )、長崎から来阪した広東の貿易商・利興成、利妥泰が発起人となり、日本人取引業者を含めた篤志家と共に本堂・拝所・表門等を中国風に改築し、本堂祭壇中央に関聖帝君、左側に天上(后)聖母・右側に財神爺(金儲けの神)を安置しました。拝殿の仏像は華商が寄進したもので、築240 年の土蔵造りの貴重な建物です。大成和尚が中国より請来した関帝像も内殿にお祀りしてあります。横浜中華街の関帝廟は明治6年(1873 )、神戸関帝廟は明治21年(1888)創建ですので、それよりも古く、日本でも有数の由緒正しい関帝廟です。

所在地:大阪府大阪市天王寺区勝山2-6-15

DSCN2699.jpg

DSCN2700.jpg

J0010568_201711131421004d1.jpg

J0010569_20171113142101220.jpg

2017-11-13(Mon)

安泉寺

創建年代不詳。古来村の念仏道場であったものが、徳川時代初期の寛文7年(1667年)に真宗大谷派末寺となった猪飼村固有の寺。村の中央部、鶴の橋60m北東にある。安泉寺は、徳川時代、村内の戸籍を預かり、寺小屋を開設していた。明治5年(1872年)に猪飼野小学校となり、明治20年(1887年)に平野川対岸の木野村小学校(宗玄寺も開設)と合併して、鶴嘴尋常小学校が建設されるまで村内のこどもたちの教育にあたって来ました。現在の本堂と庫裡(くり)と併せて大正14年(1925年)春、住職檀信徒協力して全面的に改築したもので、南面を西面本瓦葺に変え、太鼓楼を廃し、鐘桜門とし、井戸屋型手洗所を附属した、鐘桜門は木村権右衛門氏の寄贈による。平成6年(1994年)に至って、境内南西隅にあった猪飼野若中会館を、村内南50mの場所に移築し、老朽化した庫裡を廃し両跡地に安泉寺門戸会館と庫裡を新築し、本堂の全面補修を実施した。

所在地:大阪府大阪市生野区桃谷3丁目16番26号


DSCN2662.jpg

DSCN2663.jpg

DSCN2664.jpg

DSCN2665.jpg

2017-11-13(Mon)

大阪能楽殿跡

1916年、能楽師・手塚(大西)亮太郎らが中心となって起工。1919年、大阪能楽殿は、日本最大の規模として完成した。建設には、関西財界人を代表する住友吉左衛門友純、野村徳七、伊藤忠兵衛らが支援した。住友家は建設用地の提供、建設費用を募る労を執るなどの支援を行った。能楽殿の敷地は約737坪の2階建。平見所(客席の桟敷)145個所、貴賓室、特別室、椅子見所が備わっていた。1945年、大阪大空襲により焼失した。


所在地:大阪市天王寺区堂ケ芝2丁目16-24(天王寺保育所前)

J0010560_20171113141432614.jpg

J0010562_20171113141434886.jpg

2017-11-07(Tue)

堂ヶ芝廃寺

大阪は古代において東アジアの諸外国に向けた外交の窓口であり、6世紀半ばに伝来した仏教文化の受容の最先端地域でもあった。中国や朝鮮からの渡来人たちの力を中心として、はやくから大阪の地に四天王寺をはじめ多数の寺院が建立されたと考えられている。「日本書紀」「扶桑略記」「日本霊異記」などの書物にみられる大別王寺(おおわけおうじ)や百済寺はその代表的な寺院である。前者は日本から百済への使者である大別王が建てた寺とも住んだ寺ともいわれ、後者は百済王氏の氏寺ともいわれる。堂ケ芝の地と周辺から古代の瓦片は多数出土しており、古代の寺院跡と推定されている。かつて巨大な塔心礎も残っていた。この地を大別王寺や百済寺の跡と考える説もある。

所在地:大阪市天王寺区堂ケ芝1-5-19

DSCN2654.jpg

DSCN2655.jpg

DSCN2656.jpg

2017-11-01(Wed)

鈴山古墳

墳丘一辺22メートルの方墳。反正天皇陵古墳の外周にあり、陪塚として宮内庁が管理。

所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁目

J0010470_20171101214043871.jpg

2017-11-01(Wed)

竜佐山古墳

墳丘長61メートルの後円部径43メートル、前方部幅26メートルで、前方部の短い帆立貝形(前方後円墳?)。仁徳天皇陵古墳の外周にあり、陪塚として宮内庁が管理。一部の調査では、葺石と円筒埴輪があり、幅10メートル程の周濠がめぐっていたようですが、埋葬施設などについては不明です。現在は前方部とそのまわりの濠を復元して整備されています。墳丘は宮内庁が管理し、前方部の一部と周濠は堺市が管理しています。5世紀中~後半。

所在地:大阪府堺市堺区大仙中町(大仙公園内)

J0010616_201711012139275fa.jpg

J0010617_20171101213929d62.jpg

J0010618_20171101213930d5d.jpg

J0010619_20171101213931d3a.jpg

2017-11-01(Wed)

樋の谷古墳

仁徳天皇陵古墳の外濠内にあり、陪塚として宮内庁が管理。

所在地:大阪府堺市堺区大仙町

J0010629_20171101213826103.jpg

2017-11-01(Wed)

乳岡古墳

乳岡古墳は、大阪府堺市堺区石津町2丁に所在する前方後円墳。百舌鳥古墳群に属しており、国の史跡である。
○概要
百舌鳥古墳群西端の低位段丘末端に位置しており、前方部を南西に向けている。現在、前方部の部分の大半が削平され、消滅しているが、元の全長150m、後円部の径94m、高さ14mを測る。もとは周濠を有したが、埋め立てられている。後円部上には念仏寺という寺院が存在したが、後述の発掘調査後、古墳の西方に移転した。
○内部構造と築造時期
1972年(昭和47年)に内部構造の確認のため、後円部で発掘調査が行われており、粘土で覆われた和泉砂岩製の長持形石棺が確認されている。覆っていた粘土中から碧玉製鍬形石3、同車輪石18など、石製の腕輪類が出土している。確認のための小規模な調査であったので石棺の内部は調査されず埋め戻された。出土遺物から4世紀末頃の築造と考えられ、百舌鳥古墳群では最も時期の遡る古墳である。
○所在地
大阪府堺市堺区石津町2丁
○形状
前方後円墳
○規模
墳丘長150m
○築造年代
4世紀末

J0010575_201711012137128b2.jpg

J0010579_201711012137143e3.jpg

J0010580_20171101213715903.jpg

2017-11-01(Wed)

鳶塚古墳

鳶塚古墳については、平成10年に行われた確認調査では、直径21mの円墳で周囲に幅2~3m程度の周濠が検出されている。確認調査の際には、堀の中から家型埴輪なども見つかっており、それらの埴輪から5世紀の中ごろから後半に作られたのではないかと考えられている。この古墳は消滅したらしいが大仙公園内に復元されたらしい。

所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁(大仙公園内)

J0010608_20171101213603c5c.jpg

J0010609_201711012136053af.jpg
プロフィール

kazubonka

Author:kazubonka
かずぼんです。大阪並びに近畿一円の口コミ情報を提供していきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2018/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
カテゴリ
メモ
















































【高額報酬!!】有名女優が多数愛用している事でも知られている光美容機。世界中のセレブ御用達の一品。高額商品にも関わらず売れ続けています。ご利用者からご満足のお便りも大変多いです。定価472,500円











BTOパソコンショップ 『フレッシュフィールド』 オールカスタマイズ可能なオリジナルパソコン好評発売中!





























スルガ銀行ANA支店
銀行取引でANAマイルが貯まる(100×60)バナー











<

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!



ティッカー

グアム

ハワイ旅行

ムームードメイン

カスタムバイク買取













検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

続・竹林の愚人

思いつくまま

oobuta日記
QRコード
QRコード
FC2カウンター
平成20年8月26日からのアクセス数です。
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

FC2アフィリエイト
カウンター アフィリエイト・SEO対策
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
スポンサードリンク

FC2Ad

Powered by FC2 Blog